October 26, 2022

シルヴァン・カンブルラン指揮読響のドビュッシー、一柳慧、ヴァレーズ

●25日はサントリーホールでシルヴァン・カンブルラン指揮読響。久々にカンブルランが読響に帰ってきてくれてうれしい。やっぱりこのコンビはいい。プログラムは前半にドビュッシーの「遊戯」、一柳慧のヴァイオリンと三味線のための二重協奏曲(世界初演、成田達輝のヴァイオリン、本條秀慈郎の三味線)、後半にドビュッシーの管弦楽のための「映像」から「イベリア」、ヴァレーズの「アルカナ」。10月7日に一柳慧が89歳で逝去したことから、一柳作品の演奏前に演奏者による黙祷あり。ヴァイオリンと三味線という不思議な組合せによる二重協奏曲。第2楽章で局所的に和風ミニマルみたいになるのがおもしろい。ソリストアンコールがなんの曲かわからなくて、切ない雰囲気がまるで追悼の音楽みたいだなと思っていたら、後で一柳慧作曲の映画「さらば夏の光」のテーマだったと知る。
●カラフルなドビュッシー「イベリア」も楽しんだが、お目当てはヴァレーズ「アルカナ」。サントリーホールのステージがびっしりと人で埋まる大編成で密の上に密、この怪作を聴く貴重な機会……なのだが、実は3度目だ。初めて聴いたのは2015年のメッツマッハー指揮新日フィルで、なんとこれが日本初演だった。こんな曲、もう一回聴くチャンスはアルカナ~と思っていたら、2回目が2021年のノット指揮東響だった。すごい曲だなー、さらにもう一回聴くチャンスはアルカナ~と思っていたら、3回目がこの日、訪れた。やっぱりすごい曲だなー、次のチャンスはア(以下略)。
●「アルカナ」、どう聴いてもストラヴィンスキーの「春の祭典」(さらに「火の鳥」も)の影響は濃厚で、何か所かはそっくりだと思う。「春の祭典」にあって「アルカナ」にないのは民謡成分で、そのあたりが「春の祭典」の古典性の源泉かなと思うのだが、代わりにヴァレーズにあるのはマッチョ成分とユーモアだと感じる。「春の祭典」には笑わないけど、「アルカナ」は「ふふ」って笑える、興奮しながらも。この日の「アルカナ」は今年の演奏会いちばんの痛快さだったかも。密であり圧。
●カンブルランはけっこうな年齢になっているはずだけど、相変わらず身のこなしが軽やか。ビバ、イカす爺。盛大な拍手が鳴りやまず、カンブルランのソロカーテンコールあり。