●引き続き、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」(新潮文庫)をゆっくりと再読している。その1で紹介したように、一族の祖ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、生まれて初めて氷なる未知の物体に触り、「こいつは、近来にない大発明だ!」と感嘆する。このとき、彼は追加の料金を払って息子にも氷を触らせている。氷に触った息子は「煮えくり返ってるよ、これ!」と叫ぶ。この場面を序盤のハイライトと呼びたいのは、有名な冒頭の書き出しと呼応しているから。「百年の孤独」のはじまりの一文はこうだ。
「長い年月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない」
このアウレリャノ・ブエンディア大佐が、上述のホセ・アルカディオ・ブエンディアの息子。この一文のように将来の最期の場面(少なくともそう読める場面)の記述とともに登場人物があらわれるパターンは、これ以降にも出てくる。循環的な時の流れは本書の中心的なテーマだ。だから、何世代にもわたって一族に同じ名前がくりかえし出てくる。
●ホセ・アルカディオ・ブエンディアはマコンドの町の創設者だが、どうしてこの町が誕生したかといえば、もとをたどればホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの結婚にたどり着く。ふたりはいとこ同士だった。結婚しようとすると親戚たちはこぞって反対した。近親婚により「イグアナが生まれる」ことを懸念したのだ。実際に一族には先例があり、豚のしっぽを持って生まれてきた男がいた。しかし、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは「口さえきければ、豚に似ていようがいまいが、かまうもんか」と言って、ウルスラと結婚する。不吉を恐れたウルスラの母親は、貞操帯のようなものを娘に付けさせる。これが原因となって、ある男がホセ・アルカディオ・ブエンディアをからかう。侮辱されたホセ・アルカディオ・ブエンディアは、槍の一突きで男を殺す。すると、男は死後も悲しげな顔で化けて出て、ふたりにまとわりついた。ついにホセ・アルカディオ・ブエンディアはウルスラとともに村を出ていく決心をする。ふたりは冒険心にあふれた友らといっしょに何年も旅をして、たまたまたどり着いた土地にマコンドの町を建設したのだ。
●一族とマコンドの物語はこんなふうに近親婚ではじまっている。文庫本の最初に載っている家系図の一番下に「アウレリャノ(豚のしっぽ)」と記されており、最後まで読まずとも、いずれ巡り巡って近親婚から「豚のしっぽ」が生まれてくることが予想できる。それだけではなく、中盤ではアウレリャノ・ホセ(ホセ・アルカディオ・ブエンディアの孫)とアマランタが結婚しそうになるのだが、ふたりは甥と叔母の関係にある。アマランタはアウレリャノ・ホセに向かって、自分は叔母であり、ほとんど育ての母のようなものであり、「豚のしっぽのある子供が生まれるかもしれない」と説得する。アウレリャノ・ホセは「かまうもんか、アルマジロが生まれたって」と答える。これは初代のホセ・アルカディオ・ブエンディアの口ぶりにそっくりだ。
●音楽界でいとこ婚でまっさきに思い出されるのはラフマニノフとナターリヤ・サーチナ。ロシア正教会がいとこ婚を禁じていたため、この結婚は困難なものだったそうで、特別な許可を得て結婚にたどり着いたという。ほかにはストラヴィンスキーと最初の妻エカテリーナ・ノセンコもいとこ婚で、これも本来なら許されざる婚姻だったようだ。もっとも日本をはじめ、いとこ婚が許容されている国はまったく珍しくない、というか多数派だろう。ブエンディア一族のいとこ婚に対する忌避感はずいぶんと強い。(つづく)