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2024年2月アーカイブ

February 29, 2024

「人類の深奥に秘められた記憶」(モアメド・ムブガル・サール著/野崎歓訳/集英社)

●昨年末、この一年間に刊行された翻訳小説のなかで絶対に読んでおくべき一冊と思って手にしたのが「人類の深奥に秘められた記憶」(モアメド・ムブガル・サール著/野崎歓訳/集英社)。年末年始にあらかた読み進めたところで、いったん脇に置いて頭を冷やしてから、今頃読み切った。傑作。フランスに住むセネガル生まれの若い作家による凄まじくパワフルな長篇小説で、2021年のゴンクール賞受賞作。大きなテーマは「書くこと」について。本についての本とも言える。
●主人公は作者の分身のようなセネガル出身でパリに住む若い作家。主人公はあるとき同郷の作家による幻の名作といわれる「人でなしの迷宮」を手に入れる。その作家T・C・エリマンは「黒いランボー」と呼ばれ文学界にセンセーションを巻き起こしたが、剽窃騒動により作品が回収されることになり、作者は行方知れずとなっていた。「人でなしの迷宮」に圧倒された主人公はエリマンの足跡を追いかけ、その真実の姿に迫る。枠組みはミステリー的だが、くりかえし語られるのは、書くという行為について、そしてアフリカ系作家であることの懊悩。主人公の探索の合間にエリマンとその周辺の人々の物語が、フランスやセネガル、アルゼンチンなどを舞台に重層的に語られる。リアリズムで書かれているのだが、セネガルで起きた過去の物語は神話的でもあって、ラテンアメリカ風の魔術的リアリズムやフォークナー的な土着性も漂う。
●一か所、村上春樹の名前が登場する。村上春樹が神宮球場でヤクルト戦を観戦していたときに、突如「小説を書いてみよう」と思い立ってデビュー作「風の歌を聴け」を書いたという有名なエピソードがあるが、その話が出てくるのだ。主人公がどうして作家になったのかを尋ねられる場面。これってすごくない?

誕生をめぐるすごいエピソードなんかぼくにはない。たとえばハルキ・ムラカミみたいなね。彼が作家の天職に目覚めたときの驚くべき話を知ってる? 知らない? 野球の試合を見に行ったんだそうだ。ボールが、純粋なハーモニーを奏でるように宙を飛んでいった。その完璧な軌跡を見て、ムラカミは自分がなすべきこと、なるべきものを悟った。つまり、偉大な作家だ。そのボールこそが彼にとっては文学的啓示であり、しるしだったんだ。ぼくにはそんなボールも、しるしもなかった。
February 28, 2024

Jリーグ開幕!31年前の再現となるヴェルディ対マリノス戦が国立競技場で実現

●さて、週末に開幕したJリーグだ。新監督ハリー・キューウェルを迎えたマリノスは開幕戦でJ2から昇格したヴェルディと国立競技場で対戦。ヴェルディは16年ぶりのJ1復帰。なんと、31年前のJリーグ発足時の最初の試合と同じヴェルディ対マリノス戦の対戦カードが再現された。当時はこの両者の対戦がナショナルダービーであり、リーグ発足時にはこの1試合だけがほかの試合に先んじて行われたんである。かつてのライバルだったこともあり、J2にいる間はうっすらとヴェルディを応援していたが、同じJ1で対戦するとなったらそうもいかない。マリノスには往年のヴェルディ・キラーを発揮してもらわねば!
●とはいえ、マリノスは主力選手が毎年チームを去り、選手層がどんどん薄くなっている。積極投資で優勝した後の回収局面が続いているような状態。今季、マリノスを優勝候補に挙げる人はほとんどいない(浦和、広島、神戸の前評判が高いみたい)。しかもトップレベルでの監督経験のないハリー・キューウェルがボス。選手時代はスーパースターだったけど、この人選はどうなんでしょ。
●キューウェル監督はアンカーを一人置く形を好むようで、基本布陣はこれまでの4-2-3-1から4-1-2-3になりそう。先発はGK:ポープ・ウィリアム(町田から獲得)-DF:松原健、上島拓巳、エドゥアルド、渡邊泰基(新潟から獲得)-MF:喜田拓也-渡辺皓太、山根陸-FW:水沼宏太、アンデルソン・ロペス、エウベル。DAZNで観戦。試合開始早々から出足の鋭いヴェルディに押されまくって、前半7分、山田楓喜にフリーキックを決められて失点。そのままヴェルディのペースで試合が進んだ。後半に入って、キューウェル監督は水沼をヤン・マテウスと、喜田を宮市亮と交代。両ウィングを左に宮市、右にヤン・マテウスにして、エウベルとアンデルソン・ロペスの2トップという見慣れない形に変更する。ヴェルディの4-4-2とぶつかり合う形にしたかったのか。だが、これも功を奏さず、渡辺皓太をナム・テヒに、エウベルを天野純に交代、もとの布陣に。さらに中盤の山根陸をフォワードの植中朝日に代えて攻勢に出た。後半44分、ヴェルディには不運なPKがあり、アンデルソン・ロペスが同点ゴール。そして後半48分に右サイドを駆け上がった松原が豪快なスーパーショットをゴール左上に決めて逆転。劇的な勝利を収めた。ヴェルディ 2-1 マリノス。監督の名采配? あまりそうとも感じなかったが、結果が出た以上は「正解」か。
●ヴェルディが先制して、マリノスが2点を取って逆転するという展開は、そっくりそのまま31年前のリーグ開幕戦と同じ(当時の得点者はヴェルディのマイヤー、マリノスのエバートン、ラモン・ディアス、だったかな)。しかも、31年前の試合に出場していた水沼貴史の息子、水沼宏太がこの試合で先発していた。なんという奇遇。

February 27, 2024

死ぬるが增か 生くるが增か voice duo vol.4 工藤あかね、松平敬

●26日は、すみだトリフォニーホール小ホールで「死ぬるが增か 生くるが增か 」voice duo vol.4。前半は松平敬のバリトンによるクルターグの「ヘルダーリン歌曲集」(日本初演)、桑原ゆうの「葉武列土一段」(委嘱初演)、後半は工藤あかねのソプラノと松岡麻衣子のヴァイオリンによるクルターグ「カフカ断章」。クルターグ作品は小さな曲をアンコールなどで耳にすることはわりと多いけど、これだけまとまった作品を聴く機会はまれ。クルターグは1926年生まれだから、今年98歳。エリオット・カーターに続いて自分の生誕100周年を祝える作曲家になるか。
●「ヘルダーリン歌曲集」、全6曲のテキストの訳を読んでもなにを言っているのかわからないところがたくさんあるのだが、ひたすら声の極限的な表現に圧倒される。バリトンだけで演奏されるが、第3曲「形象と精神」のみ、村田厚生のトロンボーンと橋本晋哉のチューバが加わって、異質な世界を描き出す。感じるのは「畏れ」、かな。最後の「パラクシュ!パラクシュ!」という謎の叫びに戦慄する。桑原ゆうの「葉武列土一段」はシェイクスピアの「ハムレット」の文語訳がテキストに用いられている。当日になってようやく、公演タイトルの「死ぬるが增か 生くるが增か」が有名なセリフ「生きるべきか、死ぬべきか」のことだと気づく。ハムレットのセリフは、丶山仙士(←読めない)訳の「新体詩抄」、オフィーリアの歌は森鴎外訳。ハムレットの部分は、能の謡を連想させる。パラレルワールド日本の伝統芸能みたいな不思議な趣。
●後半、クルターグ「カフカ断章」は70分を超える長丁場ということで、滝に打たれる覚悟で臨んだのだが、全40曲のほとんどは短い曲であることと、意外にもテキストが共感可能なものなので、ヘルダーリンに比べればぐっと近づきやすい。カフカの断片的な言葉に曲が付けられているのだが、これが身につまされるようなダメ男感があって、たとえば「寝た、起きた、寝た、起きた、惨めな生活」とか「一瞬だけ無敵な気がした」とか、のび太君の一コママンガ劇場みたいな感じで、イジイジしていたりブラックだったりする。ぎりぎり文字が読める客席の照度だったので、ほとんど日本語訳と首っぴきで聴いたが、シリアスさのなかからしばしばふわりとしたユーモアが漂って来る。小さな曲の集合体だけど第2部は長めの一曲からできていて、ここのひりひりするような静謐さと緊張感が圧巻。全曲を一気に歌いきるのは相当にタフだと思うが、最後まですさまじい集中度。おしまいの第40曲を聴き終えて放心。

February 26, 2024

鈴木優人&BCJ×千住博 モーツァルト「魔笛」

●24日はめぐろパーシモンホール大ホールでモーツァルトのオペラ「魔笛」。Bunkamura35周年記念公演 ORCHARD PRODUCE 2024と銘打たれた公演で、主催はBunkamuraなのだが、会場はめぐろパーシモンホール。1200名収容のコンパクトサイズで、モーツァルトにはぴったり。以前にもここで読響公演を聴いたことがあるけど、都立大学駅から少し歩いた場所で環境もよい。ピットには鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパン。演出は飯塚励生、美術は千住博。タミーノにイルカー・アルカユーレック、パミーナに森麻季、ザラストロに平野和、夜の女王にモルガーヌ・ヘイズ、パパゲーノに大西宇宙、パパゲーナに森野美咲、モノスタートスに新堂由暁、他。
●歌手陣は主役から脇役まで歌も演技も充実。特に印象的だったのは大西宇宙のパパゲーノと森麻季のパミーナ。パパゲーノはコミカルな役柄なんだけど、道化役に留まらない凛々しさ。パミーナは清澄、お姫様感100パーセント。パパゲーナの森野美咲は、少し前に出光音楽賞の受賞者ガラコンサートでリヒャルト・シュトラウスの歌曲を聴いたばかりなのだが、こんなにコメディも達者な人だったとは。オーケストラからは温かみのあるピュアなサウンド。前方席ではピットからの反射音があまり届かず、序曲の冒頭から「あれ?」とは思ったが、進むにつれて耳が慣れた。
●第1幕は、何枚も白布が吊るされて、そこにやわらかい色調の森の絵、動画などが投射されて幽玄なトーン。大蛇ではなく、渡辺レイと山本帆介のダンスが嵐となってタミーノを襲う。第2幕のザラストロ教団では雰囲気が一転、背景にはアルファベットの記号(ティッカー?)と刻々と変化する数字がびっしりと並んでおり、株式市況を思わせる。中央には三角形に「ザ」の一文字をかたどったシンボルがある(フリーメイソンのパロディなのか)。東京風の夜景が映し出されると、ビルに「ザラ建設」とか「ザラ森林開発」といったネオンが光っている。数字のモチーフは随所に使われており、どうやらザラストロ教団はビジネスに熱心なようだ。最後の場面は昼と夜の両勢力の和解で終わるという演出。夜の女王とパミーナは母娘の絆を取り戻す。
●もともと「魔笛」はストーリーに難があって、そのわかりづらさの説明として「前半と後半で善玉と悪玉が入れ替わる」と書かれることが多いのだが、本質的にはザラストロのような男尊女卑の価値観と、絶対的な賢者が集団を束ねて教徒に試練を強いる集団を、わたしたちが「正義」として受け入れることができないことが要因なんだと思う。命をかけた試練の報酬が妻だというのもね……。そんな集団にころっと主人公タミーノが洗脳されてしまってどうしようもないのだが、パパゲーノだけは正気を保っていて、死にたくないけど食べたいし飲みたいしモテたいという人間としてまっとうな欲求を抱えている。こういう台本作家の側とわれわれの側の間にねじれがあるところが、むしろ古典の条件なのかなとよく思う。解釈の多様性を生み出すというか。
●以前、ONTOMOにも書いたけど、パパゲーノのような鳥刺しは社会の最底辺の存在だったそう。モーツァルトのオペラでは「フィガロの結婚」でも「ドン・ジョヴァンニ」でも貴族と平民といったように階級差が描かれているが、シカネーダーの一座のために書かれた「魔笛」の場合は、観客よりも下の階層として鳥刺しが登場するのだなと思った。

February 22, 2024

新国立劇場 2024/2025シーズンラインアップ説明会

新国立劇場 2024/2025シーズンラインアップ説明会
●21日は新国立劇場の2024/2025シーズンラインアップ説明会。例年であればオペラ、バレエ&ダンス、演劇の3部門が同時に開催されるのだが、今年はオペラが独立した形で開催。なので、登壇は大野和士オペラ芸術監督のみ。会場は劇場のホワイエ。24/25シーズンのラインアップは新制作3演目とレパートリー6演目で、合計9演目41公演。23/24シーズンはおもに経済的な事情により新制作は2演目に留まったわけだが、24/25シーズンは3演目に戻ることになった。ほっ。新制作の演目はベッリーニ「夢遊病の女」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」、そして委嘱作の世界初演となる細川俊夫「ナターシャ」。
●大野監督が就任当初から力を入れたいと話していた路線のひとつがベルカント・オペラ。新国立劇場初上演となる「夢遊病の女」がラインアップに入った。テアトロ・レアル、バルセロナ・リセウ大劇場、パレルモ・マッシモ劇場との共同制作で、22年にマドリッドで初演されている。バルバラ・リュックの演出、マウリツィオ・ベニーニの指揮。アミーナ役はMETなどでも活躍中の新星ローザ・フェオーラ、エルヴィーノ役はスター、アントニーノ・シラグーザ。
●ロッシーニ「ウィリアム・テル」の原語による舞台上演は日本初なのだとか。ロッシーニの最後のオペラとして言及される機会は多いが、序曲ばかりが有名で、実際に舞台で目にする機会はまれ。ただ、かなり長くて、4時間くらいかかる。どれくらいまで短くできるか、他の劇場のカットも参考にしつつ、ここは切れるんじゃないか、でもここは切ってはいけないんじゃないか……と議論しながら、新国立劇場バージョンを作ったのだとか。ヤニス・コッコス演出、大野和士指揮。題名役はこの役を各地の劇場で歌っているゲジム・ミシュケタ。ほかにルネ・バルベラ、オルガ・ペレチャッコらの歌手陣。
●細川俊夫「ナターシャ」では、台本を多和田葉子が手掛ける。多和田葉子はドイツを拠点に活動し、しばしばノーベル文学賞候補にも挙げられる作家。今回の作品は日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多原語上演。故郷ウクライナを追われた移民ナターシャが日本人青年と出会い、ふたりは謎めいたメフィスト的な存在によって現代の地獄へと誘われるが……といった筋立てが紹介された。国際的にも注目を集めそうなプロダクション。
●レパートリー公演は「魔笛」「さまよえるオランダ人」「フィレンツェの悲劇&ジャンニ・スキッキ」「カルメン」「蝶々夫人」「セビリアの理髪師」。アレックス・オリエ演出の「カルメン」は、初演時にコロナの感染対策上、さまざまな演出上の制約があったが、今回は制約なしの演出に練り直すという。演出家も来日するということなので、再演ながらもこれが本来の姿ということになりそう。
英国 オペラ誌 2024年2月号●ラインアップの説明に先立って、大野監督が最初に嬉しそうに紹介してくれたのは イギリスのOpera誌の2月号の表紙。このように新国立劇場の「シモン・ボッカネグラ」の舞台が表紙になっている。世界的アーティストであるアニッシュ・カプーアの装置が話題を呼んだ公演で、フィンランド国立歌劇場およびテアトロ・レアルとの共同制作により新国立劇場が最初に上演したプロダクション。雑誌の表紙を飾るのはインパクト大。新国立劇場の国際的なプレゼンスが増していることを実感する。

February 21, 2024

東京芸術劇場コンサートオペラ vol.9 オッフェンバック「美しきエレーヌ」

東京芸術劇場 美しきエレーヌ
●17日は東京芸術劇場コンサートオペラ vol.9 オッフェンバック「美しきエレーヌ」へ。演奏会形式ながら、日本ではほとんど上演されないオペレッタなので貴重な機会。というか、プロフェッショナルな公演としてはおそらく日本初演となる模様。演奏会形式といっても独自の構成による演出が施され、衣装も演技もあり。辻博之指揮ザ・オペラ・バンドとザ・オペラ・クワイア、エレーヌ役に砂川涼子、パリス役に工藤和真、メネラオス役に濱松孝行、アガメムノン役に晴雅彦、オレステス役に藤木大地、台本・構成演出は佐藤美晴。語りは声優の土屋神葉。歌唱は原語、台詞は日本語というスタイルで、もっぱら語りがストーリーを進める。
●まず、土屋神葉の語りの芸達者ぶりがすごい。声優ってこんなことができちゃうんだという驚き。コミカルな調子でナレーションを務めつつ、要所要所で声色を変えて各役の台詞もこなす。この軽やかさはオペラ歌手だけでは実現できない領域。歌手陣は砂川涼子による可憐なエレーヌ、工藤和真のヒロイックなパリスが印象的。オーケストラの編成はコンパクト。N響メンバーが多く、くっきりとして整ったサウンドで、歌とのバランスもよい。演出もスマート。安心して観ていられる。
●と、個々の要素は高水準だったと思うのだが、これで「美しきエレーヌ」という作品を十分に味わえたかというと、そこは悩むところ。特に序盤は語りの分量が多く(めちゃくちゃうまいのだが)、もっとたくさん音楽を聴きたいんだけどな……というもどかしさも。それと、風刺やパロディといった要素を公的な劇場でどう扱えば正解なのか、ということも考えさせられたかな。なんにも毒気がないのもどうかと思うけど、かといって、センスのない風刺ほど寒いものはないわけで。
●ともあれ、このシリーズ、いつもチャレンジングな演目で、この劇場に欠かせない名物企画になっていると思う。今回、客入りは寂しかったのだが、芸劇の企画って、全般にコツコツ当ててくるというよりはブンブン振り回してくる思い切りの良さがあって、そこが好き。

February 20, 2024

大井浩明の「Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時」第4回

●16日夜は松涛サロンで大井浩明のフォルテピアノ。「Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時」と題された全5回シリーズの第4回で、フォルテピアノによるシューベルト・シリーズ。毎回、シューベルト作品に加えて、フォルテピアノのための現代作品の初演も含まれる。使用楽器はタカギクラヴィア所蔵のヨハン・クレーマー(1825年ウィーン/80鍵/4本ペダル)。第4回のプログラムは、前半にシューベルトのソナタ第8番嬰へ短調D571(R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演)、3つのクラヴィア曲D946、ソナタ第16番イ短調D845、後半に南聡の「帽子なしで a Capo Scoperto」Op.63-4(世界初演)、ソナタ第20番イ長調D959。ぱっと見、すごく長いプログラムなのかと身構えてしまったが、最初のソナタ第8番補筆完成版が約8分、南聡の新作が約5分ということで、通常の範囲。
●フォルテピアノ、録音を通して聴くのは容易になったけど、現実には演奏会でソロを耳にする機会はすごく限られているし、機会が増えているという実感もない。今までフォルテピアノでシューベルトを聴いたことがあったかどうか。なので、楽器の音色や機能がもたらす印象が鮮烈。モダンピアノの音色表現が連続的なグラデーションをなすとすれば、フォルテピアノはもっと離散的というか、音域ごとの音色の違いやペダル機能が劇的な変化をもたらす。加えて、楽器の筐体。工業製品であるモダンピアノの堅牢性に比べるとはなはだ華奢に見える。にもかかわらず、最強奏時の突き抜けるような響きは衝撃的。楽器の限界ぎりぎりなんじゃないかと心配になるほどなのだが、そんな慄きが作品世界と呼応していたのがソナタ第20番。端然とした造形のシューベルトだがきわめて劇的。圧巻。
●アンコールにシューベルトのソナタ「グラン・ドゥオ」D812第4楽章の独奏版(というのがあるのだとか)。トークでこの曲とブラームスのピアノ五重奏曲終楽章との類似性などの話があって、客席がほっこり。

February 19, 2024

久石譲指揮新日本フィルのモーツァルト、ストラヴィンスキー

●16日昼は、すみだトリフォニーホールで久石譲指揮新日本フィル。平日昼間の公演だがチケットは完売。プログラムは前半に久石譲作曲の I Want to Talk to You - for string quartet, percussion and strings ‒(日本語表記は見当たらず)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」、後半にストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。なのだが、些細なアクシデントが原因で遅刻してしまい、一曲目を聴き逃してしまった……。なんという失着。いちばんの聴きものの自作自演だったのに。かなり気落ちしてしまう。が、2曲目のモーツァルトの「ジュピター」はそんな落ち込んだ気分を吹き飛ばしてくれるような快演。速めのテンポできびきびと進む筋肉質でエッジの立ったモーツァルト。今の時代のモーツァルトだと感じる。第1楽章の最初の一音から気迫が伝わってくる。休憩後の「春の祭典」も推進力があって、パワフル。重量感のある響きを押し出しながら、一気呵成に突き進んだ。
●以前、DGのステージプラスで久石譲指揮ウィーン交響楽団のライブを観た話を書いたが(参照)、そのときはオール自作プログラムで交響曲第2番、ピアノの弦楽器のための「ムラーディ」(青春)、交響組曲「もののけ姫」他というプログラムだった。6月に久石譲はシカゴ交響楽団でも自作プログラムを指揮するそうで、そちらは交響曲第3番「メタフィジカ」と「ハウルの動く城」より交響的変奏曲「人生のメリーゴーランド」、交響組曲「もののけ姫」というプログラム。純音楽作品と映画音楽の組合せになっている。

February 16, 2024

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2024 記者会見

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2024 記者会見
●15日、東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネTOKYO 2024の記者会見が開催された。昨年、4年ぶりに復活を果たしたラ・フォル・ジュルネだが、今回は昨年よりも本来の形に近づいた開催となる。具体的には地上広場キオスクステージおよびホールEのキオスクコンサートが復活する。昨年はがらんとして寂しい雰囲気があったが、これら無料コンサートの復活でフェスティバル感は戻ってきそう。もうひとつ、室内楽を中心とするG409の公演も開催されることになった。これで有料公演の会場はホールA、C、D7、G409の4か所に。有料公演は全90公演。ホールB5ではマスタークラスが開催される。
●音楽祭の主催は昨年と同様、ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2023運営委員会(三菱地所株式会社/株式会社東京国際フォーラム/株式会社KAJIMOTO)。アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンが来日して記者会見に登場、今年の見どころなどを語ってくれた。今回のテーマは「ORIGINS(オリジン)──すべてはここからはじまった」。音楽のオリジンに立ち返る。というと、いろんな意味に受け取ることができるわけだが、主だったところでは、諸民族の伝統に触発された国民楽派、ソナタや四重奏曲、協奏曲などといった楽曲形式の変遷、楽器の起原あたりがキーワードのようだ。すでに有料公演のタイムテーブルが公開されている。

February 15, 2024

アジアカップ2023カタール大会決勝ふりかえり カタールに3度のPK

●今さらながら振り返っておくが、アジアカップ決勝は大方の予想通り、開催国カタールがヨルダンを下して連覇を成し遂げた。カタール 3-1 ヨルダン。スコアだけを見たら「ああ、順当な結果だね」でおしまいだが、中身はそうでもない。なにしろカタールの3ゴールはすべてPK。アフィフがPKだけでハットトリックを達成した。そんな形で開催国が優勝してしまうとは。なんとも白けた決勝戦になってしまった。後半はヨルダンが攻め込んで優勢だったのだが。
●もちろんVARはあった。が、3回のPKの判定はかなり微妙だ。1回目のPKは、倒れたアフィフにシミュレーションでイエローカードが出てもおかしくない。2回目は肉眼ならPKは出ないだろうが、VARを厳密に適用すればPKになるかもしれない(でも故意にもらいに行っただけと判断されても納得できる)。3回目はファウルの場面以前にオフサイドがあったと思うし、ファウルの場面もアフィフがキーパーに自ら突進して倒れただけのように見える。この日の主審の判定を基準とするなら、サッカーはゴールを目指すよりもペナルティエリア内でより多く倒れるほうが優位な競技として再定義されそうだ。どんどんアジアの競技水準は上がっているけど、変わらないところは変わらない。
●われわれは追いついているのか、置き去りにされているのか。それがよくわからなくなった大会だった。

February 14, 2024

山田和樹指揮読響のシュトラウス、ブルッフ、フランク

●13日はサントリーホールで山田和樹指揮読響へ。山田和樹は2018年から約6年にわたって読響首席客演指揮者を務めてきたが、この3月で退任。首席客演指揮者としての最後のプログラムは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(シモーネ・ラムスマ)、フランクの交響曲。チケットは完売。
●やや重めのプログラムだが、3曲ともいつにも増して完成度の高い演奏。「ドン・ファン」は颯爽として華麗だが、読響の重厚なサウンドが生かされていた。ブルッフはオランダのヴァイオリニスト、ラムスマのソロが雄弁、たっぷりと。オーケストラもしっかり鳴らして雄大。ソリスト・アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第4楽章。「怒りの日」が出てくる曲。これは見事。フランクの交響曲は濃密。この曲、かつてに比べると人気がなくなってきているように感じるんだけど、やはり真の傑作だと改めて実感。フランクって晩年に成功したことやオルガニストだったことや構築的な作風など、いろんな面で「フランスのブルックナー」だと思うんだけど、惜しむらくは交響曲を一曲しか書いていない。本当なら9曲書くべき人だったんじゃないかという気がしてならない。うつむき加減で粘着質なところが最高だと思うんだけど、最後にパッと弾けて躁状態になるのがおめでたい。でもおめでたいモードはわりとあっさりと終わる。そこにぐっと来る。
●先週、山田和樹が音楽監督を務めるモンテカルロ・フィルの来日公演記者会見があった。そこでの話がとても率直でおもしろかったのだが、また改めて。

February 13, 2024

大植英次指揮NHK交響楽団のワーグナー&シュトラウス

大植英次指揮N響
●9日はNHKホールで大植英次指揮N響。25年ぶりのN響定期登場となる大植英次が、ワーグナー「ジークフリートの牧歌」とシュトラウスの交響詩「英雄の生涯」というダブル・リヒャルト・プロを組んだ。休憩なしのC定期なので、金曜日は19時30分開演。18時45分から「開演前の室内楽」があり、この日はドヴォルザークの弦楽五重奏曲第2番より第1楽章。ヴァイオリンに倉冨亮太、宮川奈々、ヴィオラに飛澤浩人、チェロに小畠幸法、コントラバスに矢内陽子。巨大空間での室内楽なので音像は遠いのだが、それを越えて熱量が伝わってくる。このコーナーはふだんあまり聴けない曲を聴けると得した気分になる。
●この「開演前の室内楽」が終わってから、本編が始まるまでにけっこう時間が空いているのだが、ロビーで会った同業の方が小澤征爾の訃報を知らせてくれた。享年88。しばらく小澤さんの話題になる。自分は仕事のご縁はなかったのだが、あらためてその存在の大きさに思いを馳せることになった。音楽に関心のない人も含めて、日本人がみんな知っている指揮者。そういう存在にだれがなりうるのだろう。
●本編は、まず「ジークフリート牧歌」。オーケストラ編成だが、冒頭部分だけは弦楽四重奏で始まった。悠然とした音楽の流れ。「英雄の生涯」は気合十分のスペクタクル。この曲、来日一流オーケストラが好んでとりあげるし、N響でもルイージ、パーヴォといった歴代首席指揮者の名演が記憶に新しいところだが、また一味違った重厚で熱血漢の英雄が誕生。どっしりと進み、粘性強め。コンサートマスターは郷古廉で、ソロは抜群の巧さ。流麗で雄弁。なかなかこうはいかない。
●この変則的な開演時間のC定期は今シーズンでおしまい。24/25シーズンからは普通の休憩あり2時間の公演に戻る。やはり定着しなかったか……という印象。あと、来季からの変更点としては、サントリーホールで開催されるB定期が水・木から木・金に変わる(→参照:2024-25シーズン定期公演 出演者・曲目発表)。

February 9, 2024

クァルテット・インテグラのハイドン、ジョン・ゾーン、ベートーヴェン

●8日はHakuju Hallへ。第170回リクライニング・コンサートにクァルテット・インテグラが登場。休憩なしの短時間プログラムで1日2公演開催する方式。19時半開演の夜の部へ。2015年に結成され、2022年にARDミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門で第2位を獲得するなど、今、大注目のカルテット。メンバーは三澤響果、菊野凛太郎(ヴァイオリン)、山本一輝(ヴィオラ)、パク・イェウン(チェロ)。昨年12月にチェロの築地杏里が退団、代わってパク・イェウンが出演。
●プログラムはハイドンの弦楽四重奏曲第37番ロ短調op.33-1、ジョン・ゾーンの「キャット・オー・ナイン・テイルズ」、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番ヘ長調。古典派の2曲のなかにジョン・ゾーンが入っているおかげで、ぐっと尖がったプログラムになっている。気のせいだろうか、全席リクライニング可能というこの名物シリーズ、あえて「絶対に寝させない」的なプログラムを持ってくる人が多いような……? 事実、ジョン・ゾーンははなはだ刺激的。ゴリゴリの不協和音の嵐のなかに陽気なメロディ等が割り込んでくるコラージュ作品なのだが、そのゴリゴリの部分が美しく響く。ベートーヴェンもキレッキレ。アンコールにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番ト長調op.18-2の第4楽章。最初にチェロが主題を奏でて始まる曲なので、パク・イェウンをフィーチャーする選曲だったのかな。鮮烈で、はじけている。
九尾の猫●ジョン・ゾーンの「キャット・オー・ナイン・テイルズ」、つまり「九尾の猫」っておもしろいタイトルだと思わないだろうか。が、プログラムノートに曲目解説がないので、意味がわからなかった。日本だったら「九尾の狐」はいるけど、「九尾の猫」って、ぷぷ、かわいい……と思いきや、Cat o'nine tailsを検索すると物騒なものが出てくる。「九尾の猫」とは懲罰用の鞭で、9本の細い縄あるいは革のひもがついており、その先端に痛みを増すための結び目や金属片を付けたものなのだとか。激しい痛みを与えることから、軍隊などで規律違反を罰するために使われていたという。この曲、クロノス・クァルテットの録音には Tex Avery Directs the Marquis de Sade という副題が付いている。テックス・アヴェリーはバッグス・バニーなどで知られるカートゥーン黄金時代のアニメーター。カートゥーン調のタッチでアニメ化されたマルキ・ド・サドみたいなイメージか。カートゥーン調の音楽も混入しているので、なにかの引用なのかも。もうひとつ、Cat o'nine tails はイタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの映画 Il gatto a nove code の英題でもあり(邦題は「わたしは目撃者」)、その音楽を担当しているのがモリコーネ。モリコーネっぽい曲調も出てくるのだが、それが引用なのかどうかは知らない。

February 8, 2024

チケット価格は4万円~最安席1万円で客席はガラガラ?

●昨晩、国立競技場でヴィッセル神戸対インテルマイアミの親善試合が開催されたが、客席はガラガラだったとか。メッシが所属するとはいえ、インテルマイアミはアメリカのチーム。そして神戸なのになぜか東京の国立競技場で開催。冬の平日ナイトゲーム。条件は厳しい。だが、最大の問題はチケット価格。メインスタンドのカテゴリー1が4万円、ゴール裏の最安席カテゴリー6が1万円だ。しかも、ゴール裏っていったって、前のほうはカテゴリー4で1万4千円なんすよ(え~、なにその席割)。試合は0対0。
●最近、こういうスター選手所属クラブの「来日公演」ですごい値段が付いているんだけど、サッカーの場合は演奏会とちがってどんなスターが来ても親善試合にすぎないわけで、これを「本番」ではなく「公開リハーサル」だと思ってしまう人は行かない。でもたとえ親善試合でも本物のメッシと空間をともにする体験に価値があると考えるなら行く。収容人数約6万8千席のところに2万8614人の観客数だったので、たしかにガラガラなんだけど、絶対数としては案外多いのでは? サッカーファンにも無数のタイプがある。そこはクラシック音楽ファンと同じ。
●アジアカップ2023カタール大会、ニッポンは敗退したが大会は続いている。日本代表を破ったイランは準決勝で開催国カタールと戦い、逆転負け。イラン 2-3 カタール。開始早々にアズムンのアクロバティックなゴールが飛び出したが、ガベルとアフィフのゴールでカタールが逆転、いったんはイランがPKで追いつくも、終盤にカタールのアルモエズ・アリが決勝点を決めるエキサイティングな展開。このゴール、オフサイドで取り消されると思ったが、VAR判定でもオンサイドに。もう一試合の準決勝はヨルダン 2-0 韓国。まさか韓国がヨルダン相手に完敗するとは。中東勢でもヨルダンはBクラスだと思っていたが、決勝まで進んでしまった。やはりアジア各国の力の差は縮まっている。決勝はカタール優位だろう。もしカタールが優勝すれば2大会連続のアジア王者。東アジア勢もオーストラリアも影が薄い。

February 7, 2024

山田和樹指揮読響のハイドン、カプースチン、ラヴェル他

山田和樹 読響
●3日は東京芸術劇場で山田和樹指揮読響。プログラムはグラズノフの演奏会用ワルツ第1番、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、カプースチンのサクソフォン協奏曲(上野耕平)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。バラエティに富んだプログラムだが、ワルツに始まってワルツに終わるプロ。ハイドンのメヌエットやカプースチンのスウィングも含めればダンス・プロともいえる。異彩を放っていたのはハイドン。なんと、倍管編成。弦は16型かな、コントラバスが8台というジャイアント・ハイドン。すごく分厚いサウンドが聞こえてくる。各木管楽器が4人並ぶハイドンは壮観で、少しオルガン的な響き。編成が大きいだけではなく、スタイルもレトロ調で、第1楽章の主部が始まったときにはあまりのテンポの遅さに心配になったほど(でもすぐにテンポを速めてくれた)。第2楽章は主題のくりかえしを前列プルトのみで演奏。20世紀巨匠風ハイドンだったが、これも一種の歴史的スタイルの再現といえるのかも。
●カプースチンのサクソフォン協奏曲を聴いたのは初めて。カプースチンはジャズの語法をクラシックの様式に落とし込んだ人だと認識しているのだが、ピアノ曲以外はほとんど聴いたことがなかった。エレキギター、エレキベースも入り、オーケストラでもありジャズ・バンドでもあり。上野耕平のソロは縦横無尽。強弱のダイナミズムがすごい。ソリスト・アンコールがボノーの「ワルツ形式によるカプリス」。本編に合わせてワルツ成分を盛り込んでくれた。おしまいのラヴェル「ラ・ヴァルス」は快演。ていねいに磨かれた整然としたカタストロフ。この曲、ソヒエフ&N響、亀井&ユンチャンの2台ピアノ版とここのところ立て続けに聴くことになった。みんなテイストが違う。大いに満喫。

February 6, 2024

METライブビューイング ダニエル・カターン「アマゾンのフロレンシア」MET初演

●2日、東劇のMETライブビューイングへ。ダニエル・カターンのオペラ「アマゾンのフロレンシア」(MET初演)を観る。今作は現代ラテンアメリカ・オペラ。メキシコの作曲家ダニエル・カターン(1949~2011)の作品で、言語はラテンアメリカのスペイン語(なんだそう)、舞台はアマゾン川を進む船上、主役のアイリーン・ペレスもメキシコ系、そして物語はガルシア・マルケスにインスパイアされたものだとか(後述するけど、そこはあまり気にしなくていい)。案内役はメキシコ出身のローランド・ヴィリャソン。陽気で超ハイテンションだ。演出はメアリー・ジマーマンで、舞台は鮮やかでカラフル、幻想的。指揮はヤニック・ネゼ=セガン。
●音楽は20世紀前半の書法を基調とするスタイルで、とりわけ色彩感豊かで壮麗なオーケストレーションはラヴェル「ダフニスとクロエ」をほうふつとさせる。主にラヴェル、いくぶんリヒャルト・シュトラウス、部分的にプッチーニなども思わせ、尖鋭なところはまったくない。オペラのような大掛かりな興行を成立させる現代オペラのあり方として、これがひとつの正解なのかも。事実、客席の反応はすこぶる熱狂的。「世界初演」需要を満たすのではなく、「再演」需要を満たすオペラというか。
●歌手陣では主役のソプラノ、アイリーン・ペレスが見事。甘くまろやかで温かみのある声。ネゼ=セガン指揮のオーケストラは精妙でさすが。
●で、物語はガルシア・マルケスからの着想で、その弟子が脚本を書いたという。最初、「コレラの時代の愛」(オペラ好きは必読。当欄での紹介記事はこちら)を原作にしたのかなと思ったのだが、一部モチーフが取り入れられているものの、筋はぜんぜん違っていて、特定の原作はない模様。主人公である謎めいた歌姫が20年ぶりに母国ブラジルのマナウスの歌劇場で歌うために、客船「エルドラド号」に乗ってアマゾン川を遡る。彼女の真の目的はかつてジャングルに消えた蝶ハンターの恋人と再会すること。この船でさまざまな人物と出会うが嵐に遭う。全2幕で、第1幕はリアリズム、第2幕は幻想譚。ワタシの理解では第2幕は彼岸の世界のできごとで、死者が復活したのではなく、全員があちら側に渡っている。ただ、ガルシア・マルケス的な要素(たとえば辛辣な諧謔味)はほとんど感じなかったので、先入観なしにラテンアメリカ的なおとぎ話として味わったほうが楽しめると思う。

February 5, 2024

アジアカップ2023カタール大会 準々決勝 イランvsニッポン

●史上最強とも呼ばれたニッポン代表だが、今回のアジアカップは幕を開けてみれば苦戦の連続、準々決勝でイランに敗れてベスト8で敗退することになってしまった。トーナメントに入ってからは一発勝負だし、最強のライバルとの対戦だったので負けて不思議はないが、それにしてもベスト8で敗退とは早い。負け方もよくなかったので、かなり悔しい。力及ばなかったというよりは、力を出し切れなかったという割り切れなさが残る。つまり、このイラン戦は「名勝負」じゃなかったんすよ。だって、後半48分っていうタイミングで、ゴール前での競り合いからこぼれた浮き球にセンターバックのふたり(板倉と冨安)がお見合いして、これを拾われたところからPKを与えて負けたわけで。結局、今大会、テレビ中継があった2試合はどちらも負けたのでは。
●悔しいけどメモっておく。先発はGK:鈴木彩艶-DF:毎熊、板倉、冨安、伊藤洋輝-MF:遠藤航、守田(→浅野)、久保(→南野)-FW:堂安(→細谷)、上田綺世、前田大然(→三笘)。前の試合から復帰した三笘はベンチに置き、左サイドに前田が大会初先発。前田の猛烈なプレスは効きまくっていた。前半はイランの強度に対してニッポンが技術と連動性の高さで対抗し、強豪相手にかなりやりたいことはできていたと思う。前半28分にワンツーでゴール前に抜け出した守田がシュートを決めて先制。しかし、後半はイランの長いボールに大苦戦。後半10分、モヘビの同点ゴールはアシストのアズムンが上手すぎたからまだいいとして、ロングボールでパワー勝負になるとニッポンは防戦一方に。後半22分、前田と久保を下げ、三笘と南野を入れてバイタリティを回復させるはずが、かえって前線のプレスが効かなくなり、ボールの収めどころもなく、ひたすら耐える展開になってしまった。もういつ失点してもおかしくない状況がずっと続いた結果、アディショナルタイムに最初に述べたようなお見合い→PKで逆転負け。イラン 2対1 ニッポン
●一昔前なら「やっぱりパワー勝負にニッポンは弱いね」でおしまいだが、今の選手たちは欧州で日常的に怪物的なパワーを持った選手たちと戦っている。ロングボールにはボールの出しどころにプレッシャーをかけたいが、中二日、後半から出足が鈍ったということなのかもしれない。相手も中二日、ニッポンのシンプルなアーリークロスにフリーの上田が頭でシュートする惜しい場面もあった。ガス欠のときにどう戦うかという意思統一がほしかったとも思うし、交代策が失敗したときに延長戦を考えずに次の手を打つべきだったのかもしれない。まあ、結果論ならなんでもいえる。最後の「お見合い」を耐えきって、延長戦に入るときに森保監督はミーティングでプランを伝え、意思統一を図り、必要な交代策を施すつもりだったのかもしれない。それで勝っていれば名将だ。
●でも、今の時点の感想としては、森保ジャパンというひとつのサイクルが終わったのかな、同じ人物が長く監督を務めすぎたのかな、と思っている。

February 2, 2024

芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.8 亀井聖矢×イム・ユンチャン

東京芸術劇場 VS 亀井聖矢 イム・ユンチャン
●1日は東京芸術劇場で芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.8 亀井聖矢×イム・ユンチャン。日韓若手スター・ピアニストの共演とあって、チケットは完売。開演前からムワムワとした期待感が漂っている。以前、ユンチャンを聴いたときもそうだったけど、客席のあちこちから韓国語が聞こえてくる。
●プログラムは前半が亀井のソロでショパンのモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲、ユンチャンのソロでショパンのエチュード・セレクション(3つの新しいエチュードより第1番ヘ短調、Op.25より第1番変イ長調「エオリアンハープ」、第5番ホ短調、第6番嬰ト短調、Op.10より第10番変イ長調、第9番ヘ短調、Op.25より第11番イ短調「木枯らし」)、2台ピアノでラヴェルの「ラ・ヴァルス」、後半がともに2台ピアノでミヨーの「スカラムーシュ」とサン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」。もともとは最後がラフマニノフの2台ピアノのための組曲第2番だったのが、なぜか「動物の謝肉祭」に変更になった。この曲は1stユンチャン、あとは1st亀井。
●ふたりとも颯爽としていて、とてもカッコいい。そして風貌が似ている。衣装まで被り気味。が、芸風はだいぶ違う。亀井は華麗なピアニズムが魅力。洗練され、磨き上げられたエレガンス。ユンチャンは内にふつふつとしたパッションがあって、作品にぐっと一歩踏み込む感じ。前半、ショパンの「木枯らし」はもう突風か嵐かという勢い。「ラ・ヴァルス」が圧巻。ふたりのキャラクターがぶつかり合って、華麗さとグロテスクさがほどよくバランス。後半「スカラムーシュ」は爽快。おしまいが「動物の謝肉祭」で、ずいぶん軽いプログラムになってしまったが、デザートたっぷりのコースメニューと思えばいいのかも。いろんなやりようのある曲だとは思うけど、若さにふさわしくまっすぐ。アンコールにチャイコフスキー「くるみ割り人形」より「花のワルツ」。甘く華やいだ気分で幕を閉じた。
●前半、2台目のピアノを入れる舞台転換の間、亀井がマイクを持ってトーク。まず韓国語で挨拶と感謝の言葉を述べて、それから日本語トークに入るというホスピタリティを発揮。そこで一昨年のヴァン・クライバーン・コンクールでユンチャンといっしょになった話を披露してくれて、優勝したユンチャンとまちがえられて「コングラチュレーション」となんども言われたのだとか。気の毒だけど、少しおかしい。当時のほうが今よりさらに髪型が似ていたので、無理もない話。
●2台ピアノ、亀井が電子楽譜、ユンチャンが紙の楽譜だったんだけど、ふたりの譜めくり男子が影のように寄り添っていた。電子楽譜の譜めくりといっても画面を「シュッ!」とするのではなく、手元のスイッチを操作しているだけなので(たぶん)、微動だにしない。あの気配の殺し方はすごいと思った。世の中には1分としてじっとしていられない人もいるのに。

February 1, 2024

アジアカップ2023カタール大会 ラウンド16 バーレーンvsニッポン

●アジアカップ、グループリーグを2位で通過したニッポンは、決勝トーナメント1回戦でバーレーンと対決。なんと、決勝トーナメントに入ったのにテレビ中継なし、DAZNの配信のみ。勝ち進めば次から地上波の中継があるらしいが、ここで負けてしまうと、テレビ視聴者にとっては今回のアジアカップはなかったようなもの。ワールドカップに次ぐ重要な大会がこれでは……。
●当初、対戦相手は韓国と予想されたが、韓国がマレーシアと引き分ける番狂わせがあり、相手がバーレーンに。会場が圧倒的なアウェイの雰囲気になるかと思いきや、そこまででもなかったような? それよりアジアの戦いならではの主審のジャッジに閉口したが(バーレーンの選手と日本の選手に対するファウルの基準が違いすぎる)、決定的な場面だけはVARで明らかになるのは救い。ニッポンのメンバーはほぼ前の試合と同じで、GK:鈴木彩艶-DF:毎熊、板倉、冨安、中山雄太-MF:遠藤航、旗手(→守田)-堂安(→町田)、久保(→南野)、中村敬斗(→三笘)-FW:上田綺世(→浅野)。
●開始早々が肝心と思っていたが、バーレーンが思ったほどアグレッシブに来ない。チェコの1部リーグでプレイする194cmの長身フォワード、アブドゥラ・ユスフは脅威。意外と落ち着いたペースで試合が進み、前半32分、毎熊がとんでもなく強烈なミドルシュート、これがポストに当たってこぼれたところを堂安が落ち着いてゴールに流し込んで先制。毎熊、ここまでパンチ力のある選手だったとは。前半に旗手が負傷退場したのは誤算。
●後半4分、久保が敵陣でボールを奪ってショートカウンター、味方選手との連携があわなかったが、相手ディフェンダーが触ったボールがゴール前の久保にこぼれて、これをゴールへ。審判の判定はオフサイドだったが、VARで見るとオマーン選手が触ったボールを久保が拾っているので、久保のポジションは問題にならない。これでニッポンは2点目。VARがなかったらオフサイドで終わっていたはず。その後、後半18分に日本はゴール前で鈴木彩艶が味方と交錯して、こぼれたボールがゴールに入ってオウンゴールで失点。この場面の直前に、鈴木がキャッチできそうなボールをパンチングで弾いてピンチが広がったこともあって、またも物議を醸しそうなプレイ。鈴木は好プレイもあるのだが、今大会、判断が裏目に出る場面が続いている。その後、後半27分に上田がゴール前で反転して強引にシュートに持ち込んで3点目。バーレーンは終盤に疲れて足が止まってしまった。バーレーン 1対3 ニッポン
●結果も内容もよかったが、バーレーンが精彩を欠いたというべきか。上田がいい。ゴール前での反転力、そしてシュートのパワーがほかの選手にない武器。中村敬斗もあいかわらずすばらしいのだが、怪我から復調した三笘に交代すると、左サイドは三笘の無双状態に。左サイドのポジション争いはハイレベルすぎる。久保も異次元のうまさ。中盤のキープレーヤー遠藤航は出ずっぱりだが、ひやりとする場面も。次は中二日なのでどうするか。終盤、ビッグチャンスに浅野のシュートが決まらない。後半途中で堂安が町田と交代したのは、相手が2トップに変えてきたのに対応して3バックに変えるため。
●次戦の相手はシリアをPK戦で下したイラン。最強国と思しきイランもシリア相手に苦戦しているわけで、中東の間でも力の差が縮まっているのかも。別の山ではサウジアラビアがPK戦で韓国に敗れた。

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