満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。
●という一文で開始されるのが、「わが悲しき娼婦たちの思い出」(G・ガルシア・マルケス著/新潮社)。ガルシア・マルケス2004年の作品。新刊。主人公は90歳の老人。年金暮らしであるが、新聞にコラムを寄せる現役ジャーナリストでもあって、日曜版の記事は半世紀以上にわたって書いているものの、実入りはほとんどない。「わが国には著名な演奏家がよく来訪するが、そのときに書いている音楽と演劇関係のコラムにいたっては一文にもならない」というのであるから、老人小説にして、同時に世にも珍しい音楽ジャーナリスト小説でもあるかもしれない(笑)。そんな言葉があるとすればだけど。
●ガルシア・マルケスは「族長の秋」で、愛の欠如を描いた。愛なき独裁者が統治するラテン・アメリカの架空の国を舞台にした物語。「わが悲しき娼婦たちの思い出」で描かれているテーマは、似てるけど少し違う。愛なき人生を送った90歳の男性が14歳の少女との出会いにより真の愛に目覚めるという話なのである。と書くと、まったくつまらなさそうに聞こえるが、そこはガルシア・マルケス、たとえばこの少女だってマジック・リアリズム的存在であって、横たわって眠っているだけで、主人公との直接的コミュニケーションは存在しないのだ。筒井康隆の傑作老人小説に「敵」があって、ワタシはそれを連想しながら読み進めていたのだが、そこまでに辛辣な話ではない。
●90歳の主人公は暑さに耐えながら、冒頭の誕生祝いのために娼館の女主人からの連絡を待つ。
四時に、ドン・パブロ・カザルスが編曲した決定版とも言えるヨハン・セバスティアン・バッハのチェロの独奏のための六つの組曲を聴いて、気持ちを落ち着かせようとした。あの曲はすべての音楽の中でもっとも学識豊かなものだと私は思っているが、いつものように気持ちが静まるどころか、逆にひどく気が滅入ってしまった。少しだるい感じのする曲目を聞いているうちにうとうとまどろんだが、夢の中でむせび泣くようなチェロの音と港を出て行く船の汽笛の音を混同してしまった。
チェロと汽笛の音をどうして混同するんだよっ!などと突っ込んではいけない。ガルシア・マルケス作品には音、音響に関する詩的な描写がいくつもある。たとえば「星の動く音が苦になって眠れないジャマイカの男」(短篇「大きな翼のある、ひどく年老いた男」)だとか、以前ここで触れた 騾馬の群れの悲鳴と谷底に落下するピアノのためのデュオ とか。これもその一つで、バッハの無伴奏チェロと船の汽笛は物理的音響としてはほど遠いが、意味的比喩的にはうっかりまちがえるほど似ているのだ。
●「再生の物語」とはよくいうが、これは90歳の老人の「誕生の物語」だと思う。もう一つ、音楽ファンには見逃せない一節がある。その話は明後日くらいに続く。