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Booksの最近のブログ記事

November 7, 2017

「オーケストラ解体新書」(読売日本交響楽団編/中央公論新社)

●オーケストラの内側を語った案内書はこれまでにもあった。しかし当のオーケストラの事務局が編者となって書かれた本はそうそうないのでは。「オーケストラ解体新書」は読響事務局による渾身の一冊。コンサートがどうやって作られるのか、名指揮者たちが音楽を生み出す現場の様子、楽団員はどんな日常を送りなにを考えているのか等、音楽ファンが知りたいと思うことがぎっしりと詰まっている。
●なんといっても事務局という内側からの視点がふんだんに盛り込まれているのがおもしろい。世間の多くの人はオーケストラ=プレーヤーと思いがちなんだけれど、実際に楽団を運営するのは事務局の人々。演奏会の企画立案から出演者との交渉、楽器運搬の手配もあれば、チケット販売から助成金獲得まで、膨大な仕事がある。そんな様々な背景や裏話のひとつひとつがおもしろく読めて、なおかつその向こう側にある楽団の持つ志みたいなものが伝わってくるのが本書の魅力。あと、オーケストラ事情に詳しい人には、「へー、読響ではそんな風になってるんだ」的な興味深さもあるかも。おまけのカンブルランのインタビューも出色。
●オーケストラ内幕本では、自分のなかではアンドレ・プレヴィン編の「素顔のオーケストラ」がこの分野の伝説的名著に君臨している。これは40年近く昔の本なので今では入手困難だと思うけど、大らかに裏話が書かれていて、野次馬的な興味もひく本だった(記憶では)。プレヴィン編ってなってたけど、実際に執筆した人はだれだったんだろ。ひそかにワタシは「あの本の日本版を作れないかなあ……」と野望を抱いていた頃もあったけど、あるときそれは不可能だと悟った。というのも、仕事でオーケストラの楽団員に取材する機会はあっても、それらはいずれも公演のプロモーションのためのものばかり。宣伝になるから先方も取材に協力してくれるわけだし、こちらも原稿をどこかに掲載してもらえるから取材できる。そうでないならムリな話。しかも、なにか裏話を聞けたとしても、本にするとなれば各方面の許諾が必要になる。プレヴィン本にあったような指揮者や楽団を揶揄するような話とか、いまどき載せられるだろうか。そう考えると、楽団自身が編者になるという発想は目からウロコって感じだ。もちろん、そこには「よい話しか書けない」という制約は発生するわけだが、この現場感はそれを補って余りある。

October 19, 2017

「爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏」 (木村元彦著)

●増補版となって新書化されたのを機に読んでみた、「爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏」 (木村元彦著/小学館新書) 。後に観光庁長官も務めることになる溝畑宏氏が大分トリニータを一から立ち上げ、J1昇格、ナビスコカップ優勝を果たし、そしてクラブを去ることになるまでを取材したノンフィクション。大分トリニータって、Jリーグのクラブのなかでもすごく例外的な存在で、自治体が作ったクラブなんすよね。というか溝畑宏という官僚が作ったクラブ。当時、自治省から大分県庁に出向していた氏が並外れた熱意と行動力、そして営業力でクラブを立ち上げた。大分出身者ですらない。前からよく言われてたんすよね、もともとはトリニータって地元のサッカー熱から生まれたクラブじゃないって。メインスポンサーも大分とは関係のない、そして他のクラブではあまり目にしないような業種の企業が付いたりする。ほとんど孤立無援みたいなところからひとりの人間の志によりクラブが誕生して、やがてJ1昇格を果たして本物のサッカー熱を生み出していくというのは奇跡を見るかのよう。
●で、すごいんすよ、溝畑氏。県庁からトリニータに出向していたのに、結局自治省を退職して、自分がトリニータの社長になってしまう。で、クラブ経営の最大の仕事はお金集め。このあたりはクラシック音楽業界と似たところもあるわけなんだけど、入場料収入だけではクラブは成立しない。スポンサーを集めなければいけない。県庁時代からの泥臭い営業スタイルぶりを読むと、サッカークラブの「経営」ってなんなのかと考えさせられる。

繁華街都町では伝説になっているが、宴席では毎回、裸で踊りまくった。「溝畑さんの得意な宴会芸として、陰毛を燃やすのがあるんですが、あのころは生えてくるひまがなかった」。キャリアのプライドはそこになかった。(中略) 明け方までトリニティ(現トリニータ)の仕事をして2時間ほど仮眠して県庁に出勤するという日が続いていた。

●そんな宴会芸、見せてもらっても嬉しくないと思うかもしれないが、現に機能したんすよ! でもこの経営手腕をもってしても苦境に立たされ、結局巨額の私財まで投じることになってしまい、さらにクラブの私物化が問題化する。おまけにクラブが弱体化するとサポーターから暴言を浴びせられ、自宅のFAXにまで「溝畑やめろ」「東京に帰れ」とかすごい量が送られてくる。サッカーって最終的に勝ち負けがあるから、どんなに経営者やスポンサーが尽くしていても、負けるとこうなるという悲しさ。
●あと、シャムスカについての話がおもしろかった。他クラブのサポから見ると、シャムスカ監督時代の大分ってマジカルな強さがあったじゃないすか。まさに名将。でも最後は負け続けて解任される。そのシャムスカが内側からどう見えていたのかというあたり。後任のポポヴィッチへの評価の高さも印象に残る。

October 17, 2017

ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ

●今さらの話題だけど、2017年のノーベル文学賞がカズオ・イシグロに決定。これはびっくり。近年のノーベル賞というと、縁のない人ばかりだった(去年のボブ・ディランも。どんな詩を書いたのかぜんぜん知らない)。それが急にカズオ・イシグロ。2010年のバルガス=リョサ以来、久々に知ってる人気作家が受賞したという感じ。
●で、せっかくなので好きなカズオ・イシグロ作品を挙げてみる。まず1位は月並みだけど「日の名残り」。どうしても挙げざるを得ない。イギリスの名家の執事を主人公に、とても美しくてノスタルジックな物語が紡がれていって、それが心地よいんだけど、次第に一人称で語られる物語と客観的現実の間にずれがあることがわかってくる。最後まで読み終えて呆然。容赦なく苦くて、意地が悪い。完璧な小説というほかない。あと、執事の主人公がご主人様の車に乗る場面があるじゃないすか。あのはらはらさせる意地悪さも秀逸。
●2位は「充たされざる者」。これはカズオ・イシグロ作品のなかではもっとも長く、しかも読みづらい小説。ただ、世界的ピアニストが主人公ということで音楽ファンの興味をそそるかも。テーマは夢。眠っているときの夢には、絶対にありえない不条理が当たり前に起きる一方で、やたらと具体的でディテールがリアルなことがあるじゃないすか。それを小説化したらどうなるか。ほかの作品と違って粗削りで読者を選ぶが、一種の悪夢がこれほど見事に言語化されていることに驚嘆する。たとえるなら高級なJ.G.バラードとでも。
●3位は「わたしたちが孤児だったころ」。ほかの多くの作品と同様に、ここでも記憶やアイデンティティがテーマになっている。「日の名残り」と同様、とても読みやすくて美しく、そしてやはり底意地が悪い。探偵小説風の体裁も吉。
●あと、番外で短篇集だが「夜想曲集」も傑作ぞろい。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように、音楽ファンならより楽しめることは確実。このなかで特に好きなのは「チェリスト」。チェリスト志望の若者が謎の女教師に出会い個人レッスンを受ける。女はどうやら世界的な大家らしい。その批評は辛辣だが的確で、若者はレッスンにのめり込む。で、どうなったかというと……。同じ短篇集の「モールバンヒルズ」にも音楽家が出てくる。どちらも(多くの他の長編もそうだけど)、「美しく切ない物語」みたいな外枠のなかに、おかしくて苦い真実が描かれていて、読んでいて身悶えしそうになる。「痛い」ミュージシャンを描くと、一段と筆が冴えわたる。

October 16, 2017

拙著「クラシック音楽のトリセツ」中国語版が刊行

「クラシック音楽のトリセツ」中国語版●拙著「クラシック音楽のトリセツ」(SB新書)の中国語版が刊行された。日本語版は新書だが、中国語版は新書よりも大きめの判型で、凝った装幀になっている。
●しばらく前に日本の版元から中国版の翻訳権について諸条件の確認があったのだが、こういうものは実際に刊行されるかどうかは別の話だから……と気長に待っているうちに、すっかり忘れた頃に突然著者見本が送られてきた。まさか拙著が翻訳されるとはといった感じだが、自分では何もしていない。日本の版元があって、その向こうに翻訳エージェンシーがいて、中国の版元があって、訳者がいて……といった感じで、最初から最後までずっと向こう側で話が進んで、出来上がって初めてこんなになってたんだと知る。後半の名曲紹介コラムとか、ローカルなギャグもあったような気がするんだけど、いったいどうやって訳したんだろう……。ともあれ、翻訳には感謝するのみ。
●中身はまったく読めないけど、なにが書いてあるかは知っているという不思議。

August 29, 2017

クラークの「2001年宇宙の旅」とアレックス・ノースのボツ・バージョン その2

●(承前) 映画「2001年宇宙の旅」でキューブリックはアレックス・ノースが書いたオリジナルの音楽をばっさりと没にして、代わって「仮の音楽」だったはずのクラシック音楽を用いてることになった。その際、キューブリックが削ったのはノースの音楽だけではない。作品をわかりやすくするためのナレーションも削られてしまった。ナレーションなし、オリジナルの音楽もなし、そしてこの映画では人間同士の会話も少ない。音声的に雄弁なのはここぞという場面で使われるリヒャルトとヨハンの両シュトラウスやリゲティの音楽、そしてHALとの「対話」シーンだろうか。おかげで映画に多数の解釈の余地が生まれ、深みのある作品になったことはまちがいない。アーサー・C・クラーク著の「2001年宇宙の旅」決定版(伊藤典夫訳/早川書房)の後書きによれば、当初、映画はこんなナレーションから始まる予定だったという。

 無情な旱魃は今日まで一千万年つづき、あと百万年は終わりそうもなかった。恐竜の時代はとうに過ぎ去っていたが、ここ、いつかアフリカと呼ばれるようになる大陸では、生存の戦いは新しい残虐なクライマックスを迎え、勝利者はまだ現れていなかった。

●つまり、これはクラークの小説版の冒頭とほぼ同じ。最初はずいぶん説明的な映画として構想されていたわけだ。映画でも小説でも冒頭はヒトザルのシーンから始まる。映画は小説よりもずっと展開が早く、ヒトザルはモノリスに触発されることで、動物の骨を道具や武器として使うという知恵を獲得する。狩りのシーンも挿入されていたと思うが、印象に残るのは水場を巡って対立する他の部族との争いのシーンだろう。武器を発明した部族は容易に戦いに勝利し、骨を空に放り投げる。宙を舞った骨が一瞬にして宇宙空間に浮かぶ衛星と入れかわって、「美しく青きドナウ」が流れ出す。歴史的な名シーンだ。
●この場面、先日再読して気がついたのだが、小説版ではずいぶん丹念に描かれている。ヒトザルはたしかに映画と同じように他の部族と対立しているのだが、それ以上に焦点が当たっているのは「飢え」。まだ狩りを知らないヒトザルはひたすら飢えているんである。一族のなかで巨人といえるほど体格のよかった「月を見るもの」でさえ、身長は150cm未満で体重は45キロ、ひどい栄養不良に苦しんでいた。凶暴な肉食獣のいるこの世界で、ヒトザルのごちそうといえば枯れ木の根株のなかにあるハチの巣がせいいっぱい。ところが、ヒトザルはモノリスのレッスンを受ける。ヒトザルのなかでもとくに素質のあるものがモノリスのもとに通い、やがて道具を使うことを覚え、ついに狩りをする。いったん、狩りを覚えたら、あとは簡単だ。なんの警戒もしていないイボイノシシを石の武器で打撃する。もはやヒトザルが飢えることは決してない。そこらじゅうに食糧があるのだから。クラークの文で特にいいなと思ったのは、狩りを知る前の飢えたヒトザルたちについての、こんな一文。

 豊穣のまっただなかで、彼らはゆっくりと餓死への道を進んでいるのだった。

●淡白な文体のなかで、ここだけが目立って詩的だと感じる。

August 23, 2017

ブライアン・オールディス追悼

●イギリスのSF作家ブライアン・オールディスが逝去。92歳。SNSを見ていると、みな一様に「まだ生きていたのか!」とびっくりしていた。たしかに「地球の長い午後」をはじめとする代表作が書かれたのは1970年代まで。以前、当欄でご紹介した「寄港地のない船」に至っては50年代の作。そこそこ翻訳されていたと思ったが、今amazonで見たら大半は絶版・品切状態の模様。もちろん電子化もされていない。
アミガサダケ●読んだのが昔なので中身はほとんど忘れているのだが、「地球の長い午後」は未来の地球で巨大な樹木が地表を覆いつくし、進化した食肉植物が食物連鎖の頂点に立ち、文明を失った人類がかろうじて生き延びている、という強烈な終末感に包まれた小説だった。知能を有するようになったアミガサダケが、主人公の脳に寄生して行動を支配するという設定がかなり気持ち悪い。そもそもアミガサダケとはどんなキノコなのか、この小説以外で見聞きしたことがあるのだろうか。で、気になって検索してみたら、こんな姿のキノコだった。なるほど、これはいくぶん禍々しい。なんだか脳っぽくて、いかにも進化するとヒトに寄生しそう。これ、欧米じゃ食べるらしいっすよ。うっ。
●自分は「地球の長い午後」よりも「マラキア・タペストリ」のほうが好きだった。架空の都市国家が舞台なんだけど、ヨーロッパの宮廷文化とファンタジーに登場するような想像上の動物が混在するような世界でくりひろげられる冒険譚で、「地球の長い午後」とはまるで違った絢爛豪華な世界の描写に圧倒された……ような気がする(うろ覚え)。今にして思うと、バロック・オペラ風の物語だったような? 復刊の可能性はあるだろうか。
●未読なんだけど、「グレイベアド―子供のいない惑星」では、子供が生まれなくなった平均年齢70歳の超ウルトラ高齢化した人間社会が舞台になっている。今の日本から見るとおそろしく先見性のある話かも。復刊するならこっちか。

アミガサダケ photo By TOMMES-WIKI [CC BY-SA 3.0 ], via Wikimedia Commons


August 18, 2017

クラークの「2001年宇宙の旅」とアレックス・ノースのボツ・バージョン

●とうの昔に読んだ本だが、ついKindle版で買い直してしまった。名作、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」(伊藤典夫訳/早川書房)。「決定版」と記されていて、どうやら自分が読んだときとは翻訳が改稿されているらしい。これを機に再読してもいいかも。この本が書かれた時点では2001年は遠い未来であり、宇宙開発がずっと進んでいるという設定だったわけだが、現実には2017年になっても月への旅は容易になるどころか、むしろ遠のいてしまった。
●で、この本の後書きにもあるように、スタンリー・キューブリックは原作と同時進行で映画「2001年宇宙の旅」を撮影していた。当初、音楽を担当していたのはアレックス・ノース。作曲の依頼を受けたノースは、ニューヨークからロンドンに飛んでキューブリックと打合せをした。キューブリックは仮の音楽として、クラシック音楽を付けていた。こんなイメージで行きたい、というわけだ。ノースは仕事を引き受けたのだが、レコーディングまでの日があまりに短く、ぶっ倒れそうになりながら筆を進めて、当日は救急車でレコーディング・ルームに運ばれる騒ぎになったという。
●で、最初に40分ほどの音楽を仕上げ、オープニングテーマはキューブリックにも気に入ってもらえたのだが、その後、パタリと仕事の催促が来なくなった。しばらくすると、キューブリックからもうこれで十分だという連絡が入る。事の顛末をノースが知ったのはようやくニューヨークで試写会が開かれてから。なんと、ノースが書いた音楽はボツになり、代わりに当初キューブリックが付けていた「仮の音楽」がそのまま使われていた!
●ひどい話ではある。本当にひどい。で、後年、幻のノースのスコアはレコーディングされて、映画とは別に日の目を見ることになった。自分はこれを聴いていなかったのだが、この決定版の後書きを読んで、ふと存在を思い出し、Apple Musicで聴けるということに思い当たった。その録音がこちらの Alex North's 2001。そして、これを聴くとキューブリックの決断の正しさを思い知る。「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」がなかったら、あの映画の雰囲気はずいぶん違っていただろうし、宇宙空間には大量のBGMよりも静かな息づかいのほうがずっと似合っている。アレックス・ノースの職人芸になんら問題があったわけではなく、描いていたゴールが違いすぎたということなんだろう。

August 10, 2017

山賊ダイアリーSS(岡本健太郎著/イブニングコミックス)

●漫画を読む習慣はなかったのだが、Kindleで手軽に読めるようになってから、いくつか楽しみな作品ができてしまった。岡本健太郎著の「山賊ダイアリー」もそのひとつ。猟師のライセンスを持つ著者が山で銃や罠を用いてイノシシやシカや鳥を狩り、それをさばいて食べる。それだけの話が無性におもしろかった。そして、新シリーズ「山賊ダイアリーSS」では新たな展開が。クルマを手に入れた著者は、銃を預けて、モリを携えて海へと向かったんである。「魚突き」(スピアフィッシング)なるものの存在すらワタシは知らなかったんだが、これがまたワイルド。絶対にまねできない。車中泊で気ままな一人旅をしながら、各地の海に潜り、魚をモリで突く。そして食べる。この食べるシーンが実にうまそう。イシダイを刺身にして、サヨリを塩焼きにするキャンプ飯。じゅるり(←よだれの音)。
●で、これは前シリーズにもいえるんだけど、やっぱり危険なんすよね、狩猟も漁も。正しくやれば大丈夫なんだろうだけど、一歩まちがうと怖いことになりかねない。海に潜れば息が続かないかもしれないし、危険生物もいる。そこのところはあんまりクローズアップされていないけど、抑えたタッチの話のなかにひそむスリルがおもしろさにつながっている。人が自然を美しいと思い、憧れを感じるのは、それが本質的に凶暴で危険なものだから、という思いを新たにする。

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