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Booksの最近のブログ記事

January 5, 2024

「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(鈴木忠平著/文藝春秋)

嫌われた監督●しばらく前に刊行されてベストセラーとなったスポーツ・ノンフィクション、「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(鈴木忠平著/文藝春秋)を読んだ。なるほど、これは傑作。野球をまったく見なくなって久しい自分だが、それでも文句なしにおもしろいと思った。中日ドラゴンズで8年間にわたって監督を務め、日本シリーズに5度も進出、日本一にも輝いたという、実績からいえば名監督のはずの落合博満。それなのに「嫌われた監督」。落合時代の中日のキープレーヤーたちに焦点を当てながら、異端の名将の実像に迫る。この本の魅力は落合博満という謎めいた人物像にあるのかと思って読み進めていたが(それも真実なのだが)、それ以上に一見異端と思える落合采配から野球競技の奥深さが伝わってくるところにおもしろさがあるのだと気づく。
●野球の世界には「スポーツ新聞ジャーナリズム」みたいなものが根付いているなというのも痛感した。文体も取材手法も。サッカー本ではあまり見かけないタイプの世界観が描かれていて、そこも新鮮。
●あと、野球は個人競技だなというのも感じる。いや、もちろん団体競技なんだけど、個人成績がはっきり出るので、選手間の序列が容易に可視化される。サッカーだと監督の戦術にフィットするかとか、選手間のケミストリーだとかで選手の序列は変動するけど、野球は投手も野手も個人成績が圧倒的にものを言うなと思った。

December 28, 2023

「音楽入門」(伊福部昭著/角川ソフィア文庫)

ifukube_book.png●先日、ワタシが映画「ゴジラ-1.0」を観て伊福部の音楽が登場する場面に震撼したことをAmazonは知らないはずだが、おすすめの本として伊福部昭著「音楽入門」(角川ソフィア文庫)Kindle版を挙げてきた。1951年初出という歴史的名著が数百円で買えるのだから、勧められるがままに買っておく。Kindle版だと検索ができるのがいい。紙の本にはない機動性がある。
●書いた時代が時代なので、さすがに内容的に古びたところがあることは著者自身も再刊時に認めているが、今読んでも文章の明快さには唸らずにはいられない。冒頭のはしがきで、博物館に教師に引率されてやってきた学生たちが、展示品の解説や先生の説明を熱心にノートにメモしているが、だれも肝心の展示品そのものを見つめていない様子が紹介されている。そして、解説もとても大事なものだけど、対象物そのものから受ける印象や感動がもっとも大切なのだと諭し、この場面にふたつの危うさを読みとる。

 一つは、何かある作品に接した場合、作品そのものからくる直接的な感動とか、または、印象などよりも、その作品に関する第二義的な、いわば知識といわれるものの方をより重要だと考えることです。更にいえば、枝葉的な知識とか解説なしには、本当の鑑賞はあり得ないと考えることです。
 他の一つは、たとえ、自分がある作品から直接に強烈な印象なり感動を受けたとしましても、これを決して最終的な価値判断の尺度とすることはなく、より権威があると考えられる他人の意見、いわば定評に頼ろうとする態度です。

●これは刊行から70年以上経った今でもまったく同じことが言えると思った。というか、むしろ今のほうがSNSを通して「より権威があると考えられる他人の意見、いわば定評」が容易に目に入る分、厄介な問題なのかもしれない。
●あと、西洋音楽史を概観する部分があるんだけど、たとえばパレストリーナについて、以下のように記している。これを昭和26年、日本で初めてLPレコードが発売された年に書いたってこと?

 パレストリーナが在来あった、フランダースの音楽を革新したと考えるのは誤りです。もちろん、多少の新しい発見があるにはありましょうが、彼の最大の特長は、東洋でいわれる表現の停止(ちょうじ)という芸術観を発見したことにありました。いわば、アメリカ映画のような誇大な表現にみちていたフランダースの音楽手法を、日本の能のように、誇大な表現を控えた、いわば静止に近い動きにまで表現を節約した点にあるのです。
 音楽のこのような表現の節約は、一時代が過ぎてベートーヴェンの後期の室内楽およびセザール・フランク、ガブリエル・フォーレ等において再び発見されるものなのです。
 パレストリーナに見る表現の節約は、従来の表現を革新したものではなく、音楽上の手法を、ある制限によって狭めたのです。彼の確立した世界は、あらゆる意味で完璧なものではありましたが、この節約の影響は、次代の作家たちに一種の無気力と沈滞を与えることになるのです。

●年末年始に入るので、いつものように当欄は不定期更新モードで。

November 28, 2023

「ミセス・マーチの果てしない猜疑心」(ヴァージニア・フェイト著/青木千鶴訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)

●これは怪作。ヴァージニア・フェイト著の「ミセス・マーチの果てしない猜疑心」(ハヤカワ・ミステリ文庫)。なんの予備知識もなく読みはじめたのだが、とても展開がイジワル。主人公はベストセラー作家の妻ミセス・マーチ。時代は1960年代か70年代くらいだろうか。著名な夫を持ち裕福な暮らしを送るミセス・マーチだが、あるとき、夫の新作小説の主人公である醜い娼婦は自分がモデルなのではないかと疑う。一度心のなかに芽生えた猜疑心はどんどんふくらみ、近隣の人々が自分を馬鹿にしているのではないかとか、家の中にイヤな虫がいるのではないかと疑い出し、しまいには世間を賑わす殺人犯の正体は夫であると確信する。
●著者の力量が並外れていると思うのは、ほとんど狂人の思考を描いているにもかかわらず、読者の共感を誘うところ。ミセス・マーチほどの妄想でなくとも、人は猜疑心に苦しむことは多々あるし、些細なことが理不尽に気になったりすることは珍しくない。笑えるようでいて笑えないというか、人の心の危うい部分をチクチクと突くところがあって、このバッドテイストがなんともいえない。根底にあるのは虚栄心なのだが、現実認識とは事実と妄想に簡単に二分できるものではないので、この小説が成り立つのだと思う。
●で、イヤな話だなと思いつつ、読みだしたら止まらなくなったのだが、中盤で「あっ、この話の結末が見えた!」と思った。最後にびっくりさせる展開があって、こんなふうに終わるんだろうなと、わりと自信を持って予想したのだが、まったく違う結末だった。マジっすかー。映画化されるそうです。

November 14, 2023

「運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す『それでも運動すべき理由』」(ハーマン・ポンツァー著/小巻靖子訳/草思社)

●近年読んだサイエンス・ノンフィクションで出色だと思ったのが、「運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す『それでも運動すべき理由』」(ハーマン・ポンツァー著/小巻靖子訳/草思社)。キャッチーな訳題が見事すぎるのだが、これは書店に山ほどある怪しいダイエット本とはちがい、本物の人類学者が本物のフィールドワークを通じて発見したヒトの「代謝」について本。「運動しても痩せないけど、ヒトの体は運動を必要とするようにできている」(→だからぜったいに運動しようぜ!)っていう主張なので、あくまで運動を推奨する本なのだ。読み物として抜群におもしろく、そして読後には日々の暮らしを反省し、もっと運動しなければいけないという気持ちになる……はず。
●著者はタンザニアの狩猟採集民ハッザ族と暮らしをともにする。ハッザ族は農耕もしないし家畜も飼わず、電気も機械も使わない。一日の多くの時間を自然から食料を調達するために費やしている。野生の芋を掘り出したり、ベリー類を集めたり、はちみつを採集したり、狩りをしたり、水を汲んだり、薪を集めたり……。そして延々と歩く。当然、都会の住民とは比較にならないくらい一日の活動量が多い。では、彼らの一日のエネルギー消費量は何キロカロリーになるのか。それを測定したところ、なんと、都会の住民と変わらなかったというのだ。
●そんなバカな、と思うじゃないすか。これはワタシたちが、一日のエネルギー消費量=その人の基礎代謝量+その日の活動量と思い込んでいるからなんだけど、著者の研究によると人間のカロリーの使い方はもっと動的で、身体活動が活発になるとヒトは体内で使うカロリーを減らして一日の消費量を一定に保とうとするようにできている。
●となれば疑問がわく。ハッザ族と都会の人間のエネルギー消費量が同じなのであれば、われわれの「運動に使われなかったカロリー」は、なにに使われているのか。そこがいちばん気になるところなんだけど、著者が挙げるのは3つの要素。炎症、ストレス、生殖。炎症は免疫のために、ストレスは非常時に反応するために本来必須のものであるが、エネルギーコストが高く、余裕のあるときにしか使えないぜいたく品でもある。しかし現代の都市生活者はそこにふんだんにカロリーを使えるようになっており、余剰のカロリーが必要以上に炎症やストレスを生み出しているというのだ。生殖が多くのカロリーを消費するのは自明だと思うが、事実、妊娠出産のサイクルはアメリカ人のほうがハッザ族より短いのだとか。
●で、すごいと思ったのは、人間の一日のエネルギー消費量をどうやって測定するか、という話。これが正確にできなければ話は始まらない。著者たちが行っているのは二重標識水法という手法。少し原理は難しいのだが、代謝に伴う体内の化学反応に着目したもので、重水素と酸素18の安定同位体で標識された水を飲んでもらい、尿サンプルに含まれる水素と酸素の同位体比率の変化を測定することで、体内の二酸化炭素の産生量を算出し、エネルギー消費量を知るという方法。この手法はかなり以前から知られていたが、人体で測定するには重水素と酸素18があまりに高価なため困難だったのが、低コスト化が進んで研究に使えるようになったという。
●そこそこ厚い本だけど、まったく飽きさせないのは著者の筆力の高さゆえ。ダイエットや健康法という枠を超えた読書の楽しみがある。

November 7, 2023

「古楽夜話 古楽を楽しむための60のエピソード」(那須田務著/音楽之友社)

●先頃休刊した月刊誌「レコード芸術」の連載を書籍化したのが「古楽夜話 古楽を楽しむための60のエピソード」(那須田務著/音楽之友社)。古くは12世紀のヒルデガルト・フォン・ビンゲンから、新しくは18世紀末のボッケリーニまで、作曲家たちと作品にまつわる60のエピソードが集められた古楽ガイドブック。ひとつのエピソードが3ページ構成で、長すぎず短すぎず、絶妙のバランス。読み物としても実用的なガイドとしてもよい。毎話、冒頭に史実をもとに創作した短い空想シーンが入っていて、これが導入として効いている。
●連載を書籍化するにあたって、各話が時系列に並べられており、最初はヒルデガルトで始まるわけだが、こういう本は前から読むより、読みたい場所から読み進めるのが吉。特に中世・ルネサンスにはなじみが薄いというクラシック音楽ファンの場合は、バロック期のどこかあたりからスタートするとか、なんなら本のおしまいから遡って読み進めるのもありだと思う。つまみ食いするように、気になるところを拾い読むのも楽しい。
●で、もとが「レコ芸」なので、各エピソードに必ずオススメCD欄が付くわけだが、一昔前であれば、これを見て聴きたくなった盤をCDショップを巡って探すのも、この種の本の楽しみの内だった。でも、もうそんな時代ではない。今だったら本を読んで「聴きたいな」と思った音源は、即座にその場で聴けるのが自然だろう。さすがにそのあたりは意識されていて、音楽之友社出版部が「古楽夜話」で紹介した全CDプレイリストを作って公開してくれている。だよねえ。ストリーミング配信時代はプレイリスト時代でもあるのだ。以下にそのリンクを張っておこう。10話ずつ、6つのプレイリストに分かれている。このプレイリスト自体がひとつのコンテンツっていう気がする。

古楽夜話 #1(第1夜~第10夜)
古楽夜話 #2(第11夜~第20夜)
古楽夜話 #3(第21夜~第30夜)
古楽夜話 #4(第31夜~第40夜)
古楽夜話 #5(第41夜~第50夜)
古楽夜話 #6(第51夜~第60夜)

●でもこのプレイリストって、書籍そのものにはぜんぜん案内されていないんすよね。ONTOMOの記事で知った次第。このへんが書籍の難しいところで、一般に本の寿命はIT系サービスの寿命より長いので、たとえば本にQRコードとかを載せても、3年もしたらリンクが切れてるかもしれないし、それどころか1年もしないうちに配信サービス自体がどこかに吸収されたり、終了しているかもしれないわけで、ダイナミックすぎて書籍との相性はよくない。雑誌とか広報誌なら迷いなく載せられるとは思うんだけど。
●ひとつだけプレイリストをここにも載せておこう。古楽夜話 #6(第51夜~第60夜)。

October 12, 2023

「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」(今井むつみ、秋田喜美著/中公新書)

●話題の新書、「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」(今井むつみ、秋田喜美著/中公新書)を読んだ。言語学の本で、決して平易な本ではないと思うのだが、15万部を突破したというのだから驚き。帯の惹句は「なぜヒトだけが言語を持つのか」。
●過半のページがオノマトペについて割かれていて、なるほど、おもしろい。オノマトペそのものが言語的であり、子どもが言語を習得する際にオノマトペがどんな役割を果たしているか、そしてオノマトペと一般語との関係性などが述べられる。特に印象的だったのは、オノマトペは異なる言語の話者にもある程度は類推可能であって、特定の音が特定の概念と結びつきやすいという話。たとえば、丸っこい形とギザギザした形を見せて、どちらが「マルマ」でどちらが「タケテ」でしょうかという問いを発すると、多くの言語の話者が丸っこいほうを「マルマ」、ギザギザのほうを「タケテ」と判断する。「そりゃあ、丸いほうがマルマなのは当然でしょ?」と思うかもしれないが、これはドイツの心理学者の研究で、すでにドイツ人が丸っこいほうに「マルマ」という架空の言葉を用意している時点で、音と意味の関係性がうっすら見えている。
●多くの言語で「い」の音が「小ささ」と結びつくという話や、主食を表す言葉に「パ」「バ」「マ」「ファ」で始まるものが多いという話も興味深い。食事を表す赤ちゃん言葉が、日本語で「まんま」、トルコ語で「ママ」、スペイン語で「パパ」というのも、これに関連していそうで、言葉を習得する前に必須の概念にはこういった音が使われる傾向があるらしい。赤ちゃんでも使える音、ということなのか。
●圧巻は終わりのほうで出てくる「アブダクション推論」(結果から遡って前提を推測する)を巡る、人間の赤ちゃんとチンパンジーの比較実験。ヒトは複雑な言語を持つが、チンパンジーはそうではない。それはこの推論能力の違いからくるのではないかという実験で、明快な結果が出るのだが、ただ例外的に実験に参加したチンパンジーで一体のみが、この推論能力を身につけていたって言うんすよね。本書の話題からは外れるんだけど、それってまさに「猿の惑星」じゃん!と思った。こういう賢いチンパンジーだけが生き残りやすい環境があったら、賢いチンパンジー同士で繁殖するようになり、やがて言葉を話すサルへと進化して……みたいな。

October 2, 2023

「ナイフをひねれば」(アンソニー・ホロヴィッツ著/山田蘭訳/創元推理文庫)

●アンソニー・ホロヴィッツの新作は毎回欠かさず読んでいるが、今回の「ナイフをひねれば」(創元推理文庫)も秀逸。よく毎回ネタが尽きないなと感心するばかり。今作は「ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ」第4弾で、著者であるアンソニー・ホロヴィッツ自身が本人役で登場し、探偵ホーソーンとコンビを組む。ホロヴィッツ作品は純然たるエンタテインメントなんだけど、常にメタフィクション、メタミステリ的な趣向があって、著者が本人役として出てくるのもその一環。探偵のホーソーンはホームズばりの鋭い観察眼と推理力の持ち主だが、傍若無人でケチでイヤなヤツ、でも本当は友情に篤い男なのかも、という役柄。作家自身が主人公なので出版業界の裏側が透けて見えるのも本シリーズの楽しみだが、今回は演劇の世界が舞台になっていて、そこも新鮮。実際に著者は過去に演劇の脚本も書いているのだ。
●演劇界で悪名高い劇評家が、主人公が脚本を書いた演劇をけちょんけちょんにこき下ろしたら何者かに殺された、というのが事件の発端。演劇の人たちが新聞の劇評を気にしているのは、初日の翌日にもう各紙に評が載って、評判が集客に直結するから。記事が出た後にも公演が続くからみんな評を気にするという大前提があるんすよね。あと、新作を上演するにあたって、まず地方の劇場でなんどか上演して手ごたえを得てから、ロンドンで上演するという流れも「へえー」と思った。
●で、その劇評家殺人事件の容疑者として、なんと、主人公である著者自身が逮捕されるんすよ! いやいや、一人称小説なんだし、主人公が犯人のわけないじゃん……と思って読んでると、捜査が進むにつれて、主人公が犯人であるという状況証拠が積みあがっていく。おかしすぎる。タッチの軽やかさ、主人公のフツーの人っぽさも共感のポイント。

September 27, 2023

「パワー」(ナオミ・オルダーマン著/安原和見訳/河出文庫)

●文庫化されたナオミ・オルダーマン著「パワー」(河出文庫)を読む。おもしろい。amazonプライムで映像化されているそうだが、知らずに楽しんだ。書名の「パワー」とは、ある日を境に女性だけが持つことになった電気的な力のこと。あらゆる女性が電撃によって人を攻撃できるようになり、男女の力関係がすっかり逆転してしまうというストーリー。女性はその気になればいつでも暴力で男性を痛めつけることができる。そんな設定のもと、現在の男性優位社会が逆転した世界が描かれる。それまで男性が無自覚的に権力(パワー)を手にしてきたことがあらわになるわけだが、女性優位の社会なら世の中がフェアになるみたいなぬるい話ではなく、容赦のない男女逆転復讐ファンタジーがくりひろげられる。
●で、それだけだと、そんなに斬新なアイディアとはいえないかもしれないし、男性は一部の暴力描写にドン引きしてしまうわけだが(でもそれは現実世界で起きていることの裏返しでもある)、この「パワー」はパニック小説として秀逸で、あえてB級SFテイストを狙っているようなところがあるのが痛快。エンタテインメントとしての期待を裏切らない。あと、パニック小説の外枠の物語が設定されているのだが、これが秀逸で、かなり皮肉が効いている。

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