●「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」(奥泉光/新潮社)読了。「本格ミステリ・マスターズ」シリーズの一冊なので探偵小説であり、伝奇ノベルであり、キャンパスノベルでもあってサービス満点、しかも笑える。大阪の短大に勤務する冴えない大学助教授と、忘れられた童話作家の遺稿の出会いをきっかけに次々と事件が起こる、という本筋の抜群のおもしろさとは別に、やたらとおかしかったのが桑潟幸一助教授という人物像。
●太宰治研究者を標榜するものの、文学者としてはさっぱり実績もなくて、恩師のささやかなコネだけを頼りにやっと授業崩壊してるような短大の助教授になったという先生。「日本近代文学者総覧」なる大辞典で「太宰治」の項目の執筆依頼が来ないかと期待していたものの、やってきた原稿依頼は名前も知らないような作家の項目ばかり。だれも専門家がいないような落穂拾いみたいな仕事を頼まれちゃう。ところがそのどうでもいい作家群の一人、原稿を書いた助教授本人もこれまで知らなかった無名の童話作家が世間で大ブレイク、いきなり助教授はその童話作家唯一の専門家ってことになって、関連する仕事がいくつも来ちゃう。
●あー、これ、あるあるあるある。ホントにありがち。ていうか、ワタシ自身編集者側の立場で何度か経験がある。「わ、この前、専門の人が見つかんなくて、困りに困って○○さんに××の原稿ムリヤリ頼んじゃったら、大手出版社も○○さんに××の原稿依頼しちゃったよっ!」みたいな。でもいいんすよ。超マイナー分野なんてそんなもので、付け焼刃でもハッタリでもなんでもいいから、だれかが「えいやっ!」って担ってくれないと永久に拾われない。
●東京の出版社の編集者に対してやたら尊大になったり卑屈になったりする挙動不審なセンセーぶりとかも秀逸。ある、っていうか全然フツー。
Books: 2005年9月アーカイブ
「モーダルな事象」(奥泉光)
「銀河ヒッチハイク・ガイド」(ダグラス・アダムス/河出文庫)
●なーんと、書店に行ったらダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」が並んでいるではないですか! ワタシが持っている「銀河ヒッチハイク・ガイド」は20年くらい前の新潮文庫版だが、新訳で河出文庫から復刊されている。しかも映画化されて現在公開中。げげ。たぶん、ご存じない方のほうが多いと思うが、「モンティ・パイソン」とか好きな人なら必読。どんな話か。曖昧な記憶とよそのサイトの映画版紹介文をもとにいうと、こんな話。
●地球で二番目に知性が高いのがイルカ、三番目が人類。で、イルカは銀河系のバイパス工事で地球が破壊されちゃうってのをいち早く知って、人類にこれをイルカ言語で知らせてあげる。イルカ言語はボディランゲージだから、イルカは飛び上がって輪をくぐり一回転することで伝達しようとするんだけど、人類はなにを勘違いしたか手を叩いてイルカに魚を投げ与えるばかり。イルカは人類を救うのをあきらめて、「♪人類のみなさん、さようならー。おいしいお魚をありがとうー」って歌って去っていく。で、あっさり人類は消滅しちゃうんだが、ただ一人、たまたま友人に「銀河ヒッチハイクガイド」編集者がいた平凡なイギリス人アーサーだけが生き残る……。
●ってところから始まる大変イギリス的な話なんすけどね(笑)。今、ウチの本棚を探してみたが、新潮文庫版が出てこない。あ、ちなみに文庫では続編「宇宙の果てのレストラン」も出ている。問題は映画のほうで、これをぜひ見たいのだが、東京では六本木でしか公開されていない。しかも客の入りが悪けりゃすぐ降ろそうかっていう腰のひけた上映予定のように見える。うーん、六本木ってワタシの生活圏から一万光年彼方ってくらい縁がないからなあ(サントリーホールは六本木に含めないとする)。なんか六本木に建物できたでしょ、そこにある映画館。えーと、なんていったっけ、あの新しい六本木名所の名前。アークヒルズじゃなくて、WAVEじゃなくて、うーむ、マジ思い出せん。映画はWOWOW放映まで待って、原作だけ新訳で再読しておくか。
「コカイン・ナイト」(J・G・バラード)
●なんという傑作。文庫化されたのを機に読んだのだが、もっと早く読んでおくべきだった、「コカイン・ナイト」(J・G・バラード著/新潮文庫)。J・G・バラードは60年代から未来に向かって警鐘を鳴らし続けてきた。なにがすごいって、その姿勢が96年の本作でも変わってないってこと。だって、バラードは30年生まれだからこの時点で60代後半っすよ。それでも未来を向くのか。
●「コカイン・ナイト」は「病理社会の心理学」をテーマにした三部作の第一作として書かれている、というと晦渋な小説かと思われそうだが、あらすじだけなぞるとフツーにミステリーである。主人公は旅行作家。地中海の高級リゾート地で殺人事件が起きる。主人公の弟がそこで犯人として逮捕される。旅行作家は弟の無実を証明しようと、リゾート地に乗り込み、真犯人を探す。
●で、音楽ファン向けに、登場人物の一人の台詞を。これがこの小説の重要なテーマになっているので一部伏字にしてしまうが、○○にはネガティヴな言葉が入る。
「芸術と○○は常に、相並んで繁栄の道を歩んできたのです」
これは名言。表立ってはだれも肯定できない類の真実だろう。
●現代の都市生活者が思い描く理想の生活が、「停滞したリゾート地で引きこもって眺める衛星テレビ」という形に収斂していくのも、すごくピンと来る。病んだ社会を描き、これだけペシミズムに支配されているのに、読んでいるとウキウキした気分になってしまうのはどういうわけか。