●(承前)先日、ヴェルディの「オテロ」をきっかけにシェイクスピアの「新訳 オセロー」(河合祥一郎訳/角川文庫) の話を書いたが、その続きを。デズデモーナとオセローは肌の色が違うことに加えて、年齢差もかなりあるというが、実際どれくらいの差かというと、訳注によればデズデモーナはおそらく10代、オセローは40歳近いと推定されている。当時の記述では「40歳は老年の始まり」だという。で、ヴェルディのオペラ「オテロ」で考えてみると、オテロが老年の始まりにあるというのは、まあそうかなと思うのだが、デズデモーナが10代という感じはまったくしない。むしろ成熟した女性というイメージ。「柳の歌」にティーンエイジャーの雰囲気はない。
●シェイクスピア「オセロー」で、いよいよデズデモーナがオセローに殺されそうになる場面で、デズデモーナは「まだ死にたくない」「殺さないで!」と命乞いをし、さらに「殺すのは明日にして、今夜は生かしといて!」とお願いし、それも許されないとなると「30分でも!」と懇願する。それまで本気では自分の身を案じていなかったデズデモーナが、「えっ、この人、マジだったんだ!?」と動揺している様子が想像できる。このあたりに10代女子感があるかも。
●もうひとつ。フォークナー「響きと怒り」(平石貴樹、新納卓也訳/岩波文庫)の第3章でジェイソンはこう語る。
俺は一人前の男なんだし、我慢だってできるんだ、面倒を見てるのは自分の血を分けた肉親なんだし、俺がつきあう女に無礼な口をきく男がいたら、どうせ妬んで言ってることは目の色を見りゃあわかるのさ
この目の色とは緑だという話を以前に書いた。嫉妬する者は緑色の目をしているというのは「ヴェニスの商人」が出典だということだが、「オセロー」でもイアーゴーの台詞にこの表現が出てくる。
ああ、嫉妬にお気をつけください、閣下。それは緑の目をした怪物で、己が喰らう餌食を嘲るのです。
●じゃあ、なんで嫉妬する者の目の色は緑なのか。それが引っかかっていたのだが、河合祥一郎の訳者あとがきで、これが古代ギリシャの四体液説に由来するとあった。人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つからなるとされ、嫉妬は不機嫌さを司る黄胆汁から生まれるというのだ。黄胆汁が多すぎると、人は短気で嫉妬深くなる。それで黄胆汁が緑がかった黄色であることから、嫉妬する者の目の緑になるという理屈らしい。
●でも、だったら緑じゃなくて黄色でよくない?と思わんでもない。