Booksの最近のブログ記事

December 14, 2018

「翻訳地獄へようこそ」(宮脇孝雄著/アルク)

●「バーミンガム市交響楽団」の文字を目にするたびにモヤッとした気分になるのは、おそらくワタシだけではないと思う。若き日のサイモン・ラトルの躍進とともに飛躍的にその名を聞く機会が増えたオーケストラだが、なぜここだけが「バーミンガム市」と呼ばれるのだろうか。イギリスであれどこであれ、日本以外のオーケストラの名前に「市」が付く例があったか、思い出せない。City of Birmingham Symphony Orchestra をそのまま訳したといえばそうなのだが……。
●が、ある日、「翻訳地獄へようこそ」(宮脇孝雄著/アルク)を読んでいて疑問が氷解した。これは翻訳家による上質なエッセイ集で、巷にあふれる珍妙な日本語訳についての実例も豊富に挙げられていて、出版関係者なら背筋が凍ること必至の一冊なのだが、ここで「バーミンガム市交響楽団」の例が小さく取り上げられていた。「小説で知ったイギリスにおけるcityの意味」という章があって、「主教が在任する聖堂のある町をイギリスではcityと呼ぶ」のだとか。バーミンガムにも主教が在任する聖堂がある。だから、ここでのcityを「市」と訳出する必要性はない。この章ではそのcityの意味を正しく把握できずにおかしな訳に至った小説の例が挙げられていて、ついでに「バーミンガム市交響楽団」が出てきた次第。
●この本はとても楽しく読めて、なおかつためになる。誤訳の例はたくさん挙げられていても決して告発の姿勢になっていないところがいい。翻訳書を読んでいて「あれ? なんだかヘンだな」と感じることはよくあると思う。ひどい場合は、日本語なのにまったく意味がわからない文章が出てくる(担当編集者はこれを理解できたのだろうか?……と首をかしげることもたびたび)。ある翻訳小説のこんな一例が挙げられていた。

「あなたはずっと寛大でいてくれましたね。ぼくの大言壮語にも、寛大でいてくれるでしょう?」

一見、日本語としては問題がなさそうだけど、「大言壮語」が引っかかるということで原文にあたると big mouth が出てきた。ここでの正しい意味は「おしゃべり」。ほかの言葉も吟味した結果、正しい解釈はこうなるという。

「きみの負け方は実にいさぎよかった。勝ったぼくを恨んだりしてないよな。それに、よけいなことをぺらぺらしゃべったかもしれないけど、もう忘れてくれ」

なんという明快さ。この引用文だけを見ても場面が目に浮かぶようなわかりやすさがある。同時に翻訳というものがどれだけ難しいか、どれだけ多くの罠が潜んでいるかに戦慄する。
●もうひとつ、この本で膝を全力で叩いた一節があって、それは「文脈で意味合いが変わる "decent" をどう訳すか」の項。decentという言葉には悩まされたことがある。ワタシは日頃英語に接する機会はほとんどないのだが、唯一例外として、イギリス製のPC用ゲーム Championship Manager にとことんハマっていた時期がある。これはフットボール(=サッカー)クラブ・マネージメント・シミュレーション・ゲームとでもいうべきゲームで、実在するクラブのマネージャー(オーナー兼監督)になって、選手を売買したり育成したりできるというもの。日本語版がないので、必死に辞書を引きながらプレイした。ゲーム内で、自分のクラブにいる無名の若手が有名選手に育ったりすると、とてもうれしい。で、たくさんいる無名の若手に対するスカウトの評価を見ると、やたらと decent player と呼ばれる選手が見つかる。辞書によれば、decentとは「きちんとした」「感じのいい」。ワタシはこれを「まずまず見込みのある選手である」と理解して、decentな若手を積極的に試合で起用し、経験を積ませていたのだが、ちっとも能力が伸びてこない。何人もの選手で試したが、だれひとり、トップチームで活躍できないのだ。どんなにがんばっても育たないので、やがてワタシはdecentを「凡庸な」と解するしかなくなった。この本ではdecentについて、ランダムハウス英和辞典にある「非難される点がないといった消極的な意味を持つ」という説明が紹介されたうえで、文脈による訳語の変化が解説されていて、いろいろと腑に落ちる。

October 31, 2018

「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」(かげはら史帆著/柏書房)

●「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」(かげはら史帆著/柏書房)を読む。これは必読。ベートーヴェン晩年の秘書であり、悪名高い「ベートーヴェン伝」の著者でもあるアントン・シンドラーを主役とした歴史ノンフィクション。帯のキャッチに「19世紀のポスト・トゥルース」「運命はつくれる」とあるのがふるっている。シンドラーといえば、「運命」冒頭についての「運命はこのように扉を叩く」という有名な解釈をはじめとして、数々の捏造(たぶん)で知られているわけだが、物事をシンドラー側から描くとこんなふうに見えてくるのかという、抜群のおもしろさ。シンドラーの立ち位置は、ベートーヴェンを心より崇拝し、あるべき楽聖の姿をプロデュースするために捏造の罪を犯さなければならなかった男といったところ。
●鍵となるのはベートーヴェンの会話帳。聴力を失ったベートーヴェンが日常のコミュニケーションを会話帳への筆談によって行っていたというのはよく知られているが、この会話帳ってベートーヴェンの会話相手が書き込むものであって、ベートーヴェン本人は書く必要がないんすよね。だって、聞こえなくても、しゃべれるんだから。これって、みんな知ってた? だから膨大な会話帳が残されているといっても、残ってるのは会話の片側だけ。ベートーヴェンに対する質問は残っていても、その答えは残っていないわけだ。で、シンドラーはベートーヴェンの死後、いち早く会話帳に目を付けて、あろうことかそこに自分の都合のよい発言を書き加えた。この捏造のアイディアは悪質だけど、秀逸と言わざるをえない。会話相手の記録が残らない一方通行の記録だからこそ、自分の発言だけを書き足して、歴史をコントロールできる。そうやってシンドラーが自身の望むベートーヴェン像を築きあげていく様子が、史実をもとにスリリングに描かれている。
●この本は著者の修士論文をもとに一般書の形に書き直したものということなんだけど、論文を出発点にしながら、これだけ楽しく読める一般書になっているという点にひたすら感服。なかなかこうはいかない。先へ先へとページをめくりたくなるような読書の楽しみが約束されている。

October 19, 2018

「戦時の音楽」(レベッカ・マカーイ著/新潮社)

●レベッカ・マカーイの短篇集「戦時の音楽」(新潮社)を読む。ぜんぶで17篇が収められており、基本的にそれぞれ独立した内容ながら、戦争によって翻弄される人々と音楽家たちが共通するテーマになっている。一篇ずつ時間をかけて読んだが、どれもすごく巧緻で、味わい深い。特に印象に残ったのは、冒頭の「これ以上ひどい思い」。ルーマニア出身で戦禍を逃れて生き延びた9本指の老ヴァイオリニストを、その弟子の息子でアメリカに生まれた少年の視点で描く。少年の自意識と、周囲の大人が見る少年像の微妙な行き違いがとてもいい。やるせないユーモアも特徴で、特に「ブリーフケース」は秀逸。理不尽に政治犯として捕らえられたシェフが、行進する囚人の列から逃げおおせる。すると、囚人の数がひとり減っていることに気づいた兵士たちは、通りかかりの大学教授を捕まえて、問答無用でコートやシャツをはぎ取って囚人の列に加えて去ってしまう。残されたシェフは、教授のコートやブリーフケースを手にして、その日から教授になりすまして偽りの人生を生きる。奇想天外なんだけど、ある種の真実味が含まれている。
●著者は1978年、アメリカ生まれ。父がハンガリー動乱でアメリカに亡命したハンガリー人言語学者、祖母はハンガリーで著名な女優、小説家だったそう。この短篇集を読むと、まるで著者本人が父母や祖父母の代の東欧を生き抜いてきたかのような印象を受ける。

-------------
●ONTOMOの10月特集「ハロウィン」に、「ハロウィンに聴く! オペラに登場する怖い魔女トップ3」を寄稿。よろしければ、どぞ。

October 12, 2018

ベートーヴェンの「第十」

●リチャード・クルーガーという人が書いた小説 Beethoven's Tenth (ベートーヴェンの「第十」)が話題を呼んでいるようだ。著者はピューリツァー賞も取っているノン・フィクションで知られる人だが、これは純然たるフィクション。ベートーヴェンの交響曲第10番が発見されるという設定で、曲のタイトルは劇的交響曲「ウィリアム・テル」。作曲は1814年。ウィリアム・テルというとロッシーニを連想してしまうが、設定上これはそれより前の話で、「第九」の「歓喜の歌」とのシラーつながりという着想のよう。レナード・スラットキンらが推薦文を寄せている。ぜひ読んでみたいので、どこかの出版社で邦訳を刊行してほしい!
●ちなみに「もしもベートーヴェンが交響曲第10番を書いていたら……」という小説は、これまでにもある。当欄ではずいぶん前にトマス・ハウザー著の「死のシンフォニー」というミステリーを紹介している。これも幻の「第十」を巡る話だったと思うのだが……どんなオチだったっけ?(すっかり忘れてる)

October 10, 2018

「アフリカのことわざ」(東邦出版)

●これは好企画。「アフリカのことわざ」(東邦出版)。書名の通り、アフリカのことわざをイラストを添えて紹介するという一冊で、含蓄のある一言から今ひとつピンとこないけどアフリカ感だけは満載の一言まで、実に味わい深い。
●で、本書から「ザ・ベスト・オブ・アフリカのことわざ」を選ぶとするなら、ずばり、これ。首がもげそうなくらいにうんうんとうなずく人も多いのでは。

ラクダは重い荷物には耐えられるが、縛り方の悪いロープには耐えられない(ソマリア)

●働くことに関する真実すぎる真実。そうなんだよなー。たいていの人は仕事そのものの大変さというのは、そこそこは受け入れられるものなんだけど、本質業務から外れた部分の負荷、たとえば段取りがまちがってて余計な苦労を背負うことになったりとか、簡単にできるはずのことを不合理なやり方でするように求められたりとかすると、光の速さで音を上げる。ソマリアのラクダに言いたい。日本のニンゲンたちも同じ気持ちだと。同志よ!(ひしっ)
●ほかにも印象深いことわざがいくつもある。「あなたの怒りがどれほど熱くても、ヤムイモは調理できない」(ナイジェリア)。身につまされるタイプの教え。どんな味か知らないけど、ヤムイモって言葉の響きがいい。「シマウマを追っても必ず捕まえられるわけではないけれど、捕まえた者は追っていた者」(アフリカ南部)。当たり前だって? いやいや、実際のところ、わかっていてもみんな追えないわけじゃん、シマウマを。シマウマ、捕まってくれそうにないわけだし。でも捕まえる人をたまに見かける。
----------
●お知らせ。ONTOMO連載「耳たぶで冷やせ」Vol.7は、「オペラになったレムのSF小説『ソラリス』を、藤倉大×沼野充義の対談から読み解く」。先日、東京芸術劇場で行われたおふたりの対談レポート。

September 21, 2018

「ソラリス」(スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/早川書房)

●来月末、東京芸術劇場で藤倉大作曲のオペラ「ソラリス」(演奏会形式)が日本初演されるのだが、その前にン十年ぶりにスタニスワフ・レムの原作「ソラリス」(沼野充義訳)を再読。いや、正確には一部は初読でもある。というのも、かつてワタシが読んだのは「ソラリスの陽のもとに」の邦題による飯田規和訳。ところがこれはロシア語からの重訳で、当局からの検閲なども入っていた。現行の沼野充義訳はポーランド語の原書から直接訳されており、ロシア語訳でカットされた部分もぜんぶ訳出されている。しかも、純粋に日本語として読みやすい。レムだけに話の中身は大いに歯ごたえがあり、晦渋なところも一部あるのだが、それだけに日本語訳が読みやすいというのはありがたい。なお、「ソラリス」はタルコフスキーとソダーバーグという著名監督によって二度も映画化されているわけだが、レムの原作はこれらとは別物と言っていい。映画監督が原作に自分のオリジナリティを付与するのは当然だし、もちろん藤倉大のオペラだって原作とは別物であったとしてもいいわけだが、レムが書きたかったことは原作にしかない。
●惑星ソラリスの海が、どうやら海全体でひとつの生命体となっており、知的活動としか思えない営為がそこにあるのにもかかわらず、人間はどうやっても一切のコミュニケーションができず、まったく海を理解できない。「ソラリス」での大きなテーマは、そんな絶望的な他者性にある。海はどうやら人間の精神の奥底を知覚することができる。そして、ソラリスを訪れた科学者の心のなかから、すでに亡くなっている過去の恋人などを「再生」して、ステーションに送り込んでくる。それは人の形をして人の意識を持っているけれど、記憶は限定的で、精巧な張りぼてのような非人間なんである。コミュニケーションの不可能性を描きながら、人間とは何者なのかを問いかける。
●という大筋はおぼろげながら記憶していたのだが、今回新訳で読んで改めて気づいたことをいくつか。まずは(特に序盤で)ホラー小説の体裁をまとっているところ。お約束的な定型をあえて採用している。幽霊屋敷とか山奥の山荘とかと同じように、異星での孤立したステーションがゴシック・ホラーの舞台となりうるのはもっともな話。もうひとつは惑星ソラリスを研究した「ソラリス学」という架空の学問、架空のアカデミアを体系的に詳述していること。そこにあるシニカルなテイストは、同じレムの「泰平ヨン」シリーズを連想させる。レムは引きつった笑いを誘発させる作家であり、その特徴は「ソラリス」にすらあるというのが発見。もうひとつはソラリスの海に対する執拗な描写。ストーリー展開上とくに必要なさそうなものなんだけど、しかしこれをレムは嬉々として書いたはずで、こういう一見退屈な場面が作品に重みをもたらしている。
●もちろん、古びているところもあって、海に対する「X線の照射」みたいなのはどうかと思うし、紙の本とマイクロフィルムがあるけど電子書籍が存在しないみたいなレトロな未来に違和感は残る。でも、1961年に書かれた古典だから。
●ハリーというキャラクターって、はからずも今風のアニメなんかのヒロインを先取りしているような気がする。記憶があいまいで、無垢で、自分の力に無自覚で、でも主人公から一時も離れられなくて、自己犠牲の精神を持っているところとか。本質はぜんぜん違うんだけど。ドヴォルザークの「ルサルカ」とかドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」といったオペラと通じる、一種のセイレーンものとも読めるか、な。
-------------
●ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」、第6回はクラシック化しつつあるジョン・ウィリアムズ作曲の「スター・ウォーズ」。ご笑覧ください。

September 19, 2018

「ロンドン・デイズ」(鴻上尚史著/小学館文庫)

●先日、amazonに勧められるままに買った「ロンドン・デイズ」(鴻上尚史著/小学館文庫)がおもしろすぎて、つい寝る前に一気読みしてしまった。当時39歳の鴻上尚史がロンドンに演劇留学を果たした一年間について綴った一冊。文庫になったのは今年だが、中身は1997年の出来事。すでに日本で演出家として実績十分の著者が、あえてイギリス流の演劇教育を受けようとギルドホール音楽・演劇学校に留学する。そう、よく音楽家のプロフィールで目にするあのギルドホールではないの。この学校を演劇側の留学生の立場から記述した本を読めるとは。最初の登校日のところで「ほとんどは音楽の生徒らしい。ギルドホール音楽・演劇学校は、圧倒的に音楽の生徒が多いのだ」と書いてあって、そうんなだと軽い驚き。
●著者の体当たり的な悪戦苦闘ぶりが描かれているのだが、苦労の大半は「英語が聞き取れない」ことに起因している(しかもその英語が、出身地や出身階級によって激しく違っている)。先生の話がなにを言ってるのかさっぱりわからないんだけど、紙に書かれた指示は理解できるから「ああ、みんな、日常も筆談してくんないかと思う」(あるある)。高度に抽象的な概念を意味する単語は知ってるのに、子供でもわかるような簡単な単語の組み合わせによる日常的な表現がわからない。そんな外国語学習者にありがちな状況が、どうしても英語を母語としている人にはピンと来てもらえなかったというのもよくわかる話。
●いちばんおもしろいのはギルドホールで出会った同級生や先生たちの描写で、それぞれの強烈なパーソナリティが生き生きと伝わってくる。ときには友達同士、ときには役者と演出家の視点で描かれるのが興味深い。

August 17, 2018

「アルルの女」補遺ホイ

●ONTOMOに書いた「アルルの女ってだれ? ビゼーの二大傑作『アルルの女』と『カルメン』」の記事の補遺をここに。ドーデが書いた「アルルの女」の原作には2種類のバージョンがある。大元となった短篇は「風車小屋便り」に収められていて、こちらはKindleで簡単に入手できるのだが、拍子抜けするほど話が短い。ビゼーが曲を付けたのは、ドーデ自身が短篇に肉付けして戯曲化した「アルルの女」のほう(主人公の名前も違う。短篇ではジャンだが、戯曲ではフレデリ)。こっちは岩波文庫など複数の翻訳があったのだが、今はどれも入手困難。翻訳も相当に古いので、ぜひとも新訳で復刊してほしいところ。
●短篇になく戯曲にあるサブストーリーに、主人公の弟の存在がある。知能の発達が遅れている弟は「ばか」と呼ばれ、母親から溺愛される主人公とは対照的に、息子の内に数えられていない。主人公の一家は裕福な農家なので、親の期待はすべて長男にかけられている。最後に主人公が自らの命を絶とうというときになって、突然、弟は筋道の通ったことを話し出す。つまり、息子がひとりいなくなったけど、ひとり帰ってくるという物語になっている。この話では三角関係と同時に社会的抑圧がテーマになっていて、「ペレアスとメリザンド」で最後に生まれた赤ん坊がやがて次のメリザンドになることが暗示されるのと同様に、知恵を得た弟がやがて次のフレデリになることをうっすらと予感させる。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちBooksカテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリはDiscです。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

2018年12月: 月別アーカイブ

ショップ