●20日は新国立劇場でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」。2010/2011シーズンに初演されたデイヴィッド・マクヴィカー演出が帰ってきた。指揮は当時と同じく大野和士だが、ピットには都響が入った。主役ふたりは当初発表から変更があり、トリスタン役がゾルターン・ニャリ、イゾルデ役がリエネ・キンチャに。マルケ王はヴィルヘルム・シュヴィングハマー、ブランゲーネは藤村実穂子、クルヴェナールはエギルス・シリンス、メロートは秋谷直之。演出はストレートで、夜の情景を比較的シンプルな舞台装置であらわす。空に昇る大きな月が赤や白に色を変えて、動く。読み替えはなく、スタイリッシで、音楽を妨げない。
●全3幕、45分の休憩を2回はさんで計5時間半の長丁場。長いといえば長いが、きびきびしていてむしろこれでも長くない。ピットの都響がすばらしい。重厚というよりは澄明なワーグナー。クリアで粘らない。大野和士の自在のドライブから起伏に富んだドラマが生み出される。再演ものでこれだけ精妙なオーケストラを聴けるのはうれしい。都響のサウンドが全体の印象を決定づけた感あり。ニャリのトリスタンは強靭というよりはスマート。脇を固める歌手陣が充実していて、客席からもっとも喝采を受けていたのは藤村実穂子のブランゲーネだった。シュヴィングハマーのマルケ王は威厳も声量もある。
●ワーグナーのオペラ、なにせ長いので聴く前は滝に打たれる覚悟で臨むんだけど、聴き終わると元気がわいてくる。第1幕、第2幕……と進むにつれて、気分があがってきた。
●このオペラって、終幕で人が無駄死にするんすよね。誤解から死人が出たことをマルケ王が嘆く。だが、そもそもの誤解の原因はお前さんが大軍勢を引き連れてきたからであって、まずは用件を書いた手紙を持たせた使者でも送れば、このような殺し合いは起きなかった。大事なのは「ほう・れん・そう」。オペラの登場人物たちはどこまでも「報告、連絡、相談」が苦手だ。
●以前に読んだサイモン・シンの科学ノンフィクション「代替医療解剖」では、科学的な根拠のない代替医療の多くがプラセボ効果を利用していることが明らかにされていた。プラセボ効果は一般に思われるよりもずっと強力で、たとえばホメオパシーのように事実上ただの水でしかない薬であっても、その効能を期待する人には痛みが消えるなど、明白な効果が出てしまうというのだ。そこで、思い出したのは、ブランゲーネの秘薬だ。ブランゲーネはイゾルデに毒薬を与えるのではなく、媚薬を渡してしまったことから、トリスタンとイゾルデの悲劇がはじまった。しかし、ブランゲーネの薬は、実際にはすべてがただのワインなのではないか。同じワインがときには毒薬として、ときには媚薬として機能しているのはないかと思い当たった。
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●W杯予選、ニッポン対北朝鮮についてはまた改めて。
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March 22, 2024