●ガルシア=マルケスの「百年の孤独」(新潮文庫)をゆっくりと再読している。初読はもう30年以上も前のことで、水色と白の簡潔なカバーデザインだった。それから何度か改訳あるいは新装版が出たと思うが、なかなか文庫にならなかった。「文庫化される」という確からしい情報が出たこともあったが、それがどういうわけか立ち消えになったりして、そのうち「百年の孤独」は「文庫化したら世界が滅びる」などと言われるようになった。うかつにそんなことを言うものではないと思うのだが。そして、今年、ついに新潮文庫から発売されたわけだが、帯の惹句に「この世界が滅びる前に──」という一言が添えられていた。ええっ……。発売前から重版がかかる人気ぶり。
●初読では後半からページをめくる手が止まらなくなり、夜を徹して最後まで読み切って眩暈のような感覚を味わったが、再読は急がず、ゆっくりと読むことに。記憶に残っている部分とすっかり忘れている部分がある。ずっと昔に訪れた旅先にもう一度やってきたみたいな感覚だ。本を手にして思ったのは、意外と厚くない。いや、672ページの文庫本は厚いには違いないのだが、記憶ほど厚くない。厚い小説が増えたので、相対的に厚いと感じなくなっただけかもしれない。
●登場人物の表記が、最初に読んだときは「アウレリャーノ・ブエンディーア」だったと思うが、その後、改訳時に「アウレリャノ・ブエンディア」になったのだとか。音引きを削るだけで、全体で何ページだったか忘れたが、けっこう短くなるという話で、なるほど、それは冴えたアイディアだと思ったもの。もちろん、この文庫でも「アウレリャノ・ブエンディア」。音引きがないほうが表記として今風とも言える。
●ようやく、半分弱まで読んだ。ブエンディア家の家系図が最初に載っているので、これをなんども見返しながら読む。マコンドの街を創設した第1世代のホセ・アルカディオ・ブエンディア、その息子たちホセ・アルカディオやアウレリャノ・ブエンディア大佐の第2世代、アルカディオとアウレリャノ・ホセの第3世代の物語が綴られ、そろそろ第4世代のホセ・アルカディオ・セグンド、アウレリャノ・セグンド、小町娘のレメディオスが登場しつつある。「小町娘」っていう訳語がよい。
●序盤のハイライトは氷のシーンだと思う。探求心旺盛な第1世代のホセ・アルカディオ・ブエンディアがジプシーたちの市を訪れ(ここでメルキアデスの訃報を聞く)、子どもたちにせがまれて「メンフィスの学者たちの驚異の新発明」を見に行く。金を払ってテントに入ると、大男が海賊の宝箱のようなものを見張っており、ふたを開けると冷たい風がふきあげる。箱のなかにあったのは「夕暮れの光線がとりどりの色の星となって砕ける無数の針をふくんだ、透きとおった大きな塊」。ホセ・アルカディオ・ブエンディアはこれを「世界最大のダイアモンド」と呼んだが、大男が「そいつは氷だ」と諭す。ホセ・アルカディオ・ブエンディアはさらにお金を払って氷に触り、子どもたちの分も払って触らせる。息子のアウレリャノは氷に触って「煮えくり返ってるよ、これ!」と叫ぶ。
しかし、父親は息子の言葉を聞いていなかった。その瞬間の彼はこの疑いようのない奇蹟の出現に恍惚となって、熱中した仕事の失敗のことも、烏賊の餌食にされたメルキアデスの死体のことも忘れていた。彼はもう一度、五レアルのお金を払って氷塊に手をあずけ、聖書を前に証言でもするように叫んだ。
「こいつは、近来にない大発明だ!」
このくだりを読んで、冷凍庫から氷を取り出して、ホセ・アルカディオ・ブエンディアごっこをしたくなったのはワタシだけではないはずだ。真夏ならなおさら。(つづく)