●20日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。チケットは完売。プログラムはリゲティのムジカ・リチェルカータ第2番(ピアノは小埜寺美樹)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。休憩なし。興味深い組合せだけど、頭にこんな短いピアノ独奏曲を演奏するために舞台転換をするの?と思ったら、そうではなく、ステージ上手奥にピアノが置いてあって、全員着席した状態でリゲティを演奏し、切れ目なくマーラーにつなげる方式。マーラーが始まる瞬間はすこぶるドラマティック。
●マーラー「悲劇的」は遅めのテンポで始まったのが意外。ピンと張りつめた空気のなかで、マッシブな響きが鳴り響く。解像度が高く、なおかつ豊麗なサウンド。楽章配置は第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテという順番。自分が比較的近年にライブで聴いた「悲劇的」では、このスケルツォ─アンダンテの順がネルソンス&ボストン、パーヴォ・ヤルヴィ&N響、サロネン&フィルハーモニア、アンダンテ─スケルツォの順がドゥダメル&LAフィル、カンブルラン&読響(だったと思う)。先にスケルツォだと、第1楽章との連続性が感じられて(第5番の第1楽章と第2楽章と似たように)、楽曲全体を急─緩─急の三部構成でとらえることもできる。第3楽章のアンダンテが情感豊か。絶美。第4楽章は始まって間もないところで、いきなり問題のハンマーが鳴らされて「えっ!?」。こんなところでなぜハンマー。この曲にはハンマーの打撃は2回か3回かというトピックスがあるわけだが、ノットが選んだのはなんと5回。初めて聴いたけど、5回の初期稿がある。ともあれ、ハンマーはあくまで楽音のひとつとして扱われ、過度にスペクタクルに傾かない。カウベルは2階上方なのか、不思議なところから聞こえてきて立体音響に。
●先日、同コンビでシュトラウス「エレクトラ」を聴き、その巨大さに圧倒されたばかりだが、同じ1900ゼロ年代に誕生したこの「悲劇的」もやはり巨大な音楽で、荒れ狂う嵐のよう。「エレクトラ」と違い物語性がないところで、音楽的なイベントが次から次へと起きるわけで、これを当時の人が初めて聴いてなんらかの文脈を把握して味わうのは至難の業だったにちがいない。次になにが起きるか、あらかじめ知っているから満喫できる曲というか。これほど録音再生技術の恩恵を受けている作曲家もいないかも。
●演奏後の客席は熱かった。とりわけホルンには大喝采。ノットのソロカーテンコールとスタンディングオベーションあり。ノットは客席を讃えるような仕草で、満足げ。
May 22, 2023