●近年読んだサイエンス・ノンフィクションで出色だと思ったのが、「運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す『それでも運動すべき理由』」(ハーマン・ポンツァー著/小巻靖子訳/草思社)。キャッチーな訳題が見事すぎるのだが、これは書店に山ほどある怪しいダイエット本とはちがい、本物の人類学者が本物のフィールドワークを通じて発見したヒトの「代謝」について本。「運動しても痩せないけど、ヒトの体は運動を必要とするようにできている」(→だからぜったいに運動しようぜ!)っていう主張なので、あくまで運動を推奨する本なのだ。読み物として抜群におもしろく、そして読後には日々の暮らしを反省し、もっと運動しなければいけないという気持ちになる……はず。
●著者はタンザニアの狩猟採集民ハッザ族と暮らしをともにする。ハッザ族は農耕もしないし家畜も飼わず、電気も機械も使わない。一日の多くの時間を自然から食料を調達するために費やしている。野生の芋を掘り出したり、ベリー類を集めたり、はちみつを採集したり、狩りをしたり、水を汲んだり、薪を集めたり……。そして延々と歩く。当然、都会の住民とは比較にならないくらい一日の活動量が多い。では、彼らの一日のエネルギー消費量は何キロカロリーになるのか。それを測定したところ、なんと、都会の住民と変わらなかったというのだ。
●そんなバカな、と思うじゃないすか。これはワタシたちが、一日のエネルギー消費量=その人の基礎代謝量+その日の活動量と思い込んでいるからなんだけど、著者の研究によると人間のカロリーの使い方はもっと動的で、身体活動が活発になるとヒトは体内で使うカロリーを減らして一日の消費量を一定に保とうとするようにできている。
●となれば疑問がわく。ハッザ族と都会の人間のエネルギー消費量が同じなのであれば、われわれの「運動に使われなかったカロリー」は、なにに使われているのか。そこがいちばん気になるところなんだけど、著者が挙げるのは3つの要素。炎症、ストレス、生殖。炎症は免疫のために、ストレスは非常時に反応するために本来必須のものであるが、エネルギーコストが高く、余裕のあるときにしか使えないぜいたく品でもある。しかし現代の都市生活者はそこにふんだんにカロリーを使えるようになっており、余剰のカロリーが必要以上に炎症やストレスを生み出しているというのだ。生殖が多くのカロリーを消費するのは自明だと思うが、事実、妊娠出産のサイクルはアメリカ人のほうがハッザ族より短いのだとか。
●で、すごいと思ったのは、人間の一日のエネルギー消費量をどうやって測定するか、という話。これが正確にできなければ話は始まらない。著者たちが行っているのは二重標識水法という手法。少し原理は難しいのだが、代謝に伴う体内の化学反応に着目したもので、重水素と酸素18の安定同位体で標識された水を飲んでもらい、尿サンプルに含まれる水素と酸素の同位体比率の変化を測定することで、体内の二酸化炭素の産生量を算出し、エネルギー消費量を知るという方法。この手法はかなり以前から知られていたが、人体で測定するには重水素と酸素18があまりに高価なため困難だったのが、低コスト化が進んで研究に使えるようになったという。
●そこそこ厚い本だけど、まったく飽きさせないのは著者の筆力の高さゆえ。ダイエットや健康法という枠を超えた読書の楽しみがある。
November 14, 2023