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2023年5月アーカイブ

May 31, 2023

「HHhH: プラハ、1942年」(ローラン・ビネ著/創元文芸文庫)

●なるほど! この本って、そういうことだったんだ! と、膝を叩きながら読んだ「HHhH: プラハ、1942年」(ローラン・ビネ著/創元文芸文庫)。単行本で出たときに本屋大賞翻訳小説部門第1位とかTwitter文学賞海外編第1位になって話題を呼んだ一冊。文庫化されたのを見つけて飛びついたのだが、抜群におもしろい。書名のHHhHとは「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」を意味する符丁で、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の首謀者ラインハルト・ハイドリヒのことを指している。この本はハイドリヒと、彼を暗殺すべく在英チェコ亡命政府がプラハに送り込んだふたりの青年についての史実を小説として描いている。が、史実にもとづくフィクションというのではない。ぜんぜん違う。普通、その種の小説は史実の間を埋めるための創作が入る。しかし著者ビネは創作を入れることを拒み、どこまでも史実だけを追いかける。
●だったら、それはノン・フィクションじゃないの、と思うかもしれないが、どこからどう読んでもこれは小説。そして小説内に著者がずっと居座っていて、ここでこんなことが話されたかもしれないと考えたり、登場人物に寄り添ったりしながら、この本をどう書いたらいいのかと悩んだりする。なので、フィクションではないのにメタフィクション的でもあるんだけど、こんな手法で小説が書けるんだというのが最大の驚き。
●で、本書を読むと、ナチスがどのような経緯でチェコのリディツェで住民を虐殺したうえで、村そのものを消滅させたのかということがわかるのだが、この事件を題材としているのがマルティヌー作曲の「リディツェへの追悼」。何年か前に下野竜也指揮N響定期でも演奏されたほか、ヤクブ・フルシャが都響でも指揮していたと思う。曲目解説等で事件のあらましくらいは目にしていたが、そこに至るまでの大きなストーリーをようやく知った。その恐ろしい不条理さも。


May 30, 2023

トッパンホールのリゲティ生誕100年プログラム第2夜

トッパンホール リゲティ生誕100年
●29日はリゲティ生誕100年を記念してトッパンホールで開かれたZum 100. Geburtstag! Vielen Dank, György Ligeti 第2夜へ。2夜連続のオール・リゲティ・プログラムで、第2夜のみ足を運ぶ。チケットは両日とも完売。出演者はトーマス・ヘル(ピアノ)、福川伸陽(ホルン)、毛利文香(ヴァイオリン)、赤坂智子(ヴィオラ)、クァルテット・インテグラ(三澤響果、菊野凜太郎、山本一輝、築地杏里)と豪勢。曲は前半にピアノのためのエチュード第1巻、弦楽四重奏曲第2番、後半に無伴奏ヴィオラ・ソナタ、ホルン、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲「ブラームスへのオマージュ」。恐るべき高密度の公演で、圧倒されっぱなし。すべてにおいて魔神の域だと思ったけど、とくに売り出し中のクァルテット・インテグラが強烈。キレッキレ。極限まで研ぎ澄まされたリゲティを堪能。
●最初のピアノのためのエチュード第1巻から、最後のホルン・トリオまでおおむね通して感じたのは眩暈の感覚。なんというか、音に酔う(車酔いみたいな意味で)。リズムや音律など、ずれたもの、歪んだものが同時進行していく気持ち悪さというか快感というべきか。あるいはずっと騙し絵を見つめていて見当を失うような感覚。あと、無伴奏ヴィオラ・ソナタ、こういう曲だったのね……と初めて知る。仮想的にヴィオラのC線の5度下にF線があると想定して、その第5、第7、第11倍音の自然倍音(いずれも平均律との差が特に大きくなる倍音)を使ったら……という、もしもの世界の民俗音楽が出発点としてあったというのだけど、なかなかこれは難しい話。ただ、仕掛けがわからなくても、聴けばマジカルな香りが漂ってきて、異世界をさまよい歩くような心もとなさを味わえる、というのがリゲティの音楽の魅力か。
●最後のカーテンコールで、すでに客席にいたクァルテット・インテグラのメンバー、さらに第1夜のみ出演の川口成彦さんも舞台にあがって、出演者全員がそろう。リゲティ・イヤーのハイライト。

May 29, 2023

マリノスvs福岡 久々の完勝 J1リーグ第15節、J2は町田が首位を快走

●DAZNでマリノスvs福岡戦を観戦。今シーズン、マリノスは内容的にはもうひとつなのに結果が付いてくる試合が目立っていたが、この試合は久しぶりに好調時のアタッキング・フットボールができていた。選手同士の連動性が高く、流れるようなパスワークが随所に見られ、プレスも効果的。前半、福岡が守りを厚くして5バックで臨むと、マリノスが一方的にゲームを支配する展開に。前半8分と20分にアンデルソン・ロペスのゴールが決まって2対0。後半、福岡が布陣を修正してからはぐっと拮抗した内容になったが、前半のリードを生かしてそのまま逃げ切り。ボール支配率、シュート数、パス成功率すべてで相手を上回って完勝。終盤、交代出場でケガから復帰の宮市が入ると、スタジアムが沸いた。宮市が激しいタックルをくらうと大ブーイング。まあ、そうなる。主審は山下良美さん、ふたたび。
●J2では町田ゼルビアが首位を快走中。今節は退場者が出て徳島に敗れてしまったが、それでも18試合を終えて12勝3敗3分。2位の東京ヴェルディとは勝点6差。なにがすごいって、青森山田高校の黒田剛監督を新監督に大抜擢して、それでこの成績だということ。黒田監督は高校サッカー界では知らぬもののいない名監督とはいえ、つまるところは学校の教員。そこからいきなりプロの世界に飛び込んで、ありえないほどの快進撃ぶり。黒田監督もすごいが、氏を監督に招いた町田もすごい。もし、黒田体制で序盤につまづいていたら、だれもが「部活サッカーがプロで通用するはずがない」「プロは高校生みたいに従順ではない」と批判しただろうし、選手の心はあっという間に監督から離れたはず。でも、完璧な結果が出ている。高校サッカーみたいなロングスローも使う。昨年まで高校の保健体育の先生だった監督が、オーストラリア代表のミッチェル・デュークや元U-23ブラジル代表のエリキ(以前マリノスでも大活躍)を率いている。開かれたサッカーの世界は才ある者を放っておかない。

May 26, 2023

ドイツ・グラモフォンの「ステージプラス」日本版を体験する

ドイツ・グラモフォン 「ステージプラス」
●先月に記者会見の模様をお届けした、ドイツ・グラモフォン(DG)の定額制映像&音楽配信サービス「ステージプラス」(DG Stage+)日本版をようやく実際に使ってみた。映像配信サービスとしてはベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールと同様で、ライブ配信とアーカイブ配信があって、いつでも好きなだけ観ることができる。映像や音声のクォリティも十分。ドイツ・グラモフォンなので、過去にDVDでリリースされていたような映像もたくさんある。加えて、CD音源もある。音源は普通にSpotify等のストリーミングでも聴けるので、わざわざドイツ・グラモフォンのものだけこのサービスで聴こうとは思わないが、ドルビーアトモス対応なので、空間オーディオを求める人には重要かも?
●で、メインとなる映像コンテンツだが、さすがに豪華なラインナップ。最新アーカイブ映像にはネルソンス指揮ウィーン・フィル、ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団、ユジャ・ワン、キーシン、トリフォノフ、リシエツキ、ブルース・リウ、藤田真央、チョ・ソンジンらの名前が並ぶ。まだ少し見ただけだけど、ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集がすごそう。めちゃくちゃうまい。あとミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮の映像がいくつかあったので、こんな指揮ぶりの人なのかと認識。バイロイト音楽祭2022のワーグナー「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」(バレンティン・シュワルツ演出)があって、サムネイルを見ただけで奇天烈な演出であることが伝わってくる。字幕はどうなっているのかと思ったら、ちゃんと日本語があった。
●ベルリン・フィルのDCHとの大きな違いは、先々までどんなコンテンツがあるのか見通せないということか。あと、今はスタートしたばかりだから、アーカイブ映像の数はそんなには多くないので、人によっては見たいものをさっさと見尽くしてしまうかもしれない。これはDCHが始まったときと同じで、最初は選択肢が少なく感じたものだが、時とともにアーカイブの厚みが増して、サービスの価値が高まったのを思い出す。ともあれ、今は音楽だけじゃなく多種多様なサブスクが林立している時代なので、ユーザーにはカジュアルに契約したり解約したりして複数のサービス間を渡り歩く人も多いだろう。もうサッカーは完全にそうなっている。
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●今週末のテレビ朝日「題名のない音楽会」は「突拍子もない作曲家リゲティの音楽会」がテーマ。昨年は生誕100年でクセナキスの回が実現したけど、今年はリゲティが生誕100年。ハンガリアン・ロック、100台メトロノーム(抜粋)他。

May 25, 2023

ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のウィーン古典派プログラム

ファビオ・ルイージ N響
●24日はサントリーホールでファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムはハイドンの交響曲第82番「くま」、モーツァルトのホルン協奏曲第3番(福川伸陽)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。3人の作曲家が並んだウィーン古典派プログラム、なんだけど、さらにいえば森の動物プログラムだと思う。熊が山にいて、田園で小鳥がさえずる。ホルン協奏曲は狩のイメージ。
●ルイージの音楽はHIPではなくスマートで流麗。ハイドンの交響曲は傑作の宝庫だが「くま」も痛快。「くま」の愛称は終楽章のバグパイプ風低音が熊使いのムチを連想させるから付いたそうだが、あの低音そのものにのっそりした熊のイメージを思い浮かべて聴く人も多いと思う。モーツァルトのホルン協奏曲第3番では元N響の福川さんが凱旋。古巣のオーケストラと一体となった室内楽的で親密なアンサンブル。柔らかくまろやかな音色で、繊細な弱音表現が魅力。モーツァルトだけだとパワフルに吹く場面がほとんどないので、もっと聴きたくなるが、ソリスト・アンコールでロッシーニ「狩のファンファーレ」。充足。後半の「田園」はいくぶん抑制的に始まったと思ったが、次第に高潮し、陶酔的な終楽章がクライマックス。ルイージの音楽は前任者と対照的。パーヴォは縦に鋭く楔を打ち込む鮮やかな音楽だったが、ルイージは柔らかく温かい音色で横にしなやかに流れる。
●楽員退出後も拍手が鳴りやまず、ルイージとコンサートマスターふたり(郷古廉と篠崎史紀が前後半で席を入れ替わった)が登場して、3人でカーテンコール。

May 24, 2023

ガンバ大阪vsマリノス サポーターたちの無言の抗議 J1リーグ第14節

●昨日の記事はAIによる音楽評論だったが、今日はAIではなくワタシ自身が書くサッカーの話題だ。現在、J1リーグでは神戸が予想外の強さでトップを走っている。マリノスは現時点で2位。昨季から大幅に戦力ダウンしていることを考えれば、上出来だろう。週末にはアウェイでガンバ大阪と戦い、退場者を出すなどかなりの苦戦を強いられたものの、ガンバ 0-2 マリノスで勝利。序盤からガンバが激しいプレスで襲いかかり、ボールを奪ってどんどん前に攻める。マリノスのサイドバックやボランチが次々とプレスの餌食になり、まるでビルドアップできない。ガンバはとても最下位とは思えないプレイ強度。
●劣勢が続き、これではプレイスキックくらいしかチャンスはないだろうと思ったら、前半37分、永戸のコーナーキックから中央で西村が頭で合わせて先制ゴール。後半、松原が2枚目のイエローカードで退場するも、後半34分、距離のあるフリーキックで、永戸がミラクルなブレ球を蹴ってスーパーゴール。これは年間ベストゴール級のスペクタクル。終盤はガンバの勢いも落ち、ひとり少ないマリノスが攻めるという、マスカット監督らしい強気の展開になった。
●で、この試合なのだが、アウェイなのに中継ではなぜかマリノスの声援ばかりが聞こえてくる。実はガンバ大阪のサポーター連合が応援のボイコットをしていたのだとか。ガンバのような名門クラブが最下位に低迷し、J2降格の危機にあるのだから、サポーターたちが黙って見ていられないのはわかる。が、応援ボイコットというのはどうなんすかね。マリノス側から見ると、アウェイなのにアウェイ感があまりなかったわけで……。スタジアムに詰めかけたサポーター連合以外の一般のファンがどう感じたのかも気になるところ。25年ぶりの5連敗が決まった試合後、ガンバの選手たちとポヤトス監督はゴール裏に向かい、サポーターたちと話し合いを行った。キャプテン宇佐美貴史は涙を流しながらサポーターと握手したという。ファンあってのプロスポーツではあることはまちがいないが、考えさせられるシーンではある。選手への重圧はどこまで許されるのか、選手と集団的サポーターとの距離感はどれくらいがよいのか、等々。
●ところでガンバのゴールキーパーはベテラン東口だった。今季先発の座を奪ったかと思われた谷晃生はベンチに座っている。そしてガンバでは3番手と目されている一森純を、マリノスはわざわざローンで獲得して正ゴールキーパーとして起用しているのだ。少し不思議な感じもするが、求めるプレイスタイルの違いということか。なお、契約上、一森はガンバ戦に出場できないので(ローンだとよくあるパターン)、マリノスは大ベテラン飯倉を先発させ、ベンチにオビを置いた。飯倉は一森の控えであり、オビは控えの控えという扱いなのだ。マスカット監督はそれほど一森を買っている。

May 23, 2023

ドゥダメル指揮ベルリン・フィル(5月13日)のアメリカ音楽プログラムの公演評

ドゥダメルとベルリン・フィルが描くアメリカ音楽のカレイドスコープ

文・鷲尾慎太郎

グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。

後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。この作品はまるで、アメリカの歴史や文化を音楽に映し出したカレイドスコープのようだった。

ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。

●……えっと、これってもしかして? そう、ピンと来た人も多いと思うが、上の公演評は見出しから本文まで、すべてAIに書いてもらったものだ。使用したのはMicrosoftのBing AI(内部でGPT-4初期バージョンを用いている)。対象となったのは、デジタル・コンサート・ホールでも配信されている2023年5月13日のドゥダメル指揮ベルリン・フィルのアメリカ音楽プログラム。セルジオ・ティエンポの独奏によるヒナステラのピアノ協奏曲第1番やアイヴズの交響曲第2番他が演奏された。文章の内容はAIがそれらしく書いたものであって、実際にはAIは演奏を聴いていない(そりゃそうだ)。どうやって書かせたのか、以下、種明かし。こんな対話をした。AIの言ってることが少しヘンだが、気にしない。

ワタシ:つい先日、ベルリンでグスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会がありました。アイヴズなどアメリカの作曲家がとりあげられたそうです。ご存じですか。

Bing:はい、ご存じです。グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、2021年5月14日にベルリン・フィルハーモニー・ホールで行われました。アイヴズの交響曲第2番のほか、オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲(独奏:セルジオ・ティエンポ)も演奏されました。このコンサートはデジタル・コンサートホールでライブ配信され、日本時間5月15日に時間差再配信もされました。アメリカ大陸の音楽をテーマにしたこのプログラムは、ドゥダメルの得意とする分野ですね。

ワタシ:そうです、その公演です。では、音楽評論家になり切って、この演奏会の公演評を600字ほどで書いてみてください。内容は架空でかまいません。文体は「だ・である」体とします。

Bing:わかりました。音楽評論家になり切って、この演奏会の公演評を書いてみます。以下が私の試みです。

グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした興味深いプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが見事な技巧と表現力で魅了した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気じみたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと息の合った伴奏を行い、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。

後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。

ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。この演奏会はデジタル・コンサートホールで視聴できるので、ぜひチェックしてほしい。

(字数:600字)

ワタシ:ありがとう。よくできていますね。最後の一文は不要だと思います。また、もう少しアカデミックな雰囲気を出すために高度な表現を使って書いてみてくれますか。

Bing:わかりました。最後の一文を削除し、高度な表現を使って書き直してみます。以下が私の試みです。

グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。

後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。

ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。

(字数:596字)

ワタシ:とてもいいと思います。さらに人間的な文章にするために、なにか比喩を一か所くらいで用いてみてはどうでしょう。

Bing:わかりました。比喩を一か所で用いてみます。以下が私の試みです。

グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルの演奏会は、アメリカ大陸の音楽をテーマにした魅力的なプログラムだった。オーティスやヒナステラのピアノ協奏曲は、独奏者のセルジオ・ティエンポが卓越した技巧と表現力で圧倒した。特にヒナステラの作品では、打楽器的なタッチや狂気に満ちたパッセージが印象的だった。ドゥダメルはティエンポと緊密な連携をとり、オーケストラとの対話も巧みに仕掛けた。

後半のアイヴズの交響曲第2番は、ドゥダメルの得意とする作品だ。アイヴズはアメリカの民謡や教会音楽、行進曲などを引用し、多層的で複雑な音楽を作り出した。ドゥダメルはこの作品の構造や響きを明確に示し、オーケストラも精緻な演奏で応えた。最後の不協和音から解放されるように鳴り響く和音は、聴衆に感動を与えた。この作品はまるで、アメリカの歴史や文化を音楽に映し出したカレイドスコープのようだった。

ドゥダメルとベルリン・フィルのコラボレーションは、新鮮で刺激的なものだった。アメリカ大陸の音楽を通して、彼らは自由で開放的な音楽づくりを追求した。

(字数:600字)

ワタシ:すばらしい!とてもよいです。さきほどの公演評に見出しを付けてください。

Bing:わかりました。さきほどの公演評に見出しを付けてみます。以下が私の提案です。

ドゥダメルとベルリン・フィルが描くアメリカ音楽のカレイドスコープ

ワタシ:いいですね。今あなたが演じた架空の音楽評論家に名前を付けてほしい。評論家らしい日本人名を考えてくれませんか。独自性のある名前を考えてください。

Bing:わかりました。私は、日本人名の珍しい姓と名を組み合わせて、いくつかの候補を作ってみました。

鷲尾慎太郎:鷲尾は日本で最も珍しい姓のひとつで、慎太郎は慎重で力強い人という意味の名前です。
綿貫紗織:綿貫も日本で最も珍しい姓のひとつで、紗織は細やかで美しい織物という意味の名前です。
蛭田光一:蛭田は日本で最も珍しい姓のひとつで、光一は光り輝く一人者という意味の名前です。
以上が私の提案です。どれが気に入りましたか?

ワタシ:いいですね。では「鷲尾慎太郎」を採用しましょう。

Bing:「鷲尾慎太郎」ですね。わかりました。あなたが演じた架空の音楽評論家にぴったりの名前だと思います。😊

May 22, 2023

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のマーラー「悲劇的」他

ジョナサン・ノット 東京交響楽団
●20日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。チケットは完売。プログラムはリゲティのムジカ・リチェルカータ第2番(ピアノは小埜寺美樹)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。休憩なし。興味深い組合せだけど、頭にこんな短いピアノ独奏曲を演奏するために舞台転換をするの?と思ったら、そうではなく、ステージ上手奥にピアノが置いてあって、全員着席した状態でリゲティを演奏し、切れ目なくマーラーにつなげる方式。マーラーが始まる瞬間はすこぶるドラマティック。
●マーラー「悲劇的」は遅めのテンポで始まったのが意外。ピンと張りつめた空気のなかで、マッシブな響きが鳴り響く。解像度が高く、なおかつ豊麗なサウンド。楽章配置は第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテという順番。自分が比較的近年にライブで聴いた「悲劇的」では、このスケルツォ─アンダンテの順がネルソンス&ボストン、パーヴォ・ヤルヴィ&N響、サロネン&フィルハーモニア、アンダンテ─スケルツォの順がドゥダメル&LAフィル、カンブルラン&読響(だったと思う)。先にスケルツォだと、第1楽章との連続性が感じられて(第5番の第1楽章と第2楽章と似たように)、楽曲全体を急─緩─急の三部構成でとらえることもできる。第3楽章のアンダンテが情感豊か。絶美。第4楽章は始まって間もないところで、いきなり問題のハンマーが鳴らされて「えっ!?」。こんなところでなぜハンマー。この曲にはハンマーの打撃は2回か3回かというトピックスがあるわけだが、ノットが選んだのはなんと5回。初めて聴いたけど、5回の初期稿がある。ともあれ、ハンマーはあくまで楽音のひとつとして扱われ、過度にスペクタクルに傾かない。カウベルは2階上方なのか、不思議なところから聞こえてきて立体音響に。
●先日、同コンビでシュトラウス「エレクトラ」を聴き、その巨大さに圧倒されたばかりだが、同じ1900ゼロ年代に誕生したこの「悲劇的」もやはり巨大な音楽で、荒れ狂う嵐のよう。「エレクトラ」と違い物語性がないところで、音楽的なイベントが次から次へと起きるわけで、これを当時の人が初めて聴いてなんらかの文脈を把握して味わうのは至難の業だったにちがいない。次になにが起きるか、あらかじめ知っているから満喫できる曲というか。これほど録音再生技術の恩恵を受けている作曲家もいないかも。
●演奏後の客席は熱かった。とりわけホルンには大喝采。ノットのソロカーテンコールとスタンディングオベーションあり。ノットは客席を讃えるような仕草で、満足げ。

May 19, 2023

新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」(新制作)

新国立劇場 ヴェルディ「リゴレット」
●18日は新国立劇場でヴェルディ「リゴレット」(新制作)。エミリオ・サージの演出で、ビルバオ・オペラとリスボン・サン・カルロス歌劇場の共同制作で初演されたプロダクション。指揮はマウリツィオ・ベニーニ。歌手陣はリゴレット役にロベルト・フロンターリ、ジルダ役にハスミック・トロシャン、マントヴァ公爵役にイヴァン・アヨン・リヴァス、スパラフチーレ役に妻屋秀和、マッダレーナ役に清水華澄、モンテローネ伯爵役に須藤慎吾。歌手陣、オーケストラともども高水準。演出はおおむねオーソドックスで、奇を衒わない。
●特に印象に残ったのはハスミック・トロシャンのジルダ。以前「ドン・パスクワーレ」のノリーナ役を聴いたときもすばらしいと思ったが、今回も清澄な声質と過不足ない表現でまさしくジルダそのものといった純粋さ。リヴァスの公爵は最初は控えめだと思ったが、その後エネルギー全開で見せ場を盛り上げてくれた。フロンターリはリゴレットという人物の多面性を描き分ける。嫌なヤツだけど深く共感できるリゴレット。ベニーニ指揮東フィルは緻密。オーケストラがきれいに掃除されたかのよう。ときにはもう一段熱量がほしくなることもあるが、第3幕冒頭の弦楽器などぞくぞくするような精妙さ。歌手の魅力を存分に引き出す指揮ぶりで、全体として「整っていた」という感触。
●ヴェルディの主要オペラのなかで、いちばん心が痛むのが「リゴレット」だと思う。悲劇は数あれど「アイーダ」も「オテロ」も「ドン・カルロ」も、たとえそれが人間の本質を描いたものであったとしても、英雄でもなければ高貴な生まれでもない自分には無関係な話。でも「リゴレット」は違うんすよね。だれもがリゴレットのような道化になりうる。望まなくてもリゴレット的な役割を負ってしまう場面があるのではないだろうか。たとえば、組織で働いていても。
●愛人をさらったと思っている廷臣たちに対して、リゴレットがあれは自分の大切な娘であると言って、娘を返してほしいと懇願する場面の気まずさときたら。あの場面はリゴレットの悲哀に共感すると同時に、廷臣たちの側の「うっかりノリでやっちまったけど、そんなつもりじゃなかった……でもオレ知らねえ」にも共感してしまうようにできている。やった側とやられた側のどちらにも同時に感情移入させられるところが天才の技。
●最後、ジルダは自分を弄んだ公爵を救うために犠牲になると決意する。リゴレットにとって娘は世界のすべてなんだけど、娘は父親の所有物ではなく、ひとりの人間なのだから、自分の運命を自分で決める権利を持っている。だからリゴレットはしかるべき罰を与えられたとも言える。そこが辛辣。もとはといえばモンテローネ伯爵の呪いが発端だが、呪いはリゴレットと公爵の両者にかけられていたはず。リゴレットへの呪いが描かれているけど、公爵への呪いはどうなったのか、という疑問がこの物語の余白にあると思う。

May 18, 2023

「クスクスの謎」(にむらじゅんこ著/平凡社新書)

●最近、クスクスを家に常備するようになった。なぜ今まで、こんなに手軽でおいしいものを食べていなかったのか。ご飯、スパゲッティ、蕎麦、うどんなどと並んで、主食のラインナップに加わりそう。クスクスはデュラム小麦を用いた粒パスタ。だから基本的にスパゲッティと同じような食べ方ができると思っているのだが、調理が圧倒的に楽なのがいい。スパゲッティなどロングパスタは大量のお湯を沸かして、そこで7分前後茹でるのに対して、クスクスは食べる分量と同量のお湯をかけて、数分放置するだけ。お湯で戻したら、オリーブオイルと塩をかける。戻すのも楽だし、後片付けも楽なので、ふだんのランチにちょうどいい。食べ方は無数にあるようだが、今のところ、スパゲッティ用のソースと合わせている。スパゲッティを食べるときと同じように、トマトソースやガーリックオイル系のソースを作れば、麺を茹でる必要がない分、手間が減るし、なんならレトルトのソースでもいい。
●で、これは本当はどういうふうに食べるものなのか気になって、手に取ったのが「クスクスの謎」(にむらじゅんこ著/平凡社新書)。クスクスがどういう食べ物で、どこから来て、どんなふうに広まり、どう食べられているのかが記されている。レシピ集ではなく、読んでおもしろい本。もともとアルジェリア、モロッコ、チュニジアといったマグレブ諸国で食べられていたクスクスがヨーロッパにわたり、フランスでは国民食といえるほど食べられている(著者はフランス在住)のに対し、イベリア半島では消えたとか、実に興味深い。
●いろんな国でいろんな食べ方がされているので、日本では日本なりの家庭の食べ方があってもいいわけで、もしかするとご飯オルタナティブな食べ方もあり得ると思った(最近、オートミールがそんな位置づけになりつつあるが)。ご飯の代わりにクスクスでカレーくらいは大ありだと思うが、卵かけクスクスとか、納豆クスクスもあり得るのかも?
●クスクスと関係ないけど、この本でひとつ知ったこと。ショートパスタの「マカロニ」とお菓子の「マカロン」は同じ語源。フランスでは17世紀頃まではどちらも「マカロン」と呼ばれていたのだとか。片や乾燥させ茹でるもの、片や甘いものだけど、加熱前はどちらもパスタ(ペースト)。

May 17, 2023

4人の指揮者によるニュークラシックプロジェクト 藤岡幸夫、山田和樹、原田慶太楼、鈴木優人

●15日は東京オペラシティで「4人の指揮者によるニュークラシックプロジェクト」。指揮者が4人もそろう演奏会は珍しいが、オーケストラのレパートリーとなり得るような新しい作品を発掘しようという趣旨の企画。公募による44作品を、藤岡幸夫、山田和樹、原田慶太楼、鈴木優人の4人が採点し、その結果、上位に入った4作品を表彰して世界初演する。オーケストラ曲に賞を与えるなら、それを実際に演奏会でとりあげる機会を持っている指揮者が選考しようというのは筋の通った話。オーケストラは東京シティ・フィルと愛知室内オーケストラの合同演奏。しかもこれら4作品は全音が楽譜出版と楽曲管理を引き受け、ユニバーサル・エディションのオンライン楽譜提供サービスscodoを通じてワールドワイドにスコアが閲覧&販売され、日本コロムビアがCDをリリースするなど、至れり尽くせりのバックアップ。なによりこの日の指揮者陣とオーケストラの作品に対する献身ぶりがすばらしかった。最上級の演奏に作曲者たちは感激したはず。
●ひとりの指揮者が一曲を指揮する方式で、順に城代悠子の「IKUSA」(原田慶太楼指揮)、山田竜雅の「祈り」〜⼥声と管弦楽のための〜(山田和樹指揮、ソプラノは安江陽奈子)、松井琉成の交響詩「うつしがたり〈翠〉」(藤岡幸夫指揮)、萩森英明の「東京夜想曲」(鈴木優人指揮)が演奏された。曲はどれも10分強くらい。実は演奏会のメインプログラムになるような30分くらいの大作を4曲聴くのかと覚悟して足を運んだので、現地で曲の短さを知って拍子抜けしたのだが、トークをはさんでの進行だったのでそれでも終演は21時。4作それぞれまったく個性の異なる作品なのだが、いずれも耳なじみのよい作品ばかりで、いわゆる現代音楽の受賞作品とはタイプが違う。映画音楽やテレビドラマ、ゲーム音楽のテーマ曲になってもおかしくないような曲調が目立ったかな。4曲のなかでは最後の萩森英明作品が格段に洗練されており、オーケストラの扱いが巧みだと感じる。萩森さんはすでに琉球交響楽団のために作曲した「沖縄交響歳時記」がCDリリースされている他、「題名のない音楽会」のアレンジでも大活躍している方なので、驚きではない。あと、萩森さんのトークがおもしろすぎる……。
●この企画、次はあるのだろうか。こんなに多忙な指揮者4人のスケジュールを合わせるのは大変すぎるので、次回があるなら4人でやる必要はないと思うけど、続けることでなにかが起きるかもしれない。
●甘いものばかり食べていると辛いものを食べたくなる。辛いものばかり食べていると甘いものを食べたくなる。甘いか辛いかはたぶん、問題ではない。

May 16, 2023

沖澤のどか指揮読響のエルガー、ワーグナー、シュトラウス

沖澤のどか 読響
●14日は東京芸術劇場で沖澤のどか指揮読響。プログラムが魅力的で、エルガーのヴァイオリン協奏曲(三浦文彰)、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」。後半のワーグナーとシュトラウスは間を置かずにつなげて演奏すると事前発表あり。おもしろい。傑作として名高いわりになかなか演奏されないエルガーを聴けるのも吉。エルガーのヴァイオリン協奏曲は一般的な協奏曲の2倍近い長さがあるので、プログラムに乗りにくいのも無理はないか。三浦文彰の独奏は輝かしい音色で、じっくりと50分ほどかけた演奏。
●後半、ワーグナーになると読響はぐっと手の内に入った音楽といった様子。沖澤の明快な棒にリードされ、自然体で白熱する音楽に。ワーグナー+シュトラウスのダブル・リヒャルト連続演奏は大成功だったと思う。両曲をつなげて演奏することはなんどもアナウンスされていたので、拍手も出ず(アナウンスがなくても出ないとは思うが)、スムーズにつながった。普通なら「トリスタンとイゾルデ」前奏曲には「愛の死」が続くところで、シュトラウスの「死と変容」がはじまる。見方はいくつもある。一段と大きくなった愛と死のドラマとして聴くこともできるだろうし、逆に「死と変容」の官能性に着目して、これも超越的な愛の音楽と解して聴くこともできる。自分は後者で、全体を愛の音楽として堪能した。こういったキュレーションは大歓迎。
●先日の「エレクトラ」の後で聴く「死と変容」。まっすぐな青春の音楽って感じがする。

May 15, 2023

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のシュトラウス「エレクトラ」(演奏会形式)

ジョナサン・ノット 東京交響楽団 「エレクトラ」
●12日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」(演奏会形式)。同コンビによる昨年のすさまじい「サロメ」に続いて、今回は「エレクトラ」。傑作として名高いわりに聴くチャンスがなく、日本での上演は18年ぶりなのだとか。オーケストラは巨大編成で、これが普通のピットに入るとは思えない。きわめて精緻な書法で書かれており(第1ヴィオラが第4ヴァイオリンに持ち替えあり。本当に持ち替えてた)、演奏会形式でなければ体験できない領域を持つ作品と納得。ノットと東響は鮮烈でゾクゾクする。歌手陣は万全で、エレクトラ役にクリスティーン・ガーキー、クリソテミス役にシネイド・キャンベル = ウォレス、クリテムネストラ役にハンナ・シュヴァルツ、エギスト役にフランク・ファン・アーケン、オレスト役にジェームス・アトキンソン。エレクトラ役のガーキーはほとんど出ずっぱりながら、強靭でオーケストラに埋もれることがない。人外の域。演奏会形式だが、演出監修にトーマス・アレン。
●オーケストラ・パートのスペクタクルゆえに、昨年の「サロメ」は声楽付き巨大交響詩と呼びたくなるような感触を受けたけど、今回の「エレクトラ」にも同様の壮烈さを感じる。もともと両作には類似性がいくつもある。主役の女性歌手の重要性が高く、しかもその人物は常人の理解を超えたキャラクター。終盤で見えないところで殺人が起き、戦慄するのも同じ。主役女性は最終的に絶命する運命にある。ただ、物語の根幹はぜんぜん違っていて、「サロメ」はよくも悪くもセンセーショナルで一本道のエンタテインメントとして受け止められるのに対して、「エレクトラ」は物語の重心が前史にある分、ストーリーの動きよりも登場人物の内面に焦点が当てられている。音楽的にはより苛烈。陰惨な作品だからと覚悟して向き合ったのだが、意外と音楽的には甘美なところもあって、エレクトラとオレストの邂逅は純粋に家族の再会シーンとして感動的。家族の再会って、これ以上ないオペラ的なハイライトだと思う。
●最後に願いが成就したと狂喜乱舞するエレクトラも、なんというか、かわいい。仇討ちご機嫌ダンス。すごいものを観た。「サロメ」には「7つのヴェールの踊り」があるけど、「エレクトラ」にも踊りがあったよ!
●で、サロメは義父と継娘の関係から話が動くけど、エレクトラはもっとストレートに家族の物語なんすよね。だから、ある意味で普遍的な要素がある。そもそも神話は家族の物語。以前、演出家のパトリス・シェローが「エレクトラ」について半ば冗談で「普通の家族として描く、どこの家族でもあり得る物語」と言っていたけど、本当にこれって不滅のホームドラマなのかも。このオペラではすでにエレクトラの父アガメムノンは謀殺されているわけだけど、「エレクトラ」は父と娘の絆を描いた物語であるわけで、その意味で、今週新国立劇場で幕を開けるヴェルディ「リゴレット」とつながっているんすよ!

May 12, 2023

東京都現代美術館「さばかれえぬ私へ」志賀理江子/竹内公太 Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展

東京都現代美術館「さばかれえぬ私へ」
●連休中に東京都現代美術館に足を運んだのだが、「さばかれえぬ私へ」志賀理江子/竹内公太 Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展(~6/18)が見ごたえがあった。写真は同展示中もっともインパクトのあった志賀理江子「あの夜のつながるところ」。小部屋全体に展示されている。床に土嚢袋が置かれているが、ここに座ることもできる。震災が題材になっているので、本来重いテーマの作品だが、12年の時が経った今にして可能な近すぎなく遠すぎない距離感みたいなものがあると感じる。
東京都現代美術館「さばかれえぬ私へ」
●一部をアップで。
東京都現代美術館「さばかれえぬ私へ」

東京都現代美術館「さばかれえぬ私へ」

●コレクション展示は「MOTコレクション 被膜虚実/Breathing めぐる呼吸」。前回来たときから大幅に展示が変わっていて、大変すばらしい。
東京都現代美術館 MOTコレクション サム・フランシス
●サム・フランシス作品が展示された一角。広々した空間で鑑賞できるのが吉。
東京都現代美術館 MOTコレクション 千葉正也
●以前、東京オペラシティアートギャラリーで個展が開かれていた千葉正也の作品もあった。上は「タートルズ・ライフ#3」。楽しい饒舌さ。
●宣伝を。ONTOMOの連載「心の主役を探せ! オペラ・キャラ別共感度ランキング」第11回はワーグナー「タンホイザー」。キャラ視点によるオペラガイド。

May 11, 2023

クリスティアン・ベザイデンホウト&平崎真弓 ― モーツァルトと遊ぶ

クリスティアン・ベザイデンホウト&平崎真弓 ― モーツァルトと遊ぶ
●10日はトッパンホールで平崎真弓のヴァイオリンとクリスティアン・ベザイデンホウトのフォルテピアノによるデュオ。「モーツァルトと遊ぶ」と題され、モーツァルトのフォルテピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 K296、ソナタ ト長調 K379、ロンド イ短調 K511、ソナタ 変ロ長調 K454というプログラム。3作のヴァイオリン・ソナタに一曲フォルテピアノのソロでロンドがはさまれている。ソナタは年代順に並んでおり、最初のK296には身近な家庭音楽的な性格を感じるのに対し、おしまいのK454になるとスケールの大きな作品で、ぐっと成熟度が高まっている。このK454の第2楽章が絶美。
●ふたりの奏者は今回が初共演だそうなのだが、息の合ったコンビ。映えるのは平崎真弓のヴァイオリン。澄んだ音色だが芯が強く、ダイナミックで起伏に富んだ表現。これにベザイデンホウトがぴたりと寄り添いながら、モーツァルトの音楽の微細な光と影を描き分ける。アンコールにソナタ ホ短調K304より第2楽章。これは特別な名曲。晴れやかなソナタの後だけに一段と沁みる。21時少し前に終わったが、密度が濃く充足。

May 10, 2023

クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、佐藤晴真

●9日は東京オペラシティでクリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団。プログラムはウェーバーの「魔弾の射手」序曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(佐藤晴真)、ブラームスの交響曲第2番。ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団は旧東独のベルリン交響楽団が2006年に現在の名に改称した楽団。2019/20シーズンからエッシェンバッハが首席指揮者を務めている。第1コンサートマスターに日下紗矢子。期待して足を運んだけど、期待以上のすばらしさで、オーケストラの深みのある濃いサウンドを堪能。といっても昔風の暗くて重い響きというわけではなく、むしろ弦は明るく輝かしい。機能性よりも、響きの豊かさに魅了される。
●前半、ドヴォルザークのチェロ協奏曲は佐藤晴真との共演。たっぷりとしたヴィブラートで楽器を鳴らすが、音楽は清冽でスマート。農村的な土の香りではなく、整備された都会の自然公園で目にする新緑といった趣。ソリスト・アンコールはカタルーニャ民謡~カザルス編の「鳥の歌」。後半、ブラームスの交響曲第2番はエッシェンバッハとこのオーケストラの相性の良さが伝わってくる名演。エッシェンバッハはこれまでいろんなオーケストラと来日しているし、N響への客演も多いんだけど、しばしば音楽の自然な流れに抗うように軋みをもたらして作品の核心に迫るようなところがあって、それが魅力でもありハラハラするところでもあったりする。でもこのオーケストラとは以心伝心といった様子で、フレーズの終わりで大きくテンポを遅くするような場面でも無理なく棒についてくる。すっかりレパートリーとして手の内に入っているようでいて、決して予定調和的ではなく、進むにつれて熱を帯びてフィナーレは壮麗。アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第1番。
●来日オーケストラということもあるんだろうけど、盛大なブラボーが出て、客席はわいていた。ブラボー禁止時代も昔話か。カーテンコール後、さっと帰る人と残る人に二分されて、エッシェンバッハのソロ・カーテンコールとスタンディングオベーションに。83歳とは信じられない壮健さ。

May 9, 2023

「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(コーマック マッカーシー著/ハヤカワepi文庫)

●ハヤカワepi文庫から新刊として発売された「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(コーマック・マッカーシー著/黒原敏行訳)を読んだ。新刊といっても、これは以前、扶桑社から刊行されていた「血と暴力の国」と同じ作品で、訳者も変わらない。出版社が違うので、これを「復刊」と呼ぶのはおかしいかもしれないが(でも呼んでしまう)、復刊にあたって「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」と改題された。なにしろこの小説はコーエン兄弟の監督により「ノーカントリー」の題で映画化されており、その映画があまりにも強烈で、よくできている。映画ではハビエル・バルデムが殺し屋を、トミー・リー・ジョーンズが保安官を、ジョシュ・ブローリンが大金を盗むベトナム帰還兵の役を務めた。2007年製作の映画は超ド級の傑作だと思うが、バイオレンスの要素が強すぎて、もう一度観るかといえばたぶん観れない。しかし、原作なら読めるんじゃないか。そう思って読みはじめたら、おもしろくて止まらない。コーマック・マッカーシーなんだから、傑作で当然なのだろうが、映画にあったスリルとサスペンスがそのまま原作にあり、同時に映画になかった文学性もあって、なるほど、こういう小説だったのかと納得。
●基本的なストーリーは原作も映画も変わらない。ベトナム帰還兵のモスがたまたま麻薬密売人の銃撃戦があった場所で大金を見つける。死にかけた男が「水をくれ」と言葉を絞り出している。モスは大金を盗む。だれにも見られずに、無事に自分のトレーラーハウスに帰る。ここでモスが賢くふるまっていれば、なにも起きずに話は終わっていた。だが、夜になるとモスは死にかけていた男のことが気になって、自分でもとんでもない愚かなことだと承知しながら、水を持って現場へと戻る。そして、追っ手に見つかる。そこからモスと異常な殺し屋シガーの追跡劇が始まる。さらにふたりを追う保安官が登場する。この保安官の独白が物語で大きな比重を占めているのが原作と映画の大きな違い。ノー・カントリー・フォー・オールド・メン、つまり(アメリカは)老いた人間のための国ではない、という諦念が保安官の独白に滲み出ている。
●もうひとつ原作で顕著だと思ったのは、ある種の神話性。殺し屋シガーは己の利益のためというよりも、余人には理解しがたい絶対的な行動原理にもとづいて殺戮をくりかえす。純粋悪であり、悪神のようでもある。一方、帰還兵モスは金に目がくらんだ人間だ。しかし彼が悪神に追われるようになったのは、金を盗んだからではない。生きているはずもない人間に水をやろうとした筋の通らない慈悲の心が、地獄への扉を開いたのだ。

May 8, 2023

バッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデル「復活」

●7日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)定期演奏会。ヘンデルのオラトリオ「復活」を鈴木優人の指揮で。ソプラノに中江早希、キャロリン・サンプソン、アルトにマリアンネ・ベアーテ・キーラント、テノールに櫻田亮、バスに加耒徹。BCJは前回、バッハの「マタイ受難曲」を聴いたわけだが、イエスの受難から復活へとストーリー的にはつながっていることになる。
●が、音楽はさまざまな点で「マタイ」とは対照的。バッハの敬虔さに対し、ヘンデルはきわめてエンタテインメント性が高い。そもそもバッハは受難を描いているのに対して、ヘンデルは喜びにあふれた復活を描いており、ひたすらハッピーなのだ。登場人物で唯一、悪役であるルチーフェロ(加耒徹)ですらどこかコミカルで、道化役に近い扱い。天使(中江早希)との対決シーンも楽しい。そして、オラトリオと名付けられてはいるものの、合唱の出番はごくわずかで、歌手それぞれに一役があてがわれており、ほとんどオペラ。歌手陣の魅力をたっぷり楽しめて、なおかつオーケストラはソロの聴かせどころが数多く用意されていてサービス精神満点。管楽器も大活躍でカラフル。ヘンデルのイタリア時代の作品にはなじみが薄かったのだが、この祝祭感は際立っている。さすがに後の有名作ほどのキャッチーさはないにせよ、若き日のヘンデルの充実ぶりが伝わってくる。
●ジョヴァンニってヨハネのことなんすね、イタリア語だから。ルチーフェロはルシファー。
●復活したイエスに対して、マッダレーナが傷に口づけしようとしたら、イエスは「私に触れてはいけない」と言って姿を消す場面がある。ここの場面って、もし触ろうとしたら触れるんすかね。つまり復活後のイエスには物理的な実体があるのか、それとも魂だけの霊体なのか(ルーク・スカイウォーカーの前に現れたオビ=ワンみたいに)。

May 6, 2023

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2023、4年ぶりに開催

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2023
●今年のゴールデンウイークは4年ぶりにラ・フォル・ジュルネTOKYOが帰ってきた。記者会見の際にお伝えしたように、今回は有料公演を東京国際フォーラムのホールA、ホールC、ホールD7の3会場に絞った形で、これまでに比べればぐっとコンパクトな形での開催。従来賑わっていた地下の展示ホールが閉鎖されていたり、会場内の装飾が寂しかったりと規模の縮小を感じる一方、客席は大盛況でチケットは次々とソールドアウトに。ホールCはもちろんのこと、5000席のホールAすら完売する公演がいくつもあった。コロナ禍のブランクがあったけど、やっぱりこの時期、多くの人たちがラ・フォル・ジュルネを待ち望んでいたのだということを実感する。ファミリー層など、ふだんの演奏会で見かける人たちとはぜんぜん違った人々がこの音楽祭にはおおぜいやってくる。これがラ・フォル・ジュルネの底力。
●で、今回、自分はいくつか誤算があって、ほんの少ししか公演を聴けなかったのだが、記憶に残った事柄を記しておくと、3日目のホールAで福間洸太朗が横山奏指揮東京21世紀管弦楽団と共演して、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏。歯切れのよい独奏ピアノと柔らかいオーケストラのサウンドの組合せは「外はふわっ、中はカリッ」(いや、逆か?)。アンコールがびっくりで、真っ赤なハチマキを取り出して、なにをするのかと思ったら、ハチマキではなく目隠し。で、ベートーヴェンのソナチネ ヘ長調の第1楽章を左右逆手で演奏した。マジっすかー。お祭りならではのサービス精神。
●もうひとつ、同日ホールCでのベートーヴェンの七重奏曲は、編成の特殊さゆえに音楽祭でこそ名手の共演が聴ける曲目。オリヴィエ・シャルリエのヴァイオリン、川本嘉子のヴィオラ、マクシム・ケネソンのチェロ、髙橋洋太のコントラバス、吉田誠のクラリネット、水野信行のホルン、モリス真登のファゴットというメンバーによる上質のアンサンブル。なかなかライブでは聴けないが、こうして聴くとヴァイオリンがひっぱる弦楽器チームとクラリネットがひっぱる管楽器チームの綱引き感みたいなものがあって楽しい。
●従来、チケット売り場があった場所が物販コーナーになっていた。あと、OTTAVAのブースがぴあクラシックといっしょになって復活していた。地上広場のネオ屋台村は健在。人が多すぎて、ここでの飲食は断念したけど。
●今回も当日配布プログラムの曲目紹介原稿をいくつか書いた(無署名原稿)。それにしてもこのゴールデンウィークはコロナ禍の反動もあって(そして好天にも恵まれ)、どこに行っても人出がすごい。

May 2, 2023

美猫に学ぶモテ術

美猫
●美猫はその美しさと優雅さで多くの人々を魅了しています。そんな美猫から学ぶことができる、男女問わず役立つモテ術を紹介します。

1. 姿勢を正す
美猫は常に姿勢が良く、優雅で美しい動きをします。自分も美猫のように、背筋を伸ばして優雅な動きをするように心がけましょう。姿勢が悪いと、どんなに美しくても不格好に見えてしまいます。

2. 瞳を輝かせる
美猫の瞳は輝いています。自分も美猫のように、瞳を輝かせるように心がけましょう。自信と愛を感じさせる輝く瞳は、誰にでも魅力的に映ります。

3. プライドを持つ
美猫はプライドを持っています。自分に自信を持ち、プライドを持つことは、モテるために大切なことです。自分を大切にし、自分に自信を持っている人は、周りからも尊敬され、魅力的に映ります。

4. 話し方に気を遣う
美猫は、柔らかく優雅な声で話します。自分も美猫のように、話し方に気を遣い、柔らかいトーンで話すように心がけましょう。誰かと話すときは、相手を大切にする気持ちを持ちながら、丁寧に話すことが大切です。

5. 自然体でいる
美猫は、自然体でいることができます。自分も美猫のように、自然体でいることが大切です。自分を偽らず、自分自身でいることが、最も魅力的に映ります。

以上が、美猫から学ぶモテ術です。美猫のような魅力的な人になるために、ぜひ実践してみてください。

●あれ、飯尾さん、どうしちゃったの?と思われたかもしれないが、上記はすべてAIに作ってもらった記事だ(気づいてた?)。猫の写真はMicrosoft EdgeのAI画像生成機能 Image Creator に描いてもらった(OpenAIが開発したDALL-Eが用いられている)。画像生成にあたって、こちらが指示した文言は A beautiful cat sitting by a bright window のみ。
●文章は無料版のChatGPTに書かせた。こちらからのリクエストは、まずこんなふうにお願いした。

あなたは女性誌のコラムニストです。 美猫を題材にした800字以内のウィットとユーモアに富んだコラムを書いてくれませんか。文体は口語的な軽いトーンが好ましいです。

が、これだけではダメなんである。対話型AIを用いるときは、一度のリクエストで最終形を求めるのではなく、まず出てきたものに対してリクエストを重ねながら修正してゆくのが得策という考え方がある。ChatGPTが出してきた初期原稿に対して、こちらは編集者の役割を演じて「内容が平板なのでもっとウィットを盛り込んでほしい」「話に起承転結がないので工夫してほしい」「その文体は素人っぽいから、~~~~してほしい」など、改善のリクエストをいくつも出して、ようやく出てきたのが上の記事だ(その割にこちらのリクエストが実現できていないが)。文章の書き直しはなんども要求したが、ネタについては一切ヒントを与えていない。「美猫に学ぶモテ術」というタイトルもChatGPTが付けた。
●「なあんだ、それでその程度かよ」と思われるなら、まあその通りではある。ただ、ワタシは「美猫」というキーワードから「モテ術」という言葉は発想できないと思う。現状、生成系AI全般に対して漠然と感じているのは、「工程の上流は得意そうだけど、下流は熟練した人間が必要」ということ。つまり、アイディア出しやラフな下書きをやらせることはできても、仕上げの部分ではその分野について熟知した人間が必要になる。上の記事はネットに氾濫するページビュー稼ぎの意味なし記事にはなっても、本物の女性誌のコラムにはほど遠い。またAIはすぐにハルシネーション(幻覚)を起こすので、文章内容の妥当性をチェックするために、信頼できる人間の校閲者が必要になる。翻訳もこなしてくれるが、それを正しく使いこなすには、その翻訳が正しいかどうかを判断できる程度の語学力が必要になる。絵も描けるが、その絵が本当に適切か(人間の指が正しく描けているかといったことから、影が正しい方向に付いているか、だれかの著作物の丸パクリになっていないか等)を確認して、修正しようと思ったら専門的能力が必要になる。
●とはいえ、先日も書いたように、AIはまだ中二くらいで、ぐんぐん成長している段階にある。また、日本語はAIの得意言語ではない。ネット上にある日本語情報は英語情報の30分の1程度だそうなので(AI当人に教えてもらった)、日本語だと学習データの量が少ないのだ。ChatGPTは日本語で尋ねられたとき、内部的に英語に翻訳しているのではなく、日本語を日本語として受け取って、日本語の学習データを参照しているという(これもAI当人に尋ねた)。このあたりの学習データ量の不利が克服されると、まったく違った光景が広がるのかもしれない。
●連休中の当欄は例年通り不定期更新で。

May 1, 2023

ピエタリ・インキネン指揮日本フィルのシベリウス「クレルヴォ」

ピエタリ・インキネン 日本フィル
●28日はサントリーホールでピエタリ・インキネン指揮日本フィル。インキネンの首席指揮者として最後の東京定期ということで、シベリウスの「クレルヴォ交響曲」がとりあげられた。ソプラノにヨハンナ・ルサネン、バリトンにヴィッレ・ルサネン、男声合唱はヘルシンキ大学男声合唱団と東京音楽大学の合同で。フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を題材とした初期の大作。
●全5楽章だが、声楽が入るのは第3楽章と第5楽章のみ。長大な第3楽章が全曲の中心。圧巻。クレルヴォが誘惑した娘は実の妹だった、という物語はどうしたってワーグナー「ニーベルングの指環」のジークムントとジークリンデを連想させる。曲中の歌詞には出てこないが、クレルヴォが鍛冶屋のところで働かされるというストーリーも、ジークフリートを思わせる。音楽は冒頭こそ一瞬ワーグナーを連想したが、あっという間に若き日のシベリウスの豊かな語り口で染められる。壮大な叙事詩にふさわしい起伏に富んだ音楽なのだが、兄妹の近親相姦が判明するショッキングな第3楽章の後、第4楽章の戦闘の音楽が急に楽天的なタッチになるのが割と謎。なんとなく、作品の「つなぎ目」を感じる。最後の第5楽章はふたたびシリアスな曲調にもどってクレルヴォの自決が描かれる。
●字幕はなかったが、テキストの分量がそう多くはないので、事前にプログラムの対訳に目を通すことでカバーできる範囲。男声合唱がすばらしい。力強く明快で、意外と明るい声。独唱者のふたりが姉弟なのにもびっくり。インキネン指揮の日フィルは集中力が高く、弛緩するところがない。透明度の高いサウンドも吉。これまでインキネンはあまり積極的には聴いてこなかったけど、これは記念碑的名演だと思った。インキネンのソロ・カーテンコールあり。

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