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October 6, 2023

東京国立近代美術館 所蔵作品展「MOMATコレクション」

東京国立近代美術館では本日から棟方志功展が始まっているのだが、それに先んじて所蔵作品展「MOMATコレクション」を見てきた。空いていて快適。来場者の半分以上は外国人旅行者だったかも。
●コロナ禍をきっかけに、ここの所蔵作品展にはひんぱんに足を運ぶようになったのだが、なにせコレクションが膨大なようで、どんどん展示物も変わり、まったく飽きない。もちろん、好きな作品をくりかえし眺めるのも吉。そして、新収蔵作品も増えている。たとえば、こちら。

風間サチコ「セメント・モリ」
●風間サチコ「セメント・モリ」(2020)。すごくないすか、コンクリートの材料であるセメント、その材料である石灰岩、石灰岩の採掘に従事する労働者といった要素が重ねられて、「メメント・モリ」ならぬ「セメント・モリ」。

牛腸茂雄 SELF AND OTHERS
●牛腸茂雄の写真、SELF AND OTHERSから26点がまとめて展示されている一角がある。ハッとしたのはこの一枚。えっ、これ、双子(?)の女の子が並んでいるだけなのに、なんだか怖い……。1977年の作品。キューブリック監督の映画「シャイニング」はいつだっけと思って確認したら、1980年。牛腸茂雄のほうが先なので「シャイニング」とは無関係だ。それにしても。

太田喜二郎の「桑つみ」
●こちらは太田喜二郎の「桑つみ」(1916)。「労働」を題材とした絵画にはなぜか無条件で惹かれてしまう。印象主義風の明るい点描によって描かれる日本の田舎の光景。この作品は2018年に修復されて、色彩の鮮やかさが回復されたのだとか。なるほど、屋外で太陽の光が当たっているのだから明るく鮮やかな絵であるはず。
●素朴な疑問なんだけど、アートというのはいつアートでなくなるんすかね。日々新たな作品が生まれているということは、どこかで日々捨てられる作品もあるということなのか、それともアートは一方的に増え続けるものなのか。音楽は日々作られても、楽譜は本質的にデジタル情報だから収納場所の問題はないし、曲が演奏されなくなれば自動的に消えてゆく。でも、実体のあるアートはだれかが廃棄しない限り、存在しつづける。どこかで「この作品はもう芸術的価値を失ったね」という瞬間がやってくるのだろうか。