amazon
July 12, 2023

「太陽の帝国」(J.G.バラード著/山田和子訳/東京創元社)

●ずっと前にKindle版を買って電子積読状態だったJ.G.バラードの「太陽の帝国」(東京創元社)をようやく読む。原著は1984年発表のブッカー賞候補作。翻訳は国書刊行会から出ていたが、2019年に山田和子の新訳により東京創元社から刊行されて入手しやすくなった。少年期を上海の共同租界で暮らしたバラードの自伝的小説。これまでバラードの多くの作品を読みながらも、名作中の名作とされる「太陽の帝国」を読まずにいたのは、ひとえにこれが日本軍による現実の戦争を描いているという憂鬱さゆえ。が、これはもっと前に読んでおくべきだった。決して凄惨なばかりの話ではなく、意外にも後味は悪くない。
●主人公は11歳のイギリス人少年ジム。上海の共同租界で中国人の運転手や使用人に囲まれて暮らしていたが、日本軍が上海を制圧すると、両親とはぐれたまま、3年以上にわたって捕虜収容所で暮らすことになる。戦況の変化とともに次第に収容所の暮らしは過酷になり、食料の配給は減り、病が蔓延する。生と死が隣り合わせの環境のなかで、ジムは多様な大人たちとかかわりながら自分の居場所を見つけ、生きのびる。リアルだなと思ったのは、ジムはこの収容所生活をある意味で心地よく感じており、そこから出ることに恐れを抱いているところ。「破滅的な世界で主人公が心の平安を得る」というのはバラードの小説にたびたび登場するモチーフだが、それはバラードのイマジネーションの産物などではなく、少年時代の実体験そのものであることを知る。後の自伝でバラードは「結婚して子供を持つまで、収容所時代より幸せだったことはなかった」とふりかえっているほど。
●収容所を追い出されるとき、人々は「ひとりスーツケース一個まで」を持つことが許される。日本兵に連れられ、行き先の不確かな行進が続くなか、疲労と飢えで捕虜たちはひとりまたひとりと行進から脱落する。そこでジムが目にした光景は、あまりにもバラード的だ。

弾薬搬送トラックの前に来たところで後ろを振り返ったジムは愕然とした。無人の道路に何百というスーツケースが転がっていた。荷物を運ぶのに疲れはてた人々が次々に無言で置いていったのだ。陽光を浴びた道路に連なるスーツケースや籘のバスケット、テニスラケットやクリケットのバットやピエロのコスチューム――それはまるで大勢の行楽客が荷物を置いたままで空に消えてしまったかのような光景だった。

●「太陽の帝国」はバラードの実体験にもとづいているが、現実とひとつ大きく異なるのは、バラードは両親とははぐれておらず、いっしょに捕虜収容所にいたこと。収容所で両親は自分の面倒をよく見てくれたが、それでもこの体験で親との間に溝ができてしまったとバラードは語っている。これはよくわかる話。11歳から14歳になるバイタリティにあふれた少年が、過酷な環境で大人たちからどう見えていたか。小説内で主人公は次第に両親の顔を忘れて思い出せなくなるという描写があるが、それはある種の現実の反映でもあったのだろう。