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June 9, 2023

HIPであること、「LAフード・ダイアリー」(三浦哲哉著/講談社)

●クラシック音楽の世界でHIPといえば、Historically Informed Performanceの略。作曲当時の楽器や奏法を研究し尊重することで、古楽を20世紀以降の演奏慣習から解き放ち、作品を本来あるべき姿でとらえ直そうとする。「オーセンティックな」という主張の強い言い方に比べると、客観的で謙虚さが感じられる表現だと思う。だれが最初にこの言い方を始めたのかは知らないのだが、もちろんこの略号には言葉本来の意味で「hip」である、つまり「カッコいい」「流行の」というニュアンスを含んでいるのだろう。そこにはこれらピリオド・スタイルの演奏はおおむね斬新で刺激的だという含意があったはず。もしかすると先に「hip」という言葉があって、そこにHistorically Informed Performanceという言葉をあてはめたのかもしれない……。
●というのが、つい先日までの自分の漠然とした理解だった。が、アメリカの食文化について書かれた本を読んでいて、目から鱗が落ちたので、以下に記しておく。読んだのは「LAフード・ダイアリー」(三浦哲哉著/講談社)。まずこれが本としてめっぽうおもしろい。映画研究者で食文化に造詣の深い著者がLAに住み、最初はその異次元の食文化に衝撃を受けるが、恐ろしく多様性に富んだ現地のレストランで食べ歩きを敢行することで、LAにおける美食の価値観への理解を深めてゆく。そんな食のエッセイでもあり、都市文化論でもある。
●で、目をみはったのは、「ヴェニスの『ヒップな』食」と小見出しが打たれた一節。ヴェニスというのはイタリアではなくLAの一地区の名なのだが、ヘルシー&オーガニック志向の店が並ぶ通りにあるジェリーナという人気レストランを訪れるくだりがある。このお店を訪れると、店内がおしゃれであるばかりか、客も「ファッション・ピープル風」の率が異様に高い。料理の味と客のかっこよさがどう関係しているのか。そこで、著者はジョン・リーランド著「ヒップ──アメリカにおけるかっこよさの系譜学」を思い起こし、こう述べる。

リーランドは、アメリカにおけるポップカルチャー、とりわけカウンターカルチャーにおいて、「ヒップ」(=かっこよさ)と呼ばれる価値の内実がどのようなものかを系譜学的に辿りつつ解き明かす。まず指摘されるのは、「ヒップ」の語が、もともと西アフリカのウォロフ語において「見る」を意味する言葉「へピ(hepi)」ないし「目を開く」を意味する「ヒピ(hipi)」だった事実である。「ヒップ」は、「見る」こと、さらに敷衍して「知ること」、「知識を持つこと」をも意味した。あえて英語の外の、謎めいた響きを持つ語が用いられていることがポイントだ。「ヒップ」はそれ自体、隠語である。つまり「ヒップ」であることとは、ただ単に知識を持つということではなく、隠された秘密の知識を持つことを指す。それが、かっこいいのだ。

なんだか音楽の世界に近い話になってるぞ、と思う。ヒップ、それは隠された秘密の知識を持つこと。そして、高級レストランはヒップには該当せず、エスタブリッシュメント層にはわからない猥雑なメニューをそろえる店こそヒップだという。ヒップの語源が西アフリカというのも驚き。
●さらに著者は高級オーガニック・スーパーで「ほとんど疑似科学というかオカルトめいた、あやしい健康食品」をせっせと買い込む高感度そうな買い物客たちについても、リーランドのヒップ論が理解を助けると指摘する。

規格化された合理的大量生産品の行き渡るアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを当然視する世の風潮に抗って、自分たちだけが、忘れられた太古の言語を学び直している──そのスタンスこそが「ヒップ」である。もちろん極めてまっとうな科学的知見にもとづいて食をめぐる実践に身を投じる方も多くいるだろうが、しかし、オーガニック・ライフスタイルが、しばしば秘教的なものといともたやすく結びついてしまうのは偶然ではないのだ。

●忘れられたいにしえの言語を学び直すのがヒップ。わわ、本当にHistorically Informed Performanceの話をしているみたいではないの。ドキドキしながら読んでしまった。規格化された大量生産品に抗うという姿勢もどこか一脈通じている。
●ちなみに本書には著者の公開レクチャーを掲載した「映画と牛の関係について」という章があって、これがまためちゃくちゃおもしろい。映画と食の関係について「牛」をキーワードに論ずるのだが、あまりに展開が鮮やかで感嘆せずにはいられない。