●世界一有名なサッカーの審判、コッリーナさんがNHK出版から本を出しているではないですか→「ゲームのルール」。ビミョー。おもしろいかもしれないし、つまんないかもしれん。審判って驚異的な存在だと思わないっすか。審判いなきゃ試合は成り立たないので感謝はするけど、ワタシゃ絶対に審判はできないっすね。
●だって、審判はボール触っちゃいけないんすよ。すぐそこにボールが転がってるのに、蹴れない。ああ、なんたる不幸! 世の中にこんな残酷な仕事があっていいんでしょうか。ワタシゃごめんだね。もしワタシが黒服を着せられたらどうなるか。焼きたてクッキーを目の前にしたクッキーモンスターのごとく、ボールに飛びつく。
●山本アナ:「さあ、ゴール前で久保から坂田へのパス、これをダイレクトではたいて……、ああっ! ここで主審がボールを奪いました。主審の飯尾さん、突如ボールを奪ってドリブルを始めました。飯尾さん、呆気に取られる奥と那須を抜き去り敵陣深くにのろのろと切り込みます。茫然自失の松田と中澤の間を抜けて、立ちすくむキーパーの榎本を交わし、無人のゴールにシュート! 決まりました、ゴールです! 飯尾、史上初の審判による5人抜きゴールです。まさにこれは86年ワールドカップ・メキシコ大会のマラドーナを彷彿とさせますね、北澤さん」
北澤:「んなわけねーだろっ!」
(08/27)
Books: 2003年8月アーカイブ
「ゲームのルール」[1]
「ジェノサイドの丘」
●昨日の朝刊に「ルワンダ、25日に大統領選投票」という小さな記事が載っていた。ルワンダってのは中央アフリカの小国である。「選挙戦は、ツチ族で現職のカガメ大統領と、フツ族のトゥワギラムング氏の事実上の一騎打ちとなっている」そうだが、ちょっと戦慄を覚えたですよ。
●っていうのは、ちょうど今、「ジェノサイドの丘~ルワンダ虐殺の隠された真実」(上下巻:フィリップ・ゴーレイヴィッチ著、柳下毅一郎訳/WAVE出版)を読んでいたから。あちこちの書評で取り上げられているのでご存知の方も多いと思うが、中央アフリカの小国ルワンダで起きた100万人規模のジェノサイド(民族殺戮)についてのノンフィクションである。この事件が起きたのは1994年。まだ10年も経っていない。
●多数派のフツが、少数派のツチを殺した。しかしフツとツチには積年の民族対立というほどの争いの歴史はなく、宗教対立もない。ヒットラーのような人物があらわれたわけでもない。そもそもフツとツチには遺伝学的特徴に基づく明白な民族の区別などなく、一方は背が高いとか牛乳を飲むとか、あくまで人々の「物語」が生み出した幻想でしかなかったわけだ。したがって一つの家族のなかにもツチとフツが同居していた。それが、フツが山刀を持ってツチを虐待し、凌辱し、根絶すべく殺しつづけた。メディアはラジオ、武器は山刀といった小さな世界で、隣人が隣人を殺す集団殺戮が静かに組織的に短期間のうちに行われた。そういう地獄が生まれるまでの無慈悲なメカニズムがここに記されている。
●これほどまでに大規模な殺戮があっても、当時国際的な関心はほとんど持たれず、それどころかジェノサイドの後、国際社会は殺戮した側を「難民」として扱い、人道団体が援助に駆けつけ、そして助けられた殺戮者たちはなおも人を殺しつづけたという悪夢。国連が軍を派遣していてもその目の前で人が人を殺すことを止められないというリアリティを、ゴーレイヴィッチは恐るべき取材力で伝える。イデオロギーなんて、ここじゃ全然無力だし関係なかったんすね。事件後、もはや国中が犯罪者で誰にも裁かれようのない殺戮者たちと、ジェノサイドの生き残りとなった人々が同じ国家に共存し、そして今日大統領選を迎えたというのも、信じられないような話である。(08/26)
「刑務所の王」
●「刑務所の王」(井口俊英著/文春文庫)を読んだ。あの大和銀行の巨額損失事件で投獄された著者(「告白」の人っすね)が、アメリカでの刑務所で出会った囚人を描いたノン・フィクションである。おもしろいので、あっという間に読める。
●実はワタシは刑務所物語マニアなんである。小説でも映画でも刑務所ものって聞くと興味16倍増。おかげで映画「ショーシャンクの空に」(原作はキングの「刑務所のリタ・ヘイワース」)みたいな甘口の刑務所話を見ると、「あれあれ、そんなんじゃないだろ、やっぱりそこはインテリの主人公が人気のない用具置き場でマッチョな黒人に羽交い絞めにされて、抵抗できなくなったところをボス格の囚人にたっぷり可愛がられなきゃウソだよなー」などと思ってしまう刑務所観を植え付けられているわけだが、この「刑務所の王」を読むとその種のいかにもな話がフツーにある。フィクションで描かれていた紋切り型の刑務所描写っていうのは、物語上の「お約束」じゃなくて、現実そのものだったんすね。
●ワタシはこれを読んで、ノンフィクションであるにもかかわらず、ピカレスク・ロマンを堪能したような気分になった。元銀行員だが筆力は確か、「告白」よりもさらに読ませる。(08/08)