Booksの最近のブログ記事

March 17, 2023

「タタール人の砂漠」(ディーノ・ブッツァーティ著/脇功訳/岩波文庫)

●Twitter上で万城目学氏が「普段滅多に好みが一致しない私と森見登美彦氏が、今年めずらしく『これはおもしろい』で一致した一作」とつぶやいたことをきっかけに、10年前に発売された岩波文庫が話題になっている。ディーノ・ブッツァーティ著の「タタール人の砂漠」。そうなのだ、ワタシもそのツイートを目にして、反射的に買ってしまったひとり。なにせ「何も起こらないのにおもしろい」と紹介されていたので。1940年刊の名作。
●主人公は青年将校ジョヴァンニ・ドローゴ。士官学校を出て中尉の制服を身につけて最初の任地である辺境の砦にやってくる。「何年来待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日」から最初の1ページが始まる。だが、この国境線上にある砦の目の前には砂漠が広がっているだけで、敵の襲来などありそうにない。もしかすると敵がやってくるかもしれない、そして自分が活躍して英雄になるかもしれないと、漠然とした期待を抱きながら規律正しく日々を過ごすが、なにも起きない。
●そんな寂しくて単調な暮らしなど、若者には耐えがたいだろうと思うじゃないすか。でも一方で、慣れてしまえばそこは心地よい場所になることもありうる、とワタシらは知っている。

もう彼のなかには習慣のもたらす麻痺が、軍人としての虚栄が、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろしていたのだった。単調な軍務のリズムに染まってしまうには、四か月もあれば充分だった。(中略)勤務に習熟するにつれて、特別な喜びも湧いてきたし、兵士や下士官たちの彼に対する敬意も増していった。

●見たことのある光景のような気がする。若いドローゴは無限に自分の時間があるように思っている。自分の意思で砦から出ようと思えばいつでも出られる。そう思いながら、なにも変わらないまま(変えようとしないまま)月日が過ぎていく。きっといつかなにかが起こる、だから、住み慣れたここに居続けるのだ。そんなふうに自分に言い聞かせているうちに、やがて、かつての自分と同じような新任の若い将校が砦に配属されてくる……。
●少し辛辣な物語ではあるのだが、隅々まで味わい深い。

March 2, 2023

「昼の家、夜の家」(オルガ・トカルチュク著/白水社)

●あれ、この本、なんのきっかけで読みはじめたんだっけ……Amazonのオススメだったのかな? 2018年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの作家オルガ・トカルチュクの「昼の家、夜の家」(小椋彩訳/白水社)。とてもゆっくりと時間をかけて少しずつ読み進めたので(そうしたくなるタイプの小説)、なぜこれを読みはじめたのかを忘れてしまった。どんな話かを一言で表すとすれば「辺境小説」。舞台はポーランドとチェコの国境地帯にある小さな町ノヴァ・ルダ。町はずれの山村に移り住んだ語り手と風変わりな隣人たちとの交流を軸に、土地に伝わる聖人の伝説やらキノコ料理のレシピやら寓話だとか妙な事件だとかが語られる。そして、ときどき背景に戦時の記憶や社会主義の残滓みたいなものが垣間見える。
●たとえば、あるドイツ人の話。かつて自分が住んだ家を見ようと、国境を越えてポーランドへと旅する。しかし登山中に発作を起こし、チェコとポーランドの国境を両足でまたいで絶命する。不思議な話、可笑しい話、怖い話、いろんな小さな物語が集まっているのだが、どれも多かれ少なかれ辺境的な要素を備えている。
●ノヴァ・ルダという町についての記述から少し引用。

太陽が昇らない町。出ていった人が、いつか必ず帰る町。ドイツが掘った地下トンネルが、プラハとヴロツワフとドレスデンに通じている町。断片の町。シロンスクと、プロイセンと、チェコと、オーストリア=ハンガリーと、ポーランドの町。周縁の町。頭のなかではお互いを呼びすてにするくせに、実際に呼ぶときには敬称をつける町。土曜と日曜には空っぽになる町。時間が漂流する町。ニュースが遅れて届く町。名前が誤解をまねく町。新しいものはなにもなくて、現われた途端に黒ずみ、埃の層に覆われ、腐っていく街。存在の境界で、みじんも動かずに、ただありつづける町。

●いろんなキノコが出てくる。ポーランド人はキノコ狩りやキノコ料理が好きなのだとか。おいしそうにも思えるし、ひょっとして毒キノコなんじゃないのという怪しさも漂う。

February 3, 2023

「親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語」(吉原真里著/アルテスパブリッシング)

●話題の本、「親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語」(吉原真里著/アルテスパブリッシング)を読んだ。題材となっているのは著者がワシントンの議会図書館で出会った、バーンスタインに宛てられた数百通の手紙。日本では最初期のバーンスタイン・ファンであるカズコ、バーンスタインと激しい恋に落ちたクニ(橋本邦彦氏)のふたりの日本人との交流をひも解きながら、ステージ上からは見えないバーンスタインの姿を描き出す。2019年に英語で原著が出版されており、それを著者自身が改稿の上、自ら日本語で書き直して出版したというノンフィクション。生前のバーンスタインがこれらの手紙を手元に保管しており、それがいま図書館にアーカイブされていて閲覧できるというのもすごい話。
●もっとも印象深かったのは橋本邦彦氏とバーンスタインのラブストーリー。橋本氏からバーンスタインに宛てた手紙がたくさん引用されているのだが、当然のことながらとてもプライベートな内容で、熱烈な愛の手紙が続く。他人が読んではいけないものを読んでしまった感が半端ではない(本人の許諾はとれている)。そして、読むと憂鬱になる。だって、ふたりの関係性はどう転んだって不均衡なものだから。たとえ濃密な時間をふたりで過ごせたとしても、それはひとときのもの。相手は世界中を飛び回るスーパースターであり、独占することはできず、ともに人生を歩むことはかなわない相手。いちばんグサッと来たのは、橋本氏と同席していた場で、ゼッフィレッリがバーンスタインに向かって「海で魚を釣ったら、魚をいったん眺めた後は、海に放してやらなきゃいけない」と諭したという場面。つまり橋本氏が魚。これはゼッフィレッリのやさしさでもあるだろうけど、しんどい一言なわけで……。ただ、その先に待っているのは決して暗い結末ではない。バーンスタインというより、橋本邦彦の物語が美しい。
●もうひとつ柱になっているテーマは、書名にもあるように「戦後日本の物語」。これは最初のほうは知らない過去の話だけど、途中から自分も知っている時代になってきて、「そういうことだったんだ!」という発見がいくつもある。バーンスタインがイスラエル・フィルと来日したとき、ワタシはまだ大学生で、名古屋公演を聴くことができたんだけど、あのときのツアー実現の経緯なんかも興味深かった。コミュニケーションの行き違いでチケット発売後に演目の変更があったと書いてあったけど、まさに名古屋公演がそれで、当初の発表からマーラーの交響曲第9番に変わったんである。この変更を知って、ワタシは思わず「マジか?ヨッシャーーーー!」とガッツポーズをとったのだった(最初からマーラー9番だったら、チケットが取れなかったかもしれないと思った)。初めて目にした実物のバーンスタインが、あまりに身長が低くてイメージと違っていたのも忘れられないが(大男だと信じていた)、やっぱり同じ感想を持つ人も多かったんすね。あの公演の後、バーンスタインは名古屋に泊まらずに、能を鑑賞するために新幹線で大阪に戻ったという話は初耳。あと、日本はバブル期があったから、今とは違った景色が広がっていて、あの頃の時代の空気も伝わってくる。

January 11, 2023

「ブラック・フォン」(ジョー・ヒル著/ハーパーコリンズ・ジャパン)

●昨年読んだ本でひたすら感心したのがジョー・ヒルの短篇集「ブラック・フォン」(ハーパーコリンズ・ジャパン)。この本、以前に小学館から刊行された「20世紀の幽霊たち」を改題した新装版で、表題作の「ブラック・フォン」(以前の題は「黒電話」)がイーサン・ホーク主演で映画化されたことをきっかけに再刊されたらしい。映画のほうは未見で、見るつもりもないのだが、この短篇集は秀逸。一応はホラー小説というジャンルにくくられるのかもしれないが、メタフィクション的趣向もあれば、青春小説もあれば、挫折した大人の物語もあって、一言ではとてもくくれない。ただ全体のトーンとして「ほろ苦さ」があって、そこがなんとも味わい深い。英国幻想文学大賞短篇集部門受賞作。
●特によいと思ったのは、「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」。主人公はショー・ビジネスの世界を夢見て都会に出たものの、売れないまま故郷に帰った男で、エキストラとしてゾンビ映画に出演している。もちろんただのゾンビ役のひとりだ。そこでやはりゾンビ役のエキストラとして参加している高校時代のガールフレンドと再会する。ふたりは高校時代は人気者のベストカップルだった。彼女は息子を連れて参加している。ふたりは適切な距離感を探り合いながら会話を進め、やがて現在の境遇にあらためて目を向ける。そんな場がゾンビ映画の撮影だというのがたまらない。他にもかつての親友は風船人間だったという素っ頓狂な設定で書かれた青春小説「ポップ・アート」だとか、カフカの「変身」ばりにある日とつぜん昆虫になってしまった男が、その能力に目覚める「蝗の歌をきくがよい」、ホラー小説についての小説でありつつそれ自体が一級のホラーになっている「年間ホラー傑作選」等々。巧緻な作品が目立つ。むしろ表題作が弱いか。
●で、ワタシは知らなかったのだが(あるいは知っていたけど忘れていたのかも)、著者のジョー・ヒルはあのスティーヴン・キング(とタビサ・キング)の息子なのだとか。これにはびっくり。いや、文才を受け継いでいるという意味では納得か。しかしキングの息子であるということは大金持ちの家に生まれているわけで、それでいてこんなにもやさぐれた世界、敗者の世界を巧みに描けるというのは、どういうことなのか。父親の名を伏したまま、無名の新人としてこの短篇集でデビューしたそうだが、後でキングの息子だと知った人は心底驚いたのではないだろうか。

January 4, 2023

「メキシカン・ゴシック」(シルヴィア・モレノ=ガルシア著/青木純子訳/早川書房)

●年末年始に読んだ本、その1。シルヴィア・モレノ=ガルシア著「メキシカン・ゴシック」(早川書房)。ホラー小説からは遠ざかっていたが、英国幻想文学大賞ホラー長篇部門(オーガスト・ダーレス賞)、ローカス賞ホラー部門、オーロラ賞を受賞した「ホラー三冠王」というふれこみにひかれてゲット。序盤は古色蒼然としたゴシック・ホラーで、「えっ、まさかこの調子でずっと続くの?」と心配になったが、書名通りメキシカン・ゴシックであることがミソ。主人公は都会の裕福な家庭に生まれ、学者志望の知的な若い娘でメスティーソ(混血)。この主人公が外界から孤立した幽霊屋敷みたいなおどろおどろしい館に招かれるのだが、こちらの幽霊屋敷側に住むのはイギリスからやってきた伝統を重んじる旧弊な白人一家。ホラーの体裁をとりながらも、ヒロインが戦っている相手は家父長制であり白人優位主義であり植民地主義なのだという図式が見えてくると、これが今日の小説であることが腑に落ちる。
●もっとも全体のトーンは案外カジュアルで、格調高いゴシックスタイルかと思いきや、進むにつれて荒唐無稽な50年代SFホラー調になっていくのがおかしい。同時にこれは真菌類小説でもあって、人間がキノコやカビに対して抱くうっすらとした恐れが反映されている。その点では東宝特撮映画「マタンゴ」に通じるかも。ヘンなモノ食わされる感にモゾモゾする。

December 26, 2022

「殺しへのライン」(アンソニー・ホロヴィッツ著/創元推理文庫)

●ワールドカップも終わったことなので、ようやくアンソニー・ホロヴィッツの最新刊「殺しへのライン」(創元推理文庫)を読む。この人の本を読むたびに、どうやったらこんなにおもしろい小説を書けるのかと感心する。元刑事の探偵ホーソーンと著者自身が、ホームズ役とワトソン役になって犯罪捜査に挑むという趣向のミステリ。ホームズばりに観察眼の鋭いホーソーンに対して、ワトソン役の著者はなんとも冴えない凡人っぷりなのがいい。主人公が著者本人という設定を生かして、作中人物に「ミステリでは犯人はいちばん意外な登場人物だ」みたいなことを言わせるなど、今作も軽いメタフィクション要素を含んだエンタテインメントになっている。
●ホロヴィッツのミステリはミステリと無関係な場面がやたらとおもしろい。事件など起きなくても一冊楽しく読めそう。著者が出版社に行って編集者やエージェントと打合せをする場面とか、文芸フェスの様子だとか、わりといじましい感じで本人が描かれているのが共感を誘う。著者がチャンネル諸島のオルダニー島で開催されるマイナーな文芸フェスに招待されて、そこで事件が起きるという話なんだけど、イギリスだと文芸フェスなるものが各地で盛んに開かれているんだというのが新鮮な驚き。あと、オルダニー島を観光する気分も味わえる。いや、観光じゃないな。出張気分を味わえる。あまり乗り気じゃなかった出張に行ってみると、初対面の人たちがなんだか気の合わなさそうな人ばかりで、うーんと思いつつも、なんとか気持ちを立て直そうとする感じの出張(って、あるじゃないすか)。

November 16, 2022

「英国音楽大全」(三浦淳史著/音楽之友社)

●これは驚いた。三浦淳史さんが書いたイギリス音楽に関するエッセイや楽曲解説を集めた一冊、「英国音楽大全」(音楽之友社)が刊行された。日本のイギリス音楽受容に決定的な功績を残した三浦先生(と言いたくなってしまう)だが、亡くなったのは1997年とずいぶん前の話。著書はいずれも品切で、復刊することもないだろうと思っていたら、400ページを超える堂々たるハードカバーの新刊が登場。帯に「三浦淳史没後25周年&ヴォーン・ウィリアムズ生誕150周年記念」と記されており、この機を逃すともうチャンスはないという編集者の意気込みが伝わってくる。インターネットもなにもなく、英語で書かれた情報へのアクセスが今とは比較にならないほど難しかった時代、日本にイギリス音楽の魅力を伝えるにあたってどれだけ三浦先生が頼りになる存在だったか……。ワタシ自身も大昔、「レコ芸」編集者時代にずいぶんお世話になった。一頃は毎月、原稿取りにうかがって、じっくりとお話をする機会があったのだが、駆け出しだった自分には経験が絶対的に不足しており、話し相手としても物足りない若造だったはず。にもかかわらず、とてもよくしていただいた。まだ手書き原稿の時代で、三浦先生の原稿は少しユニークだった。カクカクとした筆跡だが読みやすく、そしてときどき段落ごとにペンの色が変わっていたりして、カラフルだったような記憶がある。
●で、今回の「英国音楽大全」、エッセイをいくつか読んでみて、改めて驚嘆したのは、文章のうまさ! 当時から言われていたことではあるけど、今ならその価値がずっとよくわかる。もうむちゃくちゃうまい。とても簡明で滑らかなのに、文体に独自の味わいがある。こんな文章を書ける人、今だれかいるだろうか。内容に関して情報が古びている部分は当然あると思うが、文体はまったく古びていない。今読んでもみずみずしい。

October 13, 2022

「マクロプロスの処方箋」(カレル・チャペック著/阿部賢一訳/岩波文庫)

●最近、岩波文庫からカレル・チャペックの戯曲「マクロプロスの処方箋」が刊行されたので、さっそくゲット。こういう本は買えるときに買っておかないと。チェコの作家カレル・チャペックといえば世間的にはなんといっても「ロボット」という語の発案者だが、クラシック音楽ファンにとってはヤナーチェクのオペラ「マクロプロスの秘事」(マクロプロス事件、マクロプロスのこと)の原作者だ。
●物語のテーマは不老不死。相続を巡る長年の裁判が続いている場面に、第三者の美貌のオペラ歌手がやってきて、だれも知るはずのない遺言書のありかを教える。どうしてそんなものの存在を知っているのか、皆が困惑するが、実はこの歌手は父親が作った秘薬により300年以上にもわたって、名前を変えながら生き続けているのだった。彼女はそのマクロプロス家の秘薬の処方箋を探し求めていた。処方箋は見つかるが、人々はこれをどう扱うべきかを議論する……。不老不死が得られるとしたら、だれがその恩恵にあずかるべきなのか。そもそもそれは欲しいものなのか。晩年のヤナーチェクのカミラ(38歳年下の人妻)に対する熱愛を思い起こせば、いかにもヤナーチェク好みの題材という気もする。
●些末なことだけど、オペラのタイトルは「マクロプロス事件」と記されることも多い。が、どうもこの訳題はまるで殺人事件でも起きたかのような重々しさで、中身に合致していない。だいたい事件なんて起きてないし。直訳すれば「マクロプロスのこと」のようだが、その意味するところをもう少し具体的に訳出すれば「マクロプロスの秘事」とか「マクロプロスの秘密」になるだろうし、もっと焦点をビシッと当てるなら本書のような「マクロプロスの処方箋」がいいと思う。オペラは実演の際に訳題をアップデートすることもできるんだけど、過去に発売されたパッケージメディアの題を変えられないのが泣きどころ。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちBooksカテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリはDiscです。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

2023年3月: 月別アーカイブ