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February 7, 2025

新国立劇場 ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」 2025

新国立劇場 フィレンツェ2部作
●6日は新国立劇場でツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」&プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」のダブルビル。2019年に初演された粟國淳演出のプロダクションで、指揮は初演と同じ沼尻竜典だが、オーケストラは東京交響楽団。このフィレンツェ・セット、本当によくできた組合せでとても楽しい。物語も音楽も上質で、両作とも1時間前後と短いので気構える必要がない。悲劇と喜劇の組合せだが、前者は「暗黒のラブコメ」、後者は「地獄に落ちる話」という逆説があるからおもしろい。
●ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」は歌手が3人のみ。商人シモーネにトーマス・ヨハネス・マイヤー、フィレンツェ大公の息子グイード・バルディにデヴィッド・ポメロイ、シモーネの妻ビアンカにナンシー・ヴァイスバッハ。歌手陣充実。シモーネの役柄が多弁な商人なので、もっぱらシモーネ役が歌い続ける。もう少しグイード役の美声を聴きたいと思ってしまうほど。後期ロマン派スタイルの官能的で豊潤なオーケストラの響きを堪能。
●寝取られた商人が、傲慢な貴族に対して下手に出ながら弁舌巧みに剣による決闘に導く。盗賊に襲われ撃退した実戦経験もある商人にとって、猟色家の貴族など敵ではないということなのだろう。間男を殺した後、今度は裏切った妻を殺そうとする。ところがそこで、妻が自分の夫の強さを知って恍惚とし、夫も妻の美しさに気づき、口づけで終わる。笑ってしまうような結末だが、この愛の形にはある種の真実味がある。最後の最後の場面、「あれ、やっぱり妻を殺すのかな?」という演技にも見えたけど、ツェムリンスキーのスコアは「愛の音楽」に着地していると思う。
●舞台装置が変わっている。屋内の話なのに屋外になっていて、前回も今回も意味がわからなかった。
●ツェムリンスキーの後、プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」になると一気に晴れやかな気分になる。ジャンニ・スキッキ役はピエトロ・スパニョーリ。うさん臭い人物というよりダンディな人物像ながら、声マネも無理がなくコメディアンぶりを発揮。ラウレッタに砂田愛梨、リヌッチョに村上公太、ほかに与田朝子、青地英幸、針生美智子、網永悠里、志村文彦、河野鉄平、吉川健一、中島郁子、畠山茂、清水宏樹、大久保惇史、水野優。チームワークのコメディ。比較的序盤に随一の聴きどころ「私のお父さん」が歌われるわけだが、砂田愛梨はここで劇場内の空気をがらりと変えた。大成功では。東響も好演。やはりプッチーニはオーケストレーションの魅力が大きい。
●ジャンニ・スキッキがブオーゾに扮して、大事な遺産をジャンニ・スキッキに相続させるという強欲三連発の場面、なんど見てもおかしい。昨年のセイジ・オザワ松本フェスティバル「ジャンニ・スキッキ」ではここで客席からドッと笑いが起きたのを思い出す。新国立劇場になるとお客さんが作品を知りすぎているからなのか、笑いは起きない。
●舞台には巨大な本や目覚し時計、天秤などが置かれていて、登場人物はみんな小人ということになっている。ブオーゾはベッドではなく本の上に寝ており、やがてその本がダンテの「神曲 地獄篇」であることがわかる。遺産相続を巡って争う親戚たちの人間としての卑小さをあらわしているのだろうか。が、これが「フリ」だとすると、「ウケ」が欲しいと思うのは自分だけではないと思う。つまり、最後まで観るとどうして小人なのかが腑に落ちるような物語作法を期待してしまうのだが。ともあれ、全体としてはすこぶる良質な二本立てで、2回観ても「また観たいな」と思えるほど。