●コミックには手を出さない、あまりに傑作が多そうだし、これ以上自分の守備範囲を広げられないから。そう割り切っていたんだけど、「のだめカンタービレ」を読み、さらにそのなかで部分的に侵蝕してきた「もやしもん」が目に入り、「なにこのマンガ?」と思って読みはじめ、ついに新刊を待ちわびるようになっていたという恐るべきプチ雪崩現象。最新刊第4巻を満喫。
●「のだめ」が音大ラブコメであるのに対して、「もやしもん」は農大青春ギャグマンガ。ワタシは農大とも農学部ともなんの接点もないんだけど、「のだめ」と「もやしもん」、どっちの大学生活が自分の知ってる世界かっていえば猛烈圧倒的に後者。のだめとか千秋みたいな人ってファンタジーのなかの存在だけど、「もやしもん」に出てくる主人公とか、その友達連中ってまるっきりリアリズムの世界だ。UFO研が学部の田んぼにミステリーサークル作って教授に抗議するバカさかげんとか。実話としか思えん。
●あと登場人物ならぬ登場菌類のキャラがステキ。アフラトキシンとかL.エドデス(←かわいい)とかP.クリソゲヌムとかC.トリコイデスとか。菌生いろいろ、菌も楽じゃないなあ、がんばってんだなー、と。ちなみに作者石川雅之氏推奨清酒として、純米吟醸生酒「かもすぞ」(完売)があることを知った。
Books: 2007年1月アーカイブ
もやしもん TALES OF AGRICULTURE (石川雅之著)
「スキャナー・ダークリー」と「フィデリオ」
●おっと、昨日の「スキャナー・ダークリー」は肝心な話に触れるのを忘れていた。映画版では無視されてしまったが、原作の小説「スキャナー・ダークリー」には、ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」からの引用が出てくる。幽閉されていたフロレスタンのもとにレオノーレ(フィデリオ)が助けに来た場面とか。作者P.K.ディックは特にクラヲタじゃなくて、ロックかなんかの人だと思うんだけど、でも作品中にクラシックが出てくる場面は結構多い。で、「スキャナー・ダークリー」にはいきなりドイツ語で引用が突如出てくる。「フィデリオ」だけじゃなくて「ファウスト」とかハイネとかまで説明なしに出てくる。フレンドリーじゃないんすよ、ディックは。
●オペラ「フィデリオ」が選ばれているのはたまたまではなく、「スキャナー・ダークリー」の物語と対応しているから。「フィデリオ」もまた主人公が身分(と性別)を偽っている。ただ、「フィデリオ」は救出劇なので、外から刑務所へ乗り込んで救うという話なのに対して、「スキャナー・ダークリー」は外から刑務所じゃないけどそれに近い場所に閉じ込められる救われない話で、物語的には正反対である。
●昨日書いたように、これまでに3度、この小説は翻訳されている。古い順に挙げる。
「暗闇のスキャナー」(飯田隆昭訳/サンリオSF文庫/1980)
「暗闇のスキャナー」(山形浩生訳/東京創元社庫/1991)
「スキャナー・ダークリー」(浅倉久志訳/早川書房/2005)
ワタシが読んだのは最初の飯田訳。ボロボロになった古い本を今本棚から取り出して、確かめてみたが、特に「フィデリオ」についての言及はなく、ドイツ語部分も訳出してあるから、ワタシは絶対引用に気づいていない。山形訳と浅倉訳ではドイツ語部分はそのまま残されているし、引用元についての説明もある。
●今はインターネットがあるからホントに便利になったなと思うのは、こういう引用句関係の翻訳。「とりあえずググってみる」ことを思いつけば、仮にオペラの素養がなくても「フィデリオ」という作品からの引用だとすぐわかる。優れた翻訳家というのは一種の超能力者だとワタシは常々感心してるんだけど、超能力の負担は少し軽減されたかもしれない。
●ちなみに飯田訳をパラパラとめくっていて、時代を感じる表現がいくつか。たとえば「7-11グロッサリ・ストア」って、意味わかる? 今なら「セブンイレブン」と訳せば、だれでも意味がわかる。でも1980年時点では、まだ日本にセブンイレブンが上陸して間もない頃。「7-11」の意味が読者には伝わらないから、「グロッサリ・ストア」なんて語を添えてくれているわけだ。他にもチョコレートの「M&M」にわざわざ (Melt in your mouth 口のなかで溶ける、の略)とか詳しすぎる訳注が入ってる。当時「M&M」は日本じゃ知られてなかったから、訳注が必要になった。この四半世紀でグローバリズムが順調に進行しているってことか(笑)。