●近年知った言葉でおもしろいなと思ったのが「蛙化現象」。本来は「好意を抱いている相手が自分に好意を持っていることが明らかになると、相手に嫌悪感を抱くようになる」という現象なのだとか(Wikipedia)。だが、自分が見聞きした範囲では、単純に「好きだった相手の嫌なところを目にして幻滅する」といったシンプルな意味合いで使われているようだ。
●この言葉はグリム童話の「かえるの王さま」が由来だというのだが、これが少し妙なところで、グリム童話では最初、姫は蛙に対して嫌悪感を感じていたのが、最後に蛙が王子に変身してふたりは結ばれる。巷でいう「蛙化現象」とは方向性が逆のような気がする。あと、この童話自体もかなり風変わりで、「美女と野獣」みたいに姫が蛙に心を開いたから蛙が王子に変身するのではない。姫はこれ以上は蛙に耐えられなくなって、蛙を思い切り壁に叩きつけたら王子に戻ったという話なのだ。まるで教訓的な要素がなくてバイオレンス上等な結末にたじろぐ。
●で、「蛙化現象」でまっさきに思い出したのは、ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」(新潮社)。若き日の主人公が裕福な家の娘にひとめぼれをする。ふたりは恋に落ち、想いを手紙に綴るが、娘の父がふたりの仲を引き裂く。手紙の往復は命がけの恋まで発展するのだが、あるとき、旅から帰ってきたヒロインが主人公とばったり出会ったところ、一瞬で底知れぬ失望を感じる。「蛙化現象」だ。
その瞬間、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づき、どうしてこんなにも長い間激しい思いを込めて心の中で恋という怪物を養い育ててきたのだろうと考えて、ぞっとした。
この辛辣さとおかしさがたまらないのだが、この物語は「蛙化現象」のさらにずっとずっと先までを描き、見事な老人小説になっているところが並外れている。