●(承前)後にノーベル文学賞を受賞することになるバルガス・ジョサ(バルガス・リョサ)だが、「街と犬たち」(旧訳では「都会と犬ども」)を書いたのは27歳の年で、これが長篇デビュー作。とてもそうは思えない成熟度。軍人学校が舞台となっているのだが、「犬」というのは下級生のことを指している。人間より下、というニュアンスなのか、上級生の虐めの対象になっている。本物の犬も出てくる。犬の名前は「マルパペアーダ」(旧訳では「ヤセッポチ」)。この犬は生徒のひとりにすっかりなついているのだが、ときには虐められたり、その生徒の欲望のはけ口になったりする(ほかには鶏も同じ目にあっている)。一方、生徒たちのヒエラルキーの頂点に立っているのはジャガー(という愛称の少年。こうしてみるとこの小説は動物成分が高い)。ジャガーは喧嘩上手で、下級生の頃から決して上級生に屈することがなかった。ジャガーの周りには取り巻きができる。ところが終盤、ある事件をきっかけに密告者ではないかと疑われ、ほかの生徒たちから孤立する。動物のジャガーも群れを作らないそうなので、ジャガーはジャガーらしく生きることになったともいえる。
●物語のなかで生徒たちにひとり犠牲者が出る。演習中に銃弾に当たり、当初は不幸な事故として処理されるのだが、ある生徒からこれはジャガーによる殺人だという証言が出てくる。ジャガーは疑いを否定し、身の潔白を主張する。結局、これは事故だったということで片付くのだが、後になってジャガーは士官に対して、本当は自分が殺したのだと罪を告白する。で、ここで問題になるのは小説の読み方で、ジャガーは罪を犯したと素直に解釈しても話は成立するが、実はジャガーは殺してはおらず、あえて罪を被ったのだという読み筋もおそらく成立する。前回、訳者解説にとてもおもしろいエピソードが紹介されていたと書いたのはその点で、作者のバルガス・ジョサはあきらかにジャガーが殺したという前提で話を書いていたようなのだ。バルガス・ジョサがあのロジェ・カイヨワと会ったとき、カイヨワは「街と犬たち」を大絶賛した。彼はとりわけジャガーの「英雄」らしいふるまいに感銘を受けたというのだ。しかしバルガス・ジョサは意味がわからず、「英雄? どういうことですか、人を殺した悪者ですよ」と尋ねたところ、カイヨワはこう言ったという。
「君は自分の小説のことがまったくわかっていない。ジャガーは犯してもいない殺人の罪を被ってクラスメートを守った英雄じゃないか」
自信満々のカイヨワに対して、バルガス・ジョサはジャガーが殺人を犯したのかどうか、わからなくなってしまったというのだ。
●すごくいい話だと思ったし、本来、作品とはそういうものだと思う。ジャガーは殺したのか、殺していないのか。その正解は作者が決めることではない。ひとつの作品の読み方はいくつもあり、読み方は時とともに変化したりもする。AとBの解釈があるとして、「Bは説得力がない」という主張は成立しても、「作者がAだと言っているからBはまちがい」という主張は成立しない。音楽作品の解釈も同じだと思っている。(→つづく)