●まず、昨日の激烈なサリエリへの賛辞の主についての解答である。実は引用中に「オペラ座」とあるので、パリでのことだとわかる(この時代に黙って「オペラ座」と書いたら、パリ・オペラ座のことだ)。正解はベルリオーズ。彼の「回想録」からの引用だった。
●さて、ここで「えっ!?」と思った方もいらっしゃるのではないだろうか。ベルリオーズとサリエリは時代が重なっているのか、と。重なっているのだ。グルック、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ベルリオーズ、シューベルト、リスト、以上全員とサリエリの生涯は重なっている。初めて18世紀から19世紀にかけての音楽史年表を見た方は必ず驚愕する。この時代の「西洋音楽史」では、ものすごい勢いで新しい音楽語法やスタイルが発明され、ギュンギュンと時代が進んでいたのだ。ベートーヴェンの「第九」からベルリオーズの「幻想交響曲」まではたったの6年、「幻想」からワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」までだって35年でたどり着く。21世紀のワタシたちは50年も前に書かれた作品を「現代音楽」などと呼ぶほど呑気で牧歌的だが、18-19世紀は目もくらむようなスピードで時代が動いていた!
●そして、もう一つ重要なことがある。サリエリは18-19世紀ウィーンの泉重千代だった。彼は74歳で没した。昨日からご紹介している「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」に、こういう記述がある。
当時のウィーン人の平均寿命は男性が36歳から40歳、女性が41歳から45歳だったから、サリエーリは充分長寿者だったのだ。
ええっと、驚天動地、こりゃマジっすか。ワタシらは認識を改めねば。35歳で死んだモーツァルトや38歳で逝ったメンデルスゾーンを早世といってはいけない。平均寿命と変わらないではないか。一方、74歳のサリエリは統計的には並大抵の長寿者ではないということになる。
●どうやらサリエリ最大の悲劇はここにありそうである。この音楽史的に激動の時代にあって、これほど長生きしてしまうということは、自分の傑作が古びて時代に取り残されていくことをリアルタイムで経験するということである。大作曲家にはなったものの、地位と社会的名声より作品寿命のほうが短いという恐るべき事態。これでは作品が忘れられるのも無理はないではないか。
(この話題、明後日に続く。明日は別の話題になる)
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たった24時間限定のクイズなのに回答してトラックバックしてくださったガーター亭別館と擬藤岡屋日記に深く感謝。