●以前、現代英国作曲家を主人公にしたイアン・マキューアンの「アムステルダム」をご紹介した(その1、その2)。同じくマキューアンの「愛の続き」(新潮社)を読んだ。こちらは特に音楽との関係はないが、「アムステルダム」以上の傑作。主人公の男性は科学ジャーナリスト。ある不慮の事故をきっかけとして、強迫観念に駆られた男性ストーカーに付きまとわれる。これをきっかけとして、同居する恋人とのすれ違いが生まれ、妄想や狂気、恐怖に蝕まれていくという物語なのだが、サスペンスというわけではなく、テーマとなっているのはタイトル通りの「継続する愛」。これは永続することが前提となった穏やかでノーマルな愛情関係を指すものであり、同時に狂信的で病的な愛の一途さも示唆している。読みやすい一冊。
●「アムステルダム」でも感じたけど、マキューアンはフツーの人の悪意とか弱さを描くと実に巧い。後ろめたくて落ち着かない感じなんて抜群。
ローガンの死は無意味だった--ぼくらがショックを受けたのはそのせいでもあるのだ。善人たちは時に苦しんだり死んだりするが、それは彼らの善良さが試されていたからではなく、人間の善良さを試すものなどまさしく何も、誰も、ないからに他ならない。
●ところで本筋とは関係ないが、イギリスの若い世代のしゃべり方について興味深い記述があったので書いておこう。
彼の世代の特徴だが、パリーにも平叙文を半疑問で終わらせる癖があった--アメリカ人かオーストラリア人をちょっと真似てみたものか、それとも、ある言語学者が解説したように、自分の判断の絶対性を信じられず、ためらいと弁解に縛られるあまり、この世のことすべてが断定できずにいるのか。
ワタシには具体的にどんな口調なのかはわからないのだが、まるで同じじゃないか、日本と。一時とんでもなく蔓延した「半疑問形しゃべり」を思い出さずにはいられなかった。→参考:「じゃないですかぁ↓」