●(承前)少し間があいたが、ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮文庫)の再読メモを続ける。物語も終盤に入ったところで、一族をずっと見てきた老齢のウルスラが言う。
時は少しも流れず、ただ堂々巡りをしているだけであることを改めて知り、身震いした。
ブエンディア一族で同じ名前がくりかえされているが、くりかえされているのは名前だけではない。前にも述べたように、反復的な時の流れはこの物語の中心的なテーマだ。
●一方で、一族の外からやってきた登場人物は、しばしば異質な文化をブエンディア家にもたらす。たとえば、フェルナンダ。没落した名家に生まれたフェルナンダはアウレリャノ・セグンドと結婚し、自分の家の風習を強引に持ち込む。やがて生まれた長女はレナータ・レメディオス(メメ)と名付けられる。メメは尼僧たちの学校に通わされ、クラヴィコード(クラビコード)を習う。
●えっ、クラヴィコード? ここはびっくりする場面だ。クラヴィコードといえばバッハやその息子らも愛好した昔の打弦鍵盤楽器。音量が小さく、コンサート用の楽器ではなく、もっぱら家庭用の楽器として言及されるが、19世紀になると忘れられ、その後、20世紀の古楽復興運動により甦る。一般的にはそんな認識だろう。復興したと言っても、録音では聴けても、演奏会で聴くチャンスはなかなかない。そんな楽器が1967年出版の「百年の孤独」に出てくる。メメはなにを弾いたのか。
やがてメメは勉学を終えた。一人前のクラビコード奏者であるむねを証明する免状が本物だということは、卒業を祝うと同時に喪の終わりを告げるために催されたパーティの席上で、十七世紀の民謡ふうの曲を実に巧みに演奏したことで示された。
これがどんな曲なのかはわからないが、当然、バッハなどを弾くはずはない。検索で見つけたサイト、CLAVICORDIOS HECHOS EN AMÉRICA LATINA を眺めると、どうやら南米各国ではさまざまなクラヴィコードが製作されており、ヨーロッパとはまた違ったクラヴィコード文化が花開いていたようである。ちなみに、このサイトにはチェンバロ奏者のラファエル・プヤーナ(コロンビア出身だ)が所蔵する楽器も載っている。
●もっとも、メメがクラヴィコードを弾くのは音楽への情熱からではまったくなく、単に頑迷な母フェルナンダの不興を買わないためであって、従順な態度の奥にはどす黒い憎悪が隠されている。これに母親は気づいていない。メメはマウリシオ・バビロニアと密かに恋に落ち、ある事件をきっかけに、老衰で世を去るまで二度と口をきかなくなる。(つづく)
●おまけ。La Hacienda - Latin American Music On Clavichord (Federico Hernández)