●「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」「尼寺へ行け!」「復讐するは我にあり」「弱き者、汝の名は女」。名言がたっぷりつまってるけど、シェイクスピアの「ハムレット」にはオペラの名作がない。トマのグランドオペラ「ハムレット」は当時大成功を収めたそうなんだけど、今ではめったに上演されない。管弦楽曲としてもチャイコフスキー、リスト、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチが「ハムレット」を書いてるが、ビッグネームがそろってるわりには、どれも有名曲とはいいがたい。「ロメオとジュリエット」や「真夏の夜の夢」「ウィンザーの陽気な女房たち(ファルスタッフ)」に比べると、「ハムレット」の音楽化はなかなか難しい様子。でも、ストーリーはかなりおもしろいと思うんすよね。
●で、先日、NHK「100分de名著」の「シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ」(河合祥一郎著)を読んで、自分が「ハムレット」をぜんぜんわかっていなかったことを思い知った。たとえば、ハムレットって、優柔不断なひょろっとした男子みたいなイメージでとらえがちじゃないすか。でも、それは伝統的な誤解ともいうべきもので、父王を殺されたハムレットが復讐を逡巡するのは、父の亡霊が本物なのか、それとも悪魔なのかを迷ってるからだ、って言うんすよね。実際、シェイクスピアのテキストにそう書いてある。で、なるほどと思ったのはこの話。
実はここには、カトリックとプロテスタントという、当時の宗教問題が関係してきます。亡霊という存在を認めるのはカトリックだけで、プロテスタントでは死者の亡霊などというものは認めていません。プロテスタントの見方からすれば、これは悪魔が見せる幻影ということになります。つまりハムレットは、カトリックとプロテスタントのあいだで揺れているという解釈もできるのです。
自分は日本的な感性から「父王の亡霊」という存在をあまりにすんなりと受け入れてしまい、ハムレットの迷いがぜんぜんピンと来ていなかった。このカトリックかプロテスタントか、という問題がひいては中世的な情熱か近代的な理性かという選択肢につながってくるというのだ。ハムレットの周りにいる登場人物では、レアーティーズが情熱の人、ホレイシオが理性の人という対比がある。
●もうひとつ、びっくりしたのがこの話。シェイクスピアの劇は近代演劇とは違うという文脈で、こう記されている。
当時はそもそも役者に台本すら配らなかったのです。著作権のない時代ですから、金に困った役者が台本を別の劇団に売って、儲けようとしたら困るからです。ではどうやって稽古をしたのかといえば、役者ごとに台詞ときっかけだけを写した書き抜きを配りました。つまり役者は相手役の台詞も知らないし、通し稽古で初めて芝居の全貌を知るということになります。それぞれに自分の台詞だけが書かれた巻物(roll)を持って稽古したので、のちに役のことをロール(role)と呼ぶようになったのです。
わわ、これ知ってた? 読んでいて思わずのけぞった。「ロール」って、そういうことだったんだ。あと、役者が受け取る「ロール」って、オーケストラの「パート譜」みたいだなと思った。