●3日はTOPPANホールで「フライブルク・バロック・オーケストラ with クリスティアン・ベザイデンホウト I」。フォルテピアノのクリスティアン・ベザイデンホウトとフライブルク・バロック・オーケストラによる2夜にわたる公演で、その第1夜のみを聴く。プログラムは前半がモーツァルトのオペラ「偽の女庭師」序曲、ハイドンの交響曲第74番変ホ長調、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番ト長調、後半がヨハン・クリスティアン・バッハの交響曲ト短調Op.6-6、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノム」。ベザイデンホウトが弾くフォルテピアノは、ポール・マクナルティ(2002年作)によるアントン・ワルター・モデル(1800年頃)。オーケストラは指揮者を置かず、コンサートマスターのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツがリード。弦楽器の編成は44321、だったかな?(うろ覚え。54321かも)。座って演奏。
●このプログラム、少しおもしろかったのは最初のモーツァルト「偽の女庭師」序曲がアレグロ~アンダンテの「急─緩」の変則的な2部構成になってて、そのままつなげてハイドンの交響曲第74番に入った。そのため、第1楽章が終わったところで「急─緩─急」の3部構成が終わったみたいな錯覚が生じて、実際に拍手が起きた。これは狙い通りなのかな。拍手の後に、ハイドンの緩徐楽章が始まって「あれれ?」ってなる。モーツァルトとハイドンの親和性を示してくれたことになる。後半のヨハン・クリスティアン・バッハの交響曲ト短調は疾風怒濤といった趣で、これもモーツァルトの交響曲第25番ト短調に近い性格がある。ただ、類似性があるだけに、かえってクリスティアン・バッハとモーツァルトの間の大きな隔たりを感じるような……。オーケストラは鋭利でざらりとした質感の響きで、ぐいぐいと進む。
●2曲の協奏曲が圧巻。ベザイデンホウトのソロは洗練され、ニュアンスに富む。生気にあふれ、しっとりとした情感も十分。オーケストラのトゥッティの部分でも、ベザイデンホウトはなんらかのバスを弾いてアンサンブルに加わるわけだが、フォルテピアノの音色は無理なくオーケストラと調和する。モダンピアノであればなにも弾かない人が大半だと思うけど、長い提示部の間、ソリストがずっと沈黙しているのはなんだか落ち着かないといつも感じる。よく「ジュノム」は冒頭でオーケストラの呼びかけにソロが応答して、すぐにソリストの出番が用意されているところが特徴的と言われるけど、こうしてトゥッティ部分もずっと弾き続ける前提だと、これはそんなに特別なことって感じでもない。ところで長い提示部といえばショパンのピアノ協奏曲だが、あれは当時からソリストはずっと沈黙してたのか、それともなにかしら弾いていたのか、どっちなんでしょ。
●モーツァルトの「ジュノム」で不思議なのは、第3楽章のロンドの途中で突然、メヌエットが混入してきてがらりと雰囲気が変わるところだろう。それまでノリノリではっちゃけていたのに、急にしかつめらしいというか古臭い感じの曲調になる。この曲はモーツァルトの友人である舞踏家ジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘、ヴィクトワール・ジュナミーのために書かれたそうなので、ノヴェールが踊った誰かのメヌエットがここに引用されていて、聴いた人はみんなでにっこり微笑むという趣向だったのかもしれない。想像だけど。このメヌエットからアインガングを挟んで、もとの活発なロンドに戻るところが最高にカッコよかった。
●アンコールにモーツァルトのアルマンド ハ短調。バロックを装うモーツァルト。
●ピアノ協奏曲第17番の第3楽章は、モーツァルトのペットのムクドリが主題をさえずったというエピソードで知られている。このエピソードは微妙に細部が違ったいろんなパターンで伝えられており、そのあたりの話題を以前、ONTOMOの「モーツァルトがペットとして飼ったムクドリと、あの名曲との真実の関係は?」に書いた。ちなみにその際に知ったのだが、ヨーロッパのムクドリは日本中にいるムクドリと違ってクチバシが黄色くないのだとか。なので、見かけてもムクドリとは気づかないと思う。
April 4, 2025