●「ボンクリ」といえば毎年東京芸術劇場で開催されている「新しい音」が聴けるフェスティバル。盆とクリスマスがいっしょにやってきたような目出度い音楽祭だから「ボンクリ」……ではなくて、人は生まれながらにして創造的である、という意味でボーン・クリエイティブ、略してボンクリ。そのアーティスティック・ディレクターである作曲家の藤倉大が、6人の音の匠を招いて講義をしてもらい、それを踏まえて対談した一冊が「軽やかな耳の冒険: 藤倉大とボンクリ・マスターズ」(藤倉大、他6名著/アルテスパブリッシング)。招かれているのは、映画「蜜蜂と遠雷」の監督である石川慶、舞台音響のデザイナーの石丸耕一、演出家の岡田利規、レコード・プロデューサーの杉田元一、数々の著名ホールの音響設計で知られる豊田泰久、箏奏者の八木美知依。どの章もその道の匠ならではの話が興味深く、しかも、すいすい読める。
●いちばんおもしろいと思った章をひとつあげるなら、石丸耕一と豊田泰久による「コンサートホールにおけるPAを考える」。電気音響と室内音響の微妙な関係性や、サウンドデザインの難しさなど、ためになる話ばかり。「クラシックはPAを使わないから関係ない」と思うかもしれないが、話はそう単純ではない。コンサートホールだと残響が豊かなので、トークになると言葉が聴きとれないという経験はみんなあると思う。そういう場合に、マイクのスイッチを入れて音量をただ上げるんじゃなくて、子音成分を足すって言うんすよ。これって納得じゃないすか。で、オペラなんだけど、芸劇で2020年に上演された「ラ・トラヴィアータ」について、こんなことが書いてあって、ええっ、そうだったのかとびっくり。天井から幅4cm、長さ2mの棒みたいなスピーカーが下がっていたそうで、その役割についてこんなふうに説明されている。
石丸 ここから歌い手の声の子音成分だけを出しています。このコンサートホールは母音成分が豊かに増幅されるので、舞台上にしこんだ拾いマイクから歌い手の声のうち子音成分だけを抽出して、舞台上から歌声が届いていく時間差のディレイをかけて、子音成分だけを出しているわけです。すると、お客さんには生にしか聞こえないけれども、歌がちゃんと聴きとれるようになるわけです。
芸劇のオペラ、なんども足を運んでいるけど、ワタシはPAの存在を感じたことは一度もない。そしてPAの役割を「マイクのスイッチを入れて音量を上げる」みたいな感覚で理解するのはまったくのまちがいだということがよくわかる。よくオペラ・ファンは「歌詞が聴きとれる/聴きとれない」といったことを話題にするけど、それは歌手の技術によるのか、サウンド・リインフォースメント(という言葉を石丸氏は使っている)のおかげなのか、そんなことも考えずにはいられない。
●ところでこの本、カバー挿画を見て「あ、これは!」と思ったら、やはり今井俊介作品であった。東京オペラシティアートギャラリーの「今井俊介 スカートと風景」展、演奏会の前になんども寄ったので。