Books: 2004年4月アーカイブ

April 22, 2004

「暗号解読 - ロゼッタストーンから量子暗号まで」(サイモン・シン/新潮社)

暗号解読「暗号解読 ロゼッタストーンから量子暗号まで」。一昨年に発売され、評判がよかったので気になっていた一冊。で、ようやく読んで驚いた。こ、こりゃおもしろすぎる。なぜいままで読んでいなかったのかっ!
●古代から現代、さらには未来までの「暗号」の歴史、言い換えれば「絶対に解読されない暗号技術」と「それを解読するための技術」の開発の歴史をたどっているのだが、その技術面・数学面の見事さ美しさに加えて、登場する人物たちがいずれも魅力的で、興味深いストーリーが尽きない。業績が秘密になりやすいという特殊な分野なので(暗号は政治的軍事的技術そのものだから)、業績が優れているほど「成功して有名になる」ことは不可能であるというパラドックスが、この世界に微妙な陰影を与えているんだろう。

オリジナルな研究をやるということは、愚か者になることなのです。諦めずにやり続けるのは愚か者だけですからね。第一のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアはコケる。第二のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアもコケる。九十九番目のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアもコケる。百番目のアイディアが湧いて大喜びするのは愚か者だけです。しかし、実りを得るためには、百のアイディアが必要かもしれないでしょう?(中略) 神は愚か者に報いたまうのです。(マーティン・ヘルマン、p341)

●暗号が解読されたために首を切り落とされるに至った16世紀のスコットランド女王メアリーの話、アメリカで財宝の場所を示したという真贋がわからない謎の暗号とその虜になった男たちの話、有名な暗号機エニグマの開発とその解読などなど、どれもこれも実に読ませる。あと、古典的な暗号解読技術の周縁にあるものとして、古代文字「線文字B」の解読成功の物語を差しはさんでいるのもすばらしい。これはロマンティックでワクワクするようなエピソードで、20歳までにこれを読んでいれば、きっと考古学者か暗号技術者になりたくなったに違いない(なれないけど)。
●サイモン・シンは筆力が極めて高く、取材力も半端じゃない。存命中の人物へのインタヴュー量も膨大だったと思われるが、ネタを「捨て惜しみ」することがなかったようで、つまらない章が一章たりともない。記述が表面的ではなく、いくつかの暗号技術については実際に会得できたと思えるくらいに具体的である。この人には複雑で難解なことを平易に説明することにかけて特殊な才能がある。鼻息荒く、猛然とオススメ。

April 16, 2004

「蹴りたい背中」 綿矢りさ

蹴りたい背中●19歳で芥川賞受賞。爆発的なセールスを記録した「蹴りたい背中」(綿矢りさ/河出書房新社)をようやく読んだ(ワタシはついに「文藝春秋」の掲載号を入手しそこなった。100万部以上も刷られたはずなのに!)。そりゃもう猛烈に堪能。これは「青春小説」のさらに一歩前、「中高生小説」の傑作である(もちろん中高生向けの小説ということではない)。
●主人公ハツはこの年代ならではの不器用さで、生きにくい日々を送るフツーの高校一年生である。どんな風に不器用でフツーかというと、こんな感じ。

 この前絹代がグループの子たちと一緒に弁当を食べたいとすまなそうに言い出し、ハツも一緒にどう、と言われた。けれど絹代の、心からすまなそうにしている顔なんて初めて見たから、なんだか違和感があって断ってしまい、一人で弁当を食べなければならなくなった。でも自分の席で一人で食べているとクラスのみんなの視線がつらい。だから、いかにも自分から孤独を選んだ、というふうに見えるように、こうやって窓際で食べるのが習慣になりつつある。運動靴を爪先にぶらつかせながら、私が一人で食べてるとは思っていないお母さんが作ってくれた色とりどりのおかずをつまむ。カーテンの外側の教室は騒がしいけれど、ここ、カーテンの内側では、私のプラスチックの箸が弁当箱に当たる、かちゃかちゃという幼稚な音だけが響く。

●彼女の前に「にな川」というクラスメートが現れる。彼はアイドル・モデル「オリチャン」のすべてをコレクションし、口を開けば「オリチャン」の話題だけという、男子高校生らしい、やはりフツーにコミュニケーション不全なキモヲタである。もう「オリチャン」の顔写真に裸の少女写真をアイコラしちゃうくらいキモヲタ(笑)。ええっ、女子高生がそんなキモヲタに恋するなんて、都合よすぎやしないかと思っちゃいけない。これはリアリズムだ。
●たぶんワタシだけじゃないと思うのだが、これを読んだ男性の多くは、主人公の女子高生に感情移入する。ただし「中学・高校時代は楽しかったなあ。昔はよかった」と思い出を語る人を除外して。ここに描かれた学校生活には確かなリアリティがある。学校が「生徒と生徒」「生徒と先生」の間に暗黙のうちに成立する欺瞞からなる地獄穴であり、学校の機能とは「世は不条理である」ことを正しく教わるための場であると承知している者にとって、主人公ハツの目から見た学校生活はワタシたちの学校生活以外のなにものでもない。中高生とはそんな息苦しい世界で、ただ生きるだけではなく、友情や恋といった高すぎるハードルを乗り越えなければいけない絶望的な存在である。
●だから物語のジャンルはまったく異なっていても、ワタシの中では「蹴りたい背中」は正しい学校小説の傑作として、スティーヴン・キングの初期ホラー「キャリー」と同じ項目に分類される。読後感はまったく完璧に爽やか。

April 13, 2004

「サンクチュアリ」に鳴り響くベルリオーズ

サンクチュアリ●「サンクチュアリ」といっても吉本ばななではなくて、フォークナーの「サンクチュアリ」(新潮文庫)である。20世紀前半のアメリカ文学の古典。暴力と無慈悲が一つのテーマになっているが、現代のワタシたちから見て、過激なものはなにひとつない。際立つのは主人公ポパイの属性たる「悪」の純粋さである。酒を飲めない体でありながら密造酒を作る犯罪者であり、玉蜀黍の穂軸で女子学生を凌辱する不能者であり、他人の生命と等しく自分の生命の価値すら認めない神に背いた存在である。
●生と死の、善と悪の物語である「サンクチュアリ」だが、ラストシーンには詩的で印象的な場面がある。唐突に音楽が鳴り響く。

その音楽堂では青空色の制服を着た軍楽隊がマスネーやスクリアビンを演奏していた、そしてベルリオーズの曲ときては、まるで黴臭いパン切れに下手なチャイコフスキーというバターを薄く塗りつけたような演奏ぶりで、そうしている間も梢のあたりから湿った光となった夕闇がふりそそいで、音楽堂や茸のように並ぶくすんだ色の傘の群れを覆いはじめた。管楽器の響きが豊かにわきおこり、豊穣な悲しい余響の波となってうねりながら、濃緑の夕暮れのなかへ消えていった。

●それまでの章とのあまりの雰囲気の違いに愕然とする場面なのだが、一つ覚えておこう。「黴臭いパン切れに下手なチャイコフスキーというバターを薄く塗りつけたような」ベルリオーズ、という表現。がんばろうじゃないか(何が?)

April 7, 2004

「オトナ語の謎。」

オトナ語の謎。●話題の「オトナ語の謎。」(糸井重里編/東京糸井重里事務所)を遅まきながら読む。ほぼ日刊イトイ新聞の人気企画が書籍化されたものだが、まさに企画の勝利というべきで、本を読んでいても編集会議で大盛り上がりでネタを出し合っている様子が目に浮かぶ。
●オトナ語っていうのは社会人にはすぐにピンと来る概念だと思う。「午後イチ」「勉強します」「アポ」あたりは学生さんにもわかるかもしれないが、「落しどころ」「バーター」「政治的」「~ベースで」「アンドをとる」あたりはどうなのか。いや、もっと鋭いと思ったのはオトナの動詞の使い方で、たとえば「発生する」。オトナ語でなにが発生するかと言えばそれは「料金」しかないっていうのはホント、その通りなんだよな。あと「投げる」とか「通す」とかも、なにを投げたり通したりするかはオトナ語住人には自明だが、普通の日本語ではまったく自明ではない。「きんきん」「とんとん」「バタバタ」「カツカツ」「コミコミ」あたりも笑える。
●で、まあ抱腹絶倒ではあるんだけど、一方でどうにもならんなと思うのは、このような「オトナ語」を、あくまで仕事の場面に限って言えば、ワタシ自身まさしくわが言語として使い倒しているという暗鬱な現実。こりゃマジでいかんと思ったっす。特にオトナ語のカタカナ語は「使えば使うほどバカに見える言葉」だと思うんだが、冷静に考えると周囲のだれよりも自分が一番使ってるじゃないのさ(死にそ)。心を入れ替えよう。この本を読んで、「こんなの言語じゃねーよ」と思った学生さんは全然正しい、圧倒的に正常、安心すれ。明日からワタシはオトナ語を忘れ、オレ語で生きる、生きるしかっ!

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