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2023年11月アーカイブ

November 30, 2023

東京国立近代美術館「棟方志功展」とベートーヴェン

棟方志功 飛神の柵
●東京国立近代美術館の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」へ(~12/3)。代表的な板画作品から初期の油画や、倭画、本の装幀、包装紙のデザインなど、思った以上に作風が幅広い。大作もあり、迫力満点。上は東北地方の民間信仰「オシラ様」を描いた「飛神の柵」(とびがみのさく)(1968)。

棟方志功
●日本的な題材も西洋的な題材もあって縦横無尽といった感だが、音楽関連でいうとベートーヴェンをテーマにした作品がいくつか。ひとつは上の「歓喜頌」(1952)。「第九」の「歓喜の歌」を題材とした大作で、遠目にはウネウネとした模様だが、近くで見れば裸婦群像だとわかる。本来は六曲一双の作品で、左隻は紛失し右隻のみが残っているのだとか。左隻にはなにが描いてあったんでしょね。

棟方志功
●こちらは「運命頌」(1950)。制作段階からベートーヴェンの交響曲第5番「運命」をテーマにすることが決められていた。大きいので左上の部分を中心に。四対からなるのは第1楽章から第4楽章に対応しているのだろうか。とてもパワフル。各図に彫られているテキストはニーチェの「ツァラトゥストラ」冒頭の文章なのだそう。

棟方志功
●「歓喜自板像・第九としてもの柵」(1963/1974摺)。シリアスなトーンの前2作とはちがって、こちらはカラフルでなんとも楽しそうな図。棟方は制作時に「歓喜の歌」をよく口ずさんでいたという。ご機嫌なムードが吉。「第九」って最後はこんな感じで終わる曲だよなー、と納得させられる。

棟方志功 紙袋と包装紙
●おまけ。「頼まれれば気軽に引き受けた」という包装紙や紙バッグのデザイン。「ああ、これね」ってなる。

November 29, 2023

来日オーケストラ・ラッシュ、ヴァンフォーレ甲府の奮闘

●今月はとてつもない来日オーケストラ・ラッシュでウィーン・フィルとベルリン・フィルが同時に来日していたうえに、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、マーラー・チェンバー・オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といったトップオーケストラの公演もあって、すごいことになっていた。こんなに円安なのに来日ラッシュが実現するのは不思議な感じがする。詳しいことは知らないのだが、契約と公演にはタイムラグがあるだろうから、円安が効いてくるのはもう少し先で、今月の来日ラッシュはコロナ禍の反動だったのだろうか。
●ちなみに今日、11月29日、国立競技場でアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)のヴァンフォーレ甲府vsメルボルン・シティFCが開催される。諸般の事情があり、甲府の試合なのに国立競技場での開催。チケット代はかなり安価に設定されている。そもそも甲府はJ2のチームなのだが、昨季、大番狂わせで天皇杯を制してACLへの出場権を獲得した。たとえ2部リーグのチームであっても勝ち続ければ、国際試合に出場できるし、可能性の上ではアジアのチャンピオンにだってなりうる。フットボールの夢だ。
●ただ、現実には予算のない甲府がアジアの戦いをするのは大変で、ただでさえキツいのに円安で遠征費も膨れ上がっているのだろう。Sportivaの記事によれば、アウェイの試合でビジネスクラスの航空券が買えない。アウェイのメルボルン・シティ戦では、メルボルン往復のビジネス航空券の値段を聞いた瞬間に諦めたという。それでエコノミークラスの団体券を買ったというのだが、一般人の旅行とちがって、試合に出るメンバーを購入時に確定することができない。エコノミーでは搭乗者の変更ができないため、ACLの登録選手の全員分の券を買っておいて、直前に遠征メンバーが決まってから15人分をキャンセル料を払ってキャンセルしたとか。それで豪州の強豪相手に0対0で大善戦して帰ってきたのだ。すごすぎる。
●そんな甲府が国立競技場をホームとしてメルボルンを迎え撃つ。これは現地で観戦すべきでは。甲府の大奮闘に感激したワタシは、もうずっと前からスケジュール帳の11月29日の夜に「国立競技場」と書き入れてあった。だが、予定を書いたのは秋だった。それからあっという間に寒くなった。天気予報の予想気温を見て、やっぱりDAZNでいいじゃないのと思っている軟弱者がここにいる。

November 28, 2023

「ミセス・マーチの果てしない猜疑心」(ヴァージニア・フェイト著/青木千鶴訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)

●これは怪作。ヴァージニア・フェイト著の「ミセス・マーチの果てしない猜疑心」(ハヤカワ・ミステリ文庫)。なんの予備知識もなく読みはじめたのだが、とても展開がイジワル。主人公はベストセラー作家の妻ミセス・マーチ。時代は1960年代か70年代くらいだろうか。著名な夫を持ち裕福な暮らしを送るミセス・マーチだが、あるとき、夫の新作小説の主人公である醜い娼婦は自分がモデルなのではないかと疑う。一度心のなかに芽生えた猜疑心はどんどんふくらみ、近隣の人々が自分を馬鹿にしているのではないかとか、家の中にイヤな虫がいるのではないかと疑い出し、しまいには世間を賑わす殺人犯の正体は夫であると確信する。
●著者の力量が並外れていると思うのは、ほとんど狂人の思考を描いているにもかかわらず、読者の共感を誘うところ。ミセス・マーチほどの妄想でなくとも、人は猜疑心に苦しむことは多々あるし、些細なことが理不尽に気になったりすることは珍しくない。笑えるようでいて笑えないというか、人の心の危うい部分をチクチクと突くところがあって、このバッドテイストがなんともいえない。根底にあるのは虚栄心なのだが、現実認識とは事実と妄想に簡単に二分できるものではないので、この小説が成り立つのだと思う。
●で、イヤな話だなと思いつつ、読みだしたら止まらなくなったのだが、中盤で「あっ、この話の結末が見えた!」と思った。最後にびっくりさせる展開があって、こんなふうに終わるんだろうなと、わりと自信を持って予想したのだが、まったく違う結末だった。マジっすかー。映画化されるそうです。

November 27, 2023

J1リーグは神戸が創設29年目で初優勝

●悔しい話ではあるが、25日、ヴィッセル神戸がクラブ創設29年目で初優勝を果たした。2位で追うマリノスにも可能性は残っていたが、その前日にマリノスがホームでの新潟戦に引き分けてしまったため、この時点で逆転優勝はないとは思っていた。前にも書いたが、マリノスは積極投資で優勝を果たした後の回収局面に入っており、選手層が大幅に薄くなった。それでも最後まで優勝争いに絡めたのだから、むしろ大健闘したと思う。
●神戸は楽天の三木谷会長の巨額投資のおかげで、人件費はぶっちぎりで1位。「バルセロナ化」を掲げ、イニエスタをはじめ、世界的スーパースターのベテラン選手を次々と獲得した。が、昨季などは一流選手をずらりとそろえながら残留争いに巻き込まれたほど。それが今季は様変わり。フィジカル重視で前線からガツガツとプレスをかけるハードワークのフットボールにモデルチェンジして、勝点を積み上げた。なにより、超高額年俸のイニエスタをベンチに追いやった吉田孝行監督の決断力がすごい。強靭さを求めるチームにイニエスタの居場所はない。推定年棒20億円(その前は32億だったとか)のスーパースターを控えにするなんて、並の監督にはできないことだろう。結局、イニエスタは自らチームを去ることになった。最後の試合でベンチに退く際には吉田監督と握手すらせず、対戦相手の札幌のペトロヴィッチ監督と抱擁を交わしていたほど。元マリノスの選手でもあった吉田孝行監督の信念と決断力があって、はじめて人件費にふさわしい結果を手にできたことは忘れないようにしたい(←強引すぎる負け惜しみ)。
●J2の東京ヴェルディがプレーオフでJEF千葉を破り、J1昇格に向けて清水と決勝戦を戦うことになった。来季は久々にJ1でヴェルディの姿を見られるかも。かもん、ヴェルディ。

November 24, 2023

アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナー

ネルソンス ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
●22日はサントリーホールでアンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。ウィーン・フィルとベルリン・フィルの公演が連続していたところに続いてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。今月はトップ・オーケストラのすさまじい来日ラッシュになった。プログラムはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と「愛の死」、ブルックナーの交響曲第9番。なにしろウィーン・フィルとベルリン・フィルを聴いた直後なので、さすがにインパクトは欠けるかなと思っていたらさにあらず。ワーグナーもブルックナーもすごく味わい深い。香り立つような豊かなサウンド。といっても、ベルリン・フィル的な完全主義の世界とはまったく別路線。均質ではなく、ときに整然ともしていないところから生まれる秩序というか美意識というか。これがドイツのオーケストラだよなと思う一方、ゲヴァントハウス管弦楽団の昔のイメージ(マズアとか)から比べるとずいぶん垢抜けて、明るい音が出ている。ネルソンス、前回聴いたのはサイトウ・キネン、その前はボストン交響楽団だったけど、今回のゲヴァントハウス管弦楽団がいちばん感銘を受けたかな。ここでしか聴けないものを聴けたという喜びがある。
●ブルックナーの交響曲第9番はSPCM補筆完成版の第4楽章を知って以来、第3楽章で終わってしまうと、なにか決定的な要素が欠けてしまうと思っていたんだけど(たとえあの補筆完成版の密度が薄かったとしても)、今回みたいな演奏を聴いてしまうと、やっぱり第3楽章で終わりでいいんじゃないかという気分になる。この日の白眉が第3楽章で、崇高なんだけど、陶酔感にあふれていて、すっかり満たされる。あの第4楽章は「そうじゃねえぞ」って現実に還る音楽なんすよね、自分の理解では。だから第3楽章で終わったほうが、優しいというか、逃避的で気持ちいい。
●しっかりとカーテンコールをくりかえしたが、それでも多くのお客さんが拍手を続け、最後はネルソンスのソロ・カーテンコールに。

November 22, 2023

ミューザ川崎 キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルのブラームス他

ミューザ川崎 キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル
●21日はミューザ川崎へ。ふたたびキリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル。プログラムはモーツァルトの交響曲第29番、ベルクのオーケストラのための3つの小品、ブラームスの交響曲第4番。今回の来日公演はこのAプロと、前日の「英雄の生涯」他のBプロの2種類。モーツァルト、ベルク、ブラームスという組合せは、ウィーンで活躍した作曲家たちを集めたプログラムということになるわけだが、たまたま会場で会ったベテラン評論家氏から、モーツァルトの交響曲第29番がカラヤン&ベルリン・フィルによる最後の来日公演の曲目だったことを知る。そういえば、ブラームスの交響曲第4番はラトル&ベルリン・フィルの最後の来日公演の曲目では。そんな節目の曲がペトレンコ&ベルリン・フィルの最初の来日公演でとりあげられたことになる。
●前日のBプロはオーケストラの機能性がものをいうプログラムだったけど、この日のAプロはベルクはともかく、モーツァルトとブラームスの作品にスペクタクル要素は皆無。その分、ペトレンコのキャラクターがよりあらわれていたかも。モーツァルトはくっきりと鮮やか。HIPな要素はないが清新。第2楽章の終結部でオーボエ(ジョナサン・ケリー、たぶん)が「鶴の一声」みたいに高々と奏でたのが忘れられない。ベルクはハンマーが使用されるという一点に留まらず、マーラーの音楽の延長上にあって、その先に「ヴォツェック」を感じさせる音楽。無調であっても漆黒のロマンティシズムが背景に漂っている。圧巻は後半のブラームス。第1楽章の終盤からの白熱は見事。第3楽章は切れ味鋭く、終楽章は怒涛の勢い。あのフルートのソロ(セバスチャン・ジャコー、たぶん)、寂寞としてしみじみするところだけど、勢い込んで吹く、みたいな独特の歌いまわしで強烈。大枠で奇を衒う部分はなく、まさしくベルリン・フィルのブラームスといった造形だけど、ペトレンコはダイナミクスやテンポ、フレージングなど細部に彫琢を凝らして磨き上げる。アンコールはなく、カーテンコールを早めに切り上げ、最後はペトレンコのソロカーテンコール。
●コンサートマスターは新しい人で、名前がなかなか覚えられないんだけど、同楽団初の女性コンサートマスター、ラトヴィア人のヴィネタ・サレイカ=フォルクナー。アルテミス弦楽四重奏団の元第1ヴァイオリン奏者。隣に同じくコンサートマスターのノア・ベンディックス=バルグリーが座っていた。前日のBプロではコンサートマスターが樫本大進、フルートにパユ、オーボエにマイヤー、クラリネットにフックスで、成熟したベルリン・フィルといった感じだったけど、この日のほうはフレッシュで現在進行形のベルリン・フィルという印象。ホルンは両日とも途中からドール。弦は対向配置。

November 21, 2023

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルのレーガー&シュトラウス

●20日はサントリーホールでキリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル。ついにこのコンビをライブで聴くことができた。プログラムはレーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ」とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。同時代のドイツの作曲家の作品を2曲並べた趣向。で、この公演については別の媒体で書くことになっているので(←ウチじゃ珍しいパターンだけど、いっぺん言ってみたかった)、ここではブログ向けの書き方をする。
●ベルリン・フィル、すごっ! 超すごっ! もうありえないくらい、すごっ!(←語彙)。マジでびっくりした。こんな音、ほかのオーケストラじゃ聴いたことないし。いや、ラトル時代もすごかったんすよ、もちろん。でも久々に聴いて改めて思ったけど、やっぱりここの音は段違いだと思った。こんな柔らかくて芳しいレーガーを聴いたことないし、こんなに強靭で精緻な「英雄の生涯」も聴いた記憶がない。コンサートマスターは樫本大進。ため息が出るほどすばらしいソロ。輝かしい。
●同じ場所で前日にウィーン・フィルを聴いたばかりなので、両者の方向性の違いをあらためて感じる。ウィーン・フィルのわきあがる音楽の喜びも最高だけど、ベルリン・フィルのアスリート的な完璧主義も最高。すごいところまで来てしまったな、オーケストラ芸術。いやー、ホント、ベルリン・フィル、すごっ! すごい、すごすぎる。もう「すごい」しか出てこないのだが、どうしたものか。

November 20, 2023

トゥガン・ソヒエフ指揮ウィーン・フィルのシュトラウス&ドヴォルザーク

トゥガン・ソヒエフ指揮ウィーン・フィル●19日はサントリーホールでトゥガン・ソヒエフ指揮ウィーン・フィル。この日がツアー最終日。プログラムはリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」とドヴォルザークの交響曲第8番。今回の来日公演の曲目でいちばん惹かれたのが「ツァラトゥストラ」だったので、この日に。おなじみオットー・ビーバ博士のプログラムノートに、ウィーン・フィルはスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」にカラヤン指揮による録音を提供したという一文があって、なんだか感慨深い(じゃないすか?)。
●前半の「ツァラトゥストラはかく語りき」はウィーン・フィルならではの柔らかく豊麗な響きを堪能。力みがなくまろやかで、官能性を感じるほど。ソヒエフのカラーよりもオーケストラのキャラクターが前面に出ていた感。前半ながら曲が終わった後、客席に完璧な沈黙がしばらく続いた。後半のドヴォルザークはぐっとソヒエフの個性があらわれた演奏だったと思う(特に第2楽章以降)。第1楽章、序奏のチェロがスモーキーで芳しい。主部はテンポ速め。第2楽章は彫りの深い音楽でエモーショナル。この日の白眉か。ソヒエフらしい、粘性の高いマグマみたいな流体がゆっくりと動き出して、やがて大きな流れが生み出されるイメージ。エネルギッシュな終楽章が終わるやいなや、盛大な喝采。
●本編が少し短めだったが、アンコールが2曲も。ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「芸術家の生活」とポルカ・シュネル「雷鳴と稲妻」。ソヒエフは快適そうにオーケストラをドライブ。これはどう見ても近い将来の「ニューイヤー・コンサート」に招かれるとしか。いよいよソヒエフが大指揮者の域に到達しつつあるのだと感じる。楽員退出後も拍手が鳴りやます、ソヒエフとコンサートマスターのライナー・ホーネックがいっしょに登場、カーテンコールとスタンディング・オベーション。

November 17, 2023

ニッポンvsミャンマー代表 ワールドカップ2026 アジア2次予選

ニッポン!●さて、いよいよワールドカップ2026アジア2次予選が始まった。ニッポンはシリア、北朝鮮、ミャンマーと同組。なんという組合せ……。サッカー以外の部分で難しい相手ばかりがそろってしまった。特にアウェイは未知数が多い。まずは初戦はホームでミャンマー戦。
●2次予選のホームゲームは欧州から選手を呼ばなくても、Jリーグの選手で戦えばいいんじゃないか、という論調があった。が、森保監督はほぼベストメンバーを招集。まあ、それはそうだろうとは思う。メンバーを落として戦って勝てなかったら大批判は必至。消化試合ならともかく。とはいえ、三笘や前田、古橋など怪我人が続出して、メンバーは多少落ちてしまった。
●で、メンバーはGK:大迫(→前川黛也)-DF:毎熊、谷口(→渡辺剛)、町田浩樹、中山雄太-MF:鎌田(→佐野海舟)、田中碧-堂安、南野(→守田)、相馬-FW:上田(→細谷真大)。あれ、久保も遠藤航も伊東もいないぞ、と思うわけだが、どうやら21日のアウェイのシリア戦(開催地はサウジアラビア)で主力チームを出場させ、ホームのミャンマー戦はいろんな選手を試そうということらしい。たしかにホームのミャンマー戦がいちばん勝ちやすい相手ではある。試合がはじまってみるとミャンマー代表はほぼ守るだけで、得点を奪われても守り続けた。守備は激しくない。軽いスパーリングみたいな一方的なゲームになり、ニッポンは上田、鎌田、上田、上田、堂安とゴールを重ねて5対0。ミャンマーのシュートはゼロ、チャンスもゼロだった。きわめてプレッシャーの軽い特殊な試合になってしまったので、選手の評価はできないと思う。
●ニッポンの左サイドは三笘という絶対的なエースがいるが、最近では成長著しい中村敬斗も強力。今回はふたりとも怪我で不在だったので、三番手として相馬にチャンスが巡ってきた。いや、次のシリア戦に出る選手が三番手で、相馬はその次かもしれない。でも序列はいつどう変化するかわからない。まだまだいろんな可能性があると思う。
●キーパーが途中で大迫から前川に交代しているが、これはアクシデントではない。余裕のある展開で前川に代表出場歴を付けておきたかった模様。お父さんは元代表のキーパー、前川和也。親子二代にわたるA代表出場が実現。お父さんに似てる。父・前川和也は森保監督にとっては選手時代の同僚ということになる。「おいおい、公式戦でそんなことしている場合か」とツッコミを入れたくなる向きもあると思うが、こちらとしては以前に水沼宏太を出場させてもらった恩があるので(?)、文句は言えない。

November 16, 2023

新国立劇場 ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」(新制作)

新国立劇場 ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」
●15日は新国立劇場へ。ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」(新制作)の初日。演出はピエール・オーディで、美術は現代アートの大家、アニッシュ・カプーア。赤と黒を基調とした抽象的な装置が用いられ、大きな特徴は上からぶら下がる逆さ火山。ときどき煙を吐く赤黒い活火山が登場人物たちの頭上にあり、下には溶岩やマグマがある。火山から噴出するのは怒りか、情熱か。装置をアートとして鑑賞するのか、物語を説明する実用的な機能とみなすのか、答えのない問いがあるが、作品のトーンにはよく合致している。
●題名役はロベルト・フロンターリ。貫禄の歌唱。プロローグから第1幕に25年の時の跳躍があるわけだが、本当に年をとったように変身している。対決するシモンとフィエスコ(リッカルド・ザネッラート)が最後に和解に至る場面は、ヴェルディのオーケストレーションの巧みさもあって、真に感動的。アメーリア役のイリーナ・ルングは聴きごたえあり。パオロにシモーネ・アルベルギーニ、ガブリエーレにルチアーノ・ガンチ。ピットは大野和士指揮東京フィル。ていねいで、無用な力みのない澄明なサウンド。
●で、毎回思うことではあるのだが、「シモン・ボッカネグラ」という作品、どう考えても台本がおかしい。話が詰めこみすぎで、大河ドラマのワンシーズン分のストーリーを一本のオペラにまとめたような無理がある。説明や描写が足りないまま大事が起きて感情移入が追い付かないし(プロローグでマリアはどうして死んだの?)、たまたま都合よく登場人物がそこにあらわれた的な展開が頻出する(神出鬼没のアメーリア)。が、音楽は最上級なんである。話はさっぱり共感できないけど、音楽は神の領域。天才の音楽がすべてを解決してしまう。まさに「オペラあるある」。だからこそ演出のための大きな余白があるともいえるけど。
●「呪い」「誘拐」「父と娘の愛」は「リゴレット」と共通するモチーフ。アメーリアもシモンもさっさと「内緒の話だけど、実は私たち親子なんですよー」って関係各所に伝達しておけば余計な誤解を招かずに済んだのだが、それではオペラにならないか。
●あらかじめ告知されていたように、入場時に手荷物検査があった。サッカー・ファンは手荷物検査に慣れ切っているので、劇場に入った瞬間からパブロフの犬並みの条件反射でカバンの入り口を開けてスタンバってしまうわけだが、この日は金属探知機のチェックもあったので、ポケットの中身をカバンに入れたりして空港みたいだった。2階に天皇陛下臨席。即位後、初めてのオペラ鑑賞だそう。前半だけじゃなく、最後までご鑑賞。感想を聴いてみたい。登場人物はだれに共感するのか、とか。

November 15, 2023

芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.7 河村尚子×アレクサンドル・メルニコフ

芸劇リサイタル・シリーズ「VS」 河村尚子 アレクサンドル・メルニコフ
●14日は東京芸術劇場で芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.7 河村尚子×アレクサンドル・メルニコフ。ピアノ・デュオの人気シリーズで毎回人選がおもしろい。今回は河村尚子とアレクサンドル・メルニコフが初共演。プログラムも魅力的で、前半が4手連弾でシューベルトの幻想曲ヘ短調(1stメルニコフ)とドビュッシーの交響詩「海」(1st河村)。後半が2台ピアノでラフマニノフの交響的舞曲(1stメルニコフ)。前半のシューベルトとドビュッシーはともにしっとりとして情感豊か。「海」のカラフルなオーケストレーションがピアノのモノトーンに置換されて色味が乏しくなるかといえばそうではなく、緻密な音色表現により豊かな陰影が作り出される。とはいえ、ピアノ1台に名手ふたりは少し「もったいない」感があって、後半のラフマニノフになるとがぜん、のびのびとした開放感が出てくる。ふたりの丁々発止のやりとりがあって、それでいて息はぴったり。デュオならではのダイナミズムも堪能。メルニコフの打鍵は強靭。大ホールの空間に熱気が伝わってくる。
●メルニコフは譜面台に大きめのタブレットを置いて電子楽譜を使用。河村は紙の楽譜。電子楽譜にはいろんな見方があるとは思うけど(本番での信頼性とか)、客席側から見た最大の利点は譜めくりが不要になることだと思う(フットスイッチがある)。脱・譜めくり時代の到来を期待。
●アンコールはラヴェル「マ・メール・ロワ」から「美女と野獣の対話」(1st河村)。河村さんがマイクを持って登場し、メルニコフを指して「美女」、自分を指して「野獣」と紹介していたのがおかしかった。

November 14, 2023

「運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す『それでも運動すべき理由』」(ハーマン・ポンツァー著/小巻靖子訳/草思社)

●近年読んだサイエンス・ノンフィクションで出色だと思ったのが、「運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す『それでも運動すべき理由』」(ハーマン・ポンツァー著/小巻靖子訳/草思社)。キャッチーな訳題が見事すぎるのだが、これは書店に山ほどある怪しいダイエット本とはちがい、本物の人類学者が本物のフィールドワークを通じて発見したヒトの「代謝」について本。「運動しても痩せないけど、ヒトの体は運動を必要とするようにできている」(→だからぜったいに運動しようぜ!)っていう主張なので、あくまで運動を推奨する本なのだ。読み物として抜群におもしろく、そして読後には日々の暮らしを反省し、もっと運動しなければいけないという気持ちになる……はず。
●著者はタンザニアの狩猟採集民ハッザ族と暮らしをともにする。ハッザ族は農耕もしないし家畜も飼わず、電気も機械も使わない。一日の多くの時間を自然から食料を調達するために費やしている。野生の芋を掘り出したり、ベリー類を集めたり、はちみつを採集したり、狩りをしたり、水を汲んだり、薪を集めたり……。そして延々と歩く。当然、都会の住民とは比較にならないくらい一日の活動量が多い。では、彼らの一日のエネルギー消費量は何キロカロリーになるのか。それを測定したところ、なんと、都会の住民と変わらなかったというのだ。
●そんなバカな、と思うじゃないすか。これはワタシたちが、一日のエネルギー消費量=その人の基礎代謝量+その日の活動量と思い込んでいるからなんだけど、著者の研究によると人間のカロリーの使い方はもっと動的で、身体活動が活発になるとヒトは体内で使うカロリーを減らして一日の消費量を一定に保とうとするようにできている。
●となれば疑問がわく。ハッザ族と都会の人間のエネルギー消費量が同じなのであれば、われわれの「運動に使われなかったカロリー」は、なにに使われているのか。そこがいちばん気になるところなんだけど、著者が挙げるのは3つの要素。炎症、ストレス、生殖。炎症は免疫のために、ストレスは非常時に反応するために本来必須のものであるが、エネルギーコストが高く、余裕のあるときにしか使えないぜいたく品でもある。しかし現代の都市生活者はそこにふんだんにカロリーを使えるようになっており、余剰のカロリーが必要以上に炎症やストレスを生み出しているというのだ。生殖が多くのカロリーを消費するのは自明だと思うが、事実、妊娠出産のサイクルはアメリカ人のほうがハッザ族より短いのだとか。
●で、すごいと思ったのは、人間の一日のエネルギー消費量をどうやって測定するか、という話。これが正確にできなければ話は始まらない。著者たちが行っているのは二重標識水法という手法。少し原理は難しいのだが、代謝に伴う体内の化学反応に着目したもので、重水素と酸素18の安定同位体で標識された水を飲んでもらい、尿サンプルに含まれる水素と酸素の同位体比率の変化を測定することで、体内の二酸化炭素の産生量を算出し、エネルギー消費量を知るという方法。この手法はかなり以前から知られていたが、人体で測定するには重水素と酸素18があまりに高価なため困難だったのが、低コスト化が進んで研究に使えるようになったという。
●そこそこ厚い本だけど、まったく飽きさせないのは著者の筆力の高さゆえ。ダイエットや健康法という枠を超えた読書の楽しみがある。

November 13, 2023

ゲルゲイ・マダラシュ指揮NHK交響楽団と阪田知樹のハンガリー音楽プロ

ゲルゲイ・マダラシュ指揮NHK交響楽団
●10日はNHKホールでゲルゲイ・マダラシュ指揮N響のオール・ハンガリー・プログラム。C定期なので開演は19時30分(休憩なし)と遅いのだが、開演前の室内楽が18時45分からあるので(出入り自由)、これを聴こうと思ったら、いつもとほぼ同じ時間になる。早く来てもいいし、遅く来てもいいわけだ。この日は開演前の室内楽が本編のハンガリー音楽プロに合わせて、ヴェレシュのヴァイオリンとチェロのためのソナチネから第3楽章、コダーイのヴァイオリンとチェロのための二重奏曲作品7から第1楽章。ヴァイオリンは郷古廉、チェロは宮坂拡志。ふだんはなかなか聴けない作品なので、ありがたし。
●で、本編はバルトークの「ハンガリーの風景」、リストの「ハンガリー幻想曲」(阪田知樹)、コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」。指揮のマダラシュはハンガリー出身というだけではなく、幼少時にハンガリー・ロマ民族の伝統を受け継いだ農民音楽家たちに学んだという経歴の持主だけあって、テンポの動かし方ひとつとっても、これこそ(きっと)本物という説得力がある。とりわけ「ハンガリーの風景」は濃厚。N響からひきしまった明るめのサウンドを引き出し、「ハーリ・ヤーノシュ」は爽快。ツィンバロンは斉藤浩。この曲の主役。それから。オーボエは池田昭子さんが首席代行。ハッとするような甘美な音色が聞こえてきた。
●「ハンガリー幻想曲」では阪田知樹の冴え冴えとしたソロが聴きもの。キレの鋭さと強靭さをあわせ持つ。この曲だけではあまりに短いと思ったが、ソリスト・アンコールでバルトークの「3つのチーク県の民謡」を弾いてくれた。古くて新しく、土臭くてモダン。これで開演前の室内楽を含めて、すべてハンガリー音楽一色に。この曲、少し前にアンデルシェフスキのアンコールでも聴いたけど、そのときの訳題は「シク地方の3つの民謡」だった(と、わざわざ書くのは、どちらで検索してもヒットするようにするため)。
●NHKホール、だいたい原宿駅から歩くのだが、帰路は久々に渋谷駅まで歩いてみた。夜の渋谷、以前と少し雰囲気が違って、外国人旅行者だらけになっている。というか、昼の東京もどこに行ってもそんな感じではあるのだが。

November 10, 2023

内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ 2023 サントリーホール

●9日はサントリーホールで「内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ」。先日、川崎公演でAプロを聴いたが、この日はBプロ。モーツァルトのピアノ協奏曲第17番ト長調、ヴィトマンの「室内オーケストラのためのコラール四重奏曲」、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調。Aプロと相似形のようなプログラムで、モーツァルトは内田光子の弾き振り、ヴィトマン作品は指揮者を置かずにコンサートマスターのリードで演奏。全6公演の全国ツアーの最終日で、客席はぎっしり。
●Aプロでも感じたが、モーツァルトでのオーケストラは軽快というよりは重厚。ピアノ協奏曲第17番、冒頭こそ囁くように始まるが、最初の強奏でズズンと湧きあがるような音が出てくる。ヴィトマンの「コラール四重奏曲」はもともと弦楽四重奏のために書かれた作品を室内オーケストラ用に拡大した作品。フルート、オーボエ、クラリネットの管楽器が2階席に散開して配置され、ところどころで立体的な音響空間が作られる。「コラール」と名付けられてはいるが、旋律は明滅するかのように断片的に分解され、特殊奏法をふんだんに用いた波打つような音の歩みのなかで間歇的に姿をあらわす。これを指揮者なしで演奏できてしまうことに驚く。新味はどうかな。
●圧巻は後半のピアノ協奏曲第22番。Aプロの第25番とBプロの第22番、ともにモーツァルトの全ピアノ協奏曲のなかでもっとも祝祭性の感じられる作品だと思っていたけど、それは作品の一面でしかないことを思い知る。この第22番は寂しげで、儚い。25番を聴いても22番を聴いても、これらは最後の27番へと至るプロセスをまっすぐに進んでいるのだと感じる。深淵を覗くような第2楽章もさることながら、晴れやかなはずのフィナーレがたまらなく寂しい。中間部で管楽アンサンブルが始まって、そこにピアノと弦楽器が各1プルトのみで加わって室内楽編成になるところなんて、ぞくぞくする。最後は曲が終わるのが惜しくてたまらない気分になった。アンコールはモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調の第2楽章。曲が終わったあと、完璧な沈黙がしばらく続いて、その後、盛大な喝采。拍手がまったく止まず、ソロ・カーテンコールが2回。今季最大級の熱狂的なスタンディングオベーションを見た。

November 9, 2023

国立西洋美術館 「キュビスム展─美の革命」で見かけたギターとヴァイオリン

●上野の国立西洋美術館で「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」(10月3日~2024年1月28日)。ポンピドゥーセンターと国立西洋美術館の共同企画により、日本では50年ぶりとなる大キュビスム展が実現、初来日作品50点以上を含む約140点を展示。混雑しているかなと案じたが、開幕から一か月以上経っていることもあってか、平日はそこまででもなく許容範囲。ピカソとブラックを中心に見ごたえ大。

ピカソの「ギター奏者」
●これはピカソの「ギター奏者」(1910)。キュビズム時代のピカソとブラックの画風はよく似ていて、自分には区別がつかない。この絵のどこがギターでどこが奏者なのかというのはともかくとして、この展覧会ではギターとヴァイオリンがよく登場する。なぜかこの2種の楽器が好んで題材としてとりあげられる。

ブラックの「ヴァイオリンのある静物」
●こちらはブラックの「ヴァイオリンのある静物」(1911)。テーブルの上にヴァイオリンが置かれているんだろうなというのは、なんとなくわかる。スクロールっぽい形状が見える。

ブラックの「ギターを持つ女性」
●同じくブラックの「ギターを持つ女性」(1913)。これははっきりとギターと認識できる。中央の色の変わったところにサウンドホールがあって、弦が5本(のようだ)張ってある。ブリッジも明瞭に描かれている。

ピカソ 「ヴァイオリン」
●ふたたびピカソ。「ヴァイオリン」(1914)。楽器の各部が分解、再構成されているようではあるが、ヴァイオリンであることはわかる。さっきから年代順に並べているのだが、最初の「ギター奏者」がいちばんキューブ化が徹底されていて、楽器の形状を留めていない。

フアン・グリス「ヴァイオリンとグラス」
●もっぱらピカソとブラックが好んでヴァイオリンとギターをとりあげているのかといえばそうでもない。これはフアン・グリスの「ヴァイオリンとグラス」(1913)。分解されてはいるが、スクロールやボディ、f字孔、弦などが認識できる。

フアン・グリス「ギター」
●フアン・グリスの「ギター」(1913)。これはだれがどう見てもギター。ギターとヴァイオリン、発音原理も違うし、使われるジャンルも違うので、楽器としてはぜんぜん別物だけど、視覚的には似ている。平行に並ぶ弦が生み出す直線的なリズムと丸みを帯びたボディの対比がモチーフとして好ましいということなんだろうか。

November 8, 2023

ファビオ・ルイージ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のチャイコフスキー

ファビオ・ルイージ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
●7日はサントリーホールでファビオ・ルイージ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。プログラムはウェーバーの「オベロン」序曲、リストのピアノ協奏曲第2番(イェフィム・ブロンフマン)、チャイコフスキーの交響曲第5番。スーパー・オーケストラだからこそ聴きたくなる名曲プログラム。前半、「オベロン」序曲、ホルンのまろやかな音色が全体のなかでピカッと光っている。首席ホルンはケイティ・ウーリーという人。すごい名手。後半のチャイコフスキーではさらなる大活躍。リストの協奏曲、ブロンフマンとオーケストラが一体となった均整のとれた演奏。この協奏曲だけだと短すぎてせっかくのブロンフマンがもったいないが、ソリスト・アンコールにショパンのノクターン 変ニ長調op.27-2。巨躯からくりだされる繊細な弱音表現の芸術。
●後半のチャイコフスキー5番はさすがの名演に。コンセルトヘボウ管弦楽団の角の取れた柔らかく豊かな響きを堪能。管楽器のソロはことごとく耳のごちそうで、やはりホルンの音色が際立っていた。第2楽章は絶品。ルイージとこのオーケストラの相性はぴったり。無用な力みがなく、歌うようなチャイコフスキーで、この曲にこれほどの抒情性を感じたことはない。終楽章も白熱はしても、咆哮せず、コーダの「ドラえもん」は快速テンポでダサくならない。汗臭くなく、エレガンスの感じられるチャイコフスキー5番は発見だった。アンコールにチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ。これも土臭くなくスマートで端麗。ルイージの美学とオーケストラのキャラクターが見事にかみ合った一夜。客席は熱のこもった喝采でわき、マエストロとコンサートマスターのソロ(じゃないデュオ?)カーテンコール。

November 7, 2023

「古楽夜話 古楽を楽しむための60のエピソード」(那須田務著/音楽之友社)

●先頃休刊した月刊誌「レコード芸術」の連載を書籍化したのが「古楽夜話 古楽を楽しむための60のエピソード」(那須田務著/音楽之友社)。古くは12世紀のヒルデガルト・フォン・ビンゲンから、新しくは18世紀末のボッケリーニまで、作曲家たちと作品にまつわる60のエピソードが集められた古楽ガイドブック。ひとつのエピソードが3ページ構成で、長すぎず短すぎず、絶妙のバランス。読み物としても実用的なガイドとしてもよい。毎話、冒頭に史実をもとに創作した短い空想シーンが入っていて、これが導入として効いている。
●連載を書籍化するにあたって、各話が時系列に並べられており、最初はヒルデガルトで始まるわけだが、こういう本は前から読むより、読みたい場所から読み進めるのが吉。特に中世・ルネサンスにはなじみが薄いというクラシック音楽ファンの場合は、バロック期のどこかあたりからスタートするとか、なんなら本のおしまいから遡って読み進めるのもありだと思う。つまみ食いするように、気になるところを拾い読むのも楽しい。
●で、もとが「レコ芸」なので、各エピソードに必ずオススメCD欄が付くわけだが、一昔前であれば、これを見て聴きたくなった盤をCDショップを巡って探すのも、この種の本の楽しみの内だった。でも、もうそんな時代ではない。今だったら本を読んで「聴きたいな」と思った音源は、即座にその場で聴けるのが自然だろう。さすがにそのあたりは意識されていて、音楽之友社出版部が「古楽夜話」で紹介した全CDプレイリストを作って公開してくれている。だよねえ。ストリーミング配信時代はプレイリスト時代でもあるのだ。以下にそのリンクを張っておこう。10話ずつ、6つのプレイリストに分かれている。このプレイリスト自体がひとつのコンテンツっていう気がする。

古楽夜話 #1(第1夜~第10夜)
古楽夜話 #2(第11夜~第20夜)
古楽夜話 #3(第21夜~第30夜)
古楽夜話 #4(第31夜~第40夜)
古楽夜話 #5(第41夜~第50夜)
古楽夜話 #6(第51夜~第60夜)

●でもこのプレイリストって、書籍そのものにはぜんぜん案内されていないんすよね。ONTOMOの記事で知った次第。このへんが書籍の難しいところで、一般に本の寿命はIT系サービスの寿命より長いので、たとえば本にQRコードとかを載せても、3年もしたらリンクが切れてるかもしれないし、それどころか1年もしないうちに配信サービス自体がどこかに吸収されたり、終了しているかもしれないわけで、ダイナミックすぎて書籍との相性はよくない。雑誌とか広報誌なら迷いなく載せられるとは思うんだけど。
●ひとつだけプレイリストをここにも載せておこう。古楽夜話 #6(第51夜~第60夜)。

November 6, 2023

ハーゲン・クァルテット 第3夜 トッパンホール ハーゲン プロジェクト 2023

トッパンホール ハーゲン プロジェクト 2023
●2日はトッパンホールでハーゲン・クァルテット。三夜にわたる連続公演の最終日を聴く。チケットは全公演完売。この日のプログラムはモーツァルトの弦楽四重奏曲第21番「プロシア王第1番」、ウェーベルンの弦楽四重奏のための緩徐楽章、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番(大フーガ付き)。新旧ウィーン楽派を組合わせたプログラムという点では、一昨日の内田光子&マーラー・チェンバー・オーケストラと同じ。しかも最初の「プロシア王第1番」に一昨日のピアノ協奏曲第27番と共通する性格を感じ取って、まるで続編を聴いているかのような錯覚を覚える。モーツァルト後期特有の寂しげな長調作品。続くウェーベルンはむせ返るような濃厚なロマン。作品番号のない初期作品だけど、シェーンベルク作品と同様、実際に演奏会で耳にする新ウィーン楽派の作品はロマンティックな曲が圧倒的に多い気がする……。
●後半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番。終楽章には「大フーガ」を採用。彼らはこの曲をこれまでに何回演奏してきたのだろう。まるで「弦楽四重奏」というひとつの楽器が奏でられているかのよう。成熟し、研ぎ澄まされたベートーヴェン。この曲、後から書かれた軽い終楽章よりも、作曲者の当初の構想通り「大フーガ」で終わるほうがずっと聴きごたえがあるわけだけど、「大フーガ」が始まるときって、なんだか「第九」の終楽章がはじまったみたいな気分になる。速めのテンポでじりじりと白熱する「大フーガ」。ドキドキする。この曲の後に演奏可能なアンコールはない。放心とともに終演。

November 2, 2023

東京・春・音楽祭2024 概要発表会

東京・春・音楽祭2024 概要発表会
●30日、東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭2024」概要発表会へ。同音楽祭は2024年で節目の第20回を迎える。鈴木幸一実行委員長は、この夏のバイロイト音楽祭の「パルジファル」で導入されたAR(拡張現実)グラスや、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での新作オペラ「デッドマン・ウォーキング」といったオペラ界の新しい試みについての話題を挙げながら、「20年を次のステップに向かうひとつの区切りとして、今後クラシック音楽がどうなってゆくかを考えながら持続、発展させていきたい」と語った。また、同席した野平一郎東京文化会館音楽監督は、今回、アンサンブル・アンテルコンタンポランが招かれることについて「大きな楽しみ」と述べた。
●で、全体のプログラム一覧はこちら。なんと、演奏会形式のオペラが4演目もある。看板企画の「ワーグナー・シリーズ」は、ヤノフスキ指揮N響で「トリスタンとイゾルデ」。毎回すごいことになるムーティ指揮東京春祭オーケストラはヴェルディ「アイーダ」(ちなみに恒例の「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」は別途9月に開かれることに)。「プッチーニ・シリーズ」はピエール・ジョルジョ・モランディ指揮東京交響楽団で「ラ・ボエーム」。オケが東響というところに注目。で、読響はヴァイグレ指揮でシュトラウス「エレクトラ」。コロナ禍で中止になった読響の公演が「東京・春・音楽祭」で復活する形になった。
●全体の聴きどころについては「ぶらあぼ」で執筆する予定だが、ほかにもヤノフスキ指揮N響の「ニーベルングの指環」ガラ、前述のアンサンブル・アンテルコンタンポラン2夜連続公演など、目をひく公演が多数。ブルックナー生誕200年ということで、ローター・ケーニヒス指揮都響&東京オペラシンガーズによるブルックナーのミサ曲第3番、シェーンベルク生誕150年によせてディオティマ弦楽四重奏団によるシェーンベルク弦楽四重奏曲全曲演奏会もある(これは6時間かけて一日で全部やるというすさまじい企画)。
●すでに各所で話題になっているが、「東京・春・音楽祭」の「トリスタンとイゾルデ」(3月27日、30日)の時期、新国立劇場でも「トリスタンとイゾルデ」が上演される(3月14日、17日、20日、23日、26日、29日。こちらは大野和士指揮都響)。たまたま時期が重なってしまったのだが、奇跡的に(?)日は重なっていない。連日「トリスタンとイゾルデ」を聴く猛者が出現するかもしれない。

November 1, 2023

内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ ミューザ川崎

●31日はミューザ川崎で「内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ」。モーツァルトのピアノ協奏曲第25番、シェーンベルクの室内交響曲第1番、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番というとても魅力的なプログラム。シェーンベルクは前後半どちらに入るのかと思ったら前半だった。モーツァルトは内田光子の弾き振り、シェーンベルクは指揮者なし、立奏スタイル。
●ピアノ協奏曲第25番、冒頭の一音からすごい音。この曲、ウィーン時代の協奏曲のなかでもとりわけ力強くて祝祭感のある作品だと思うのだが、ぱっと晴れやかに始まるのではなく、ズズズッと地の底から湧き出るような音が鳴ってびっくり。オーケストラは8型。まさに腕利き集団といった様子で、鮮烈でフレッシュ。ピアノとオーケストラの対話性が豊かで、大きな室内楽を聴いているかのよう。モーツァルトの協奏曲でオーケストラがこんなに喜びを発散させながら弾く姿はふだんなかなか目にしない。すこぶる上機嫌の曲だけど(大好きな曲)、終楽章で少し寂しさが滲んで第27番を予告する。シェーンベルクの室内交響曲第1番は編成が独特で、舞台転換に時間をかけて。ライブで聴くと編成の特異さが際立つ。管楽器に対して弦楽器は細身で、切っ先の鋭い剣のよう。アレグロ、スケルツォ、アダージョ、フィナーレの4楽章制交響曲のように認識して聴くんだけど、アダージョ部分が案外と官能的で後期ロマン派の残滓あり。フィナーレはパッション炸裂、エキサイティング。
●後半のピアノ協奏曲第27番はピアノの柔らかく幻想的な音色表現が印象的。清澄で淡く、ときに寂しすぎてゾクッとするモーツァルト。とくに終楽章はたまらない。アンコールにシューマン「謝肉祭」より「告白」。いっそうしみじみとした味わいで終わる。
●川崎からの帰り道、渋谷駅で仮装した人々を見かける。彼らは「謝肉祭」の登場人物たち……ではなく、今日はハロウィンだった。

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