●いよいよ、出ました。片山杜秀の本(2)ということで「音盤博物誌」。前作「音盤考現学」は、吉田秀和氏に「近来の快著」とまで絶賛された。その第2弾、おもしろくないはずがない。いや、まだ手にしたばかりなのだが、なんと、初版限定で「袋とじ」付録が付いている! 久しぶりだな~、袋とじの本って。中身は「カタヤマモリヒデの作り方」と題された片山氏のトークセッションを収めたものなんだけど、小見出しに「本を目方で買う男」とかあって笑ってしまった。
●で、本編は「レコ芸」連載「傑作!? 問題作!?」をまとめたものだ。100回あった連載(8年以上続いた長寿連載だった)の後半を収録。前作同様、その切り口は実に鮮やか。ナタリー・シュトゥッツマンが歌った「冬の旅」の回についての大見出しが「生産しない女」(笑)。まず小見出しを「インドの中心で生産を叫ぶ」と掲げて、芥川也寸志の「エローラ交響曲」から論じる。続いて「欧州の中心で非生産と叫ぶ」として、このアルトが歌う「冬の旅」を解題する。あちこちの見出しを拾い読みしただけで楽しくなる本などめったにない。
●博覧強記によって一見無関係に見える事柄にも文脈を創造的に与えてゆく。これが批評というものだろう。
Books: 2008年5月アーカイブ
「音盤博物誌」(片山杜秀著/アルテスパブリッシング)
『愛しのグレンダ』~「クローン」(フリオ・コルタサル著)
●フリオ・コルタサルの短篇「クローン」はこう始まる。『愛しのグレンダ』所収(野谷文昭訳/岩波書店)。
何もかもがジェズアルドを中心に回転しているみたい。あの人にあんなことをする権利があったのかしら、それともあれは妻に対する逆恨みだったのかしら。リハーサルの合間に一息つこうとホテルのバーへ降りる途中、パオラがルーチョとロベルトを相手に議論を繰り広げ、他の連中はカードゲームに興じたり、自分の部屋へと上がっていく。当然のことをしたまでだ、とロベルトが主張する、あの当時だろうと今だろうと同じこと、妻に裏切られたので彼は妻を殺した、まさにタンゴだよ、パオリータ。
●登場するのは8人の合唱団員たち。「ジェズアルドを中心に回転しているみたい」というだけあって、この不貞の妻を殺した作曲家にちなんで、合唱団員には不協和音が生まれ、男が女を殺す。それだけの物語だ。話がはじまってすぐに、たどりつくべきゴールは見えている。
●しかしこの音楽小説にはもう一つ仕掛けがある。コルタサル自身が本編の直後に種明かしをしてくれるのだが、この短篇はバッハの「音楽の捧げもの」を鋳型として厳密に構成されているというのだ。8人の合唱団員はそれぞれフルート、ヴァイオリン、オーボエ、チェンバロ……といった8つの楽器にそれぞれ一対一で対応している。三声のリチェルカーレ、無限カノン、同度カノン、反行カノンと、「音楽の捧げもの」に沿って登場人物があらわれ、物語が進行する。したがって、冒頭に引用した一節、これが有名な「フリードリヒ大王のテーマ」ということになるわけだが、どうだろうか。
●しかし短篇そのものが21ページに対して、作者による作品解説は7ページほどある。説明してもらわなければ作者以外には絶対に誰一人としてわからないという「音楽の捧げもの」仕様。そりゃわかるわけない。だって「音楽の捧げもの」には一意の楽器指定がないから、5人でも6人でも演奏できるし、8人っていうのはたまたま作者コルタサルがお気に入りのレコードがそんな編成だったというだけのことなんだから。楽屋落ちもいいところだが、でも晩年のこの作品を書いた時点ではすでにコルタサルは大家だったから、なんでもありだ。選んだ作曲家がジェズアルドとバッハというあたり、技巧の人だったんだろうなと思う。
僕たち「海外組」がホンネを話した本(秋元大輔編著)
●最近読んだサッカー本でいちばんおもしろかったのがこの本。『僕たち「海外組」がホンネを話した本』(秋元大輔編著/東邦出版)。「海外組」のインタビュー集なんだけど、中田ヒデとか中村俊輔が出てくるわけじゃない。その代わり、世界にはこんなに「海外組」がいたのかと思うほど、いろんな選手や元選手が登場する。メジャーなところでは日本からパラグアイ、メキシコ、スペインと渡り歩いている福田健二とか、ポルトガル、フランスに渡って帰国した広山望とか。あ、城彰二もいるか。オランダに行ってた平山相太とか。でも世界はもっと広い。
●たとえばリトアニア・リーグでUEFAカップ予備予選にも出場した経験を持つ竹中穣(知ってた?)。いったいどうやったら日本のサッカー選手がリトアニアでプロになるかと思うでしょ。大学出てイングランドに行ったわけですよ。で、まずは3部リーグあたりに履歴書を送ったりする。でもクラブから声がかからないから、街で草サッカーする。どんどん街に草サッカー仲間が増えて、知り合いだらけになる。そしたら知り合いにサッカークラブの下部組織のコーチがいて、事情を説明したら代理人を紹介してくれた。その代理人がリトアニアのクラブの話を持ってきたから、ぜんぜん知らない国に渡って選手になった、と。そういう信じられないような話だらけ、この本は。
●デンマーク・リーグでプレイした橋本卓、ポーランド、ルーマニア2部リーグ、カメルーン(!)、イタリア2部と渡り歩く直川公俊、シンガポール、オーストラリア、マレーシア2部を経由してJリーグに帰った石田博行……。ヒデや俊輔の話よりもずっとおもしろいに決まっているではないか。和久井秀俊の話もおもしろかったなあ。アルビ新潟シンガポールでプレイして、代理人に紹介されてスロヴェニア2部に移籍、そこで活躍して今度はオーストリア2部を紹介されて移籍。オーストリアじゃ助っ人外国人としての扱いだからプレッシャーが半端じゃなくて、負けると道を歩いていても文句を言われるし、サポーターから後ろから殴られたこともあったという。それにしても、こういう下部リーグの世界でもちゃんと代理人ビジネスが発達してるってのにも感心させられる。
●あ、やたらマイナーなところに注目してしまった。メジャーなところもありますよ。名古屋で現在大活躍中のヨンセンとか。ノルウェー・リーグを語ってくれるんだけど、ベテランだから味わい深いことを言ってくれるんすよ。「プロの条件は、人生で全力を尽くすこと。そしてもっとも大切なことは、どんな状況でも楽しむこと」とか。逆説的に言えば職業人の世界は楽しいことばかりじゃないってことを言っている。だからこそ楽しむことがいちばん大事であるという話。