●これはおもしろかった>「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語」(中野京子著/光文社新書)。ハプスブルク家の歴史を名画でたどっていくというアイディアが秀逸。ついつい読みふけって電車を乗り過ごしそうになってしまう。名画の話もいいんだけど、それ以上におもしろいのが650年にわたるハプスブルク家の王朝劇のほう。スイスの片田舎の弱小貴族にすぎなかった彼らが神聖ローマ皇帝の座を手に入れるところから、王朝が崩壊し小国オーストリア共和国へと至るまでの(途中でマリー・アントワネットがギロチンにかけられたりするわけだ)血まみれのドラマをわずか200ページの新書で駆け抜ける爽快さ。ハプスブルク家の歴史は史実そのものが猛烈におもしろいし、よく知られているものだろうけど、それをちゃんとおもしろく書けるのが書き手の筆力。抜群に巧い。
●あとハプスブルク家関連の絵画を並べると、クラヲタ的にはCDとかLPのジャケットでなじみの絵が出てくることになるのもいいかも。「フリードリヒ大王のフルート・コンサート」とかアルチンボルド(野菜とか果物でできた顔を描いてるあの人ね)とか、見たことない人はいないだろうし。アルチンボルドが描いたルドルフ2世が、れっきとした宮廷肖像画であったという話とか、絵画に疎いワタシは素朴に感動した。
Books: 2008年10月アーカイブ
「名画で読み解く ハプスブルク家12の物語」
サッカー戦術クロニクル(西部謙司著)
●今年、オーストリアでEURO2008(サッカー欧州選手権)が開かれたじゃないっすか。そのときに「音楽とはちがって、サッカーでオーストリアがヨーロッパ中からこれほど注目を浴びることなんかなかった!」みたいなことを書いたと思うんだけど、それはホントはウソなのでした。実はオーストリアが「ヴンダーチーム」と恐れられ、世界最強だった時代があったんである。それどころか、当時のオーストリアを「トータルフットボールの起源」とする見方がある。……といっても30年代のことだから、ほとんど誰もリアルタイムで見ていないし、テレビ中継もなかったわけだけど。
●一般に何かある分野に親しむためには、いま自分が目にしているもの、耳にしているものを、マッピングすることが必要になってくると思う。これってこの世界の中でどんな位置づけにあるの? どういう流れから生まれてきて、どこに向かおうとしているの? で、このマッピング能力を装備するために、人は「歴史」を知りたくなる。そのとき、点で事実を押さえるんじゃなくて、事実と事実を結びつけるのにはどうしたって物語が欲しい。記録が消失した部分も含めて、上手に紡ぎだされた物語っていうのは、ずっと語り継がれる。どんなに正確で厳密でも、無味乾燥で羅列的なものは忘れ去られる。
●で、新たに見事な戦術の物語が書かれたんである。「サッカー戦術クロニクル」(西部謙司著/カンゼン)。副題に「トータルフットボールとは何か?」ってあるように、30年代のオーストリアを起源に、クライフやサッキ、モウリーニョらといった戦術家を追いながら、トータルフットボールの歴史、戦術の変遷を紐解いてゆく。でもフツーなら決してトータルフットボールとは呼ばれないような戦術、たとえばマラドーナのアルゼンチン代表とか、銀河系軍団と呼ばれたレアル・マドリッド(あのチームに戦術なんかあったの?)にも章が割かれていて、現代サッカーで何が起きているかというのをきちんと一通り語ってくれる。
●よく考えてみれば、ワタシらが毎週毎週世界の最前線のサッカーをテレビ観戦できるようになったのは、ついこの数年とかそれくらい最近の話だ。今は何だって見れる。でもクライフとかベッケンバウアーの普段の試合を毎週見ていた人は(ほぼ)いない。ましてや30年代の最強時代のオーストリア代表なんて。これって音楽とも似ている。フルトヴェングラーやトスカニーニが偉大だって言っても、ほとんどだれも当時聴いていない(というか、それを言えばモーツァルトやバッハを同時代に聴いた人も一人も残っていない)。でも実際に見ても聴いてもいないものを、あたかもそこに居合わせて体験したかのように語るってのは、本能的にはとても大事なことなんじゃないかって感じがする。アルゼンチンのガキが20年も昔の「マラドーナの5人抜き」を自分の記憶として語る、みたいなのとか。場合によっては事後的に捏造された記憶のほうが、どんな現実より雄弁だったりする。で、そのための歴史であり物語。この本には個々のポジションがどう動くかみたいな現場のコーチ向けの解説はほとんどなくて、大きな歴史の流れが語られている。あちこちに綻びみたいに残っていた自分の頭のなかの空白が、次々と埋められていく快適さ。いやむしろ知っていることを改めて読んで、再定着させることが気持ちいいのかも。これは現代の「サッカーの教科書」になる、かもしれない。
オールタイムベスト100
●昨日のカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」の帯に、「発表後ただちにタイム誌のオールタイムベスト100(1923~2005年発表の作品が対象)に選ばれる快挙を成し遂げただけではなく……」っていう宣伝文が載ってるんだけど、「オールタイムベスト」を選ぶのに1923年以降の作品を対象とするっていうのがおもしろいっすよね。
●1923年ってどういう基準なんだろ。ぱっと思いつかないけど、なにか明快な理由があるんだろう。時代の線引きがないと困るってのはわかる。現代小説とシェイクスピアとか同じ基準で比較するのはムリだろうし。日本でやるとしても源氏物語とか挙げられても困る。
●音楽のオールタイムベスト100もやってみても楽しいかも。1923年以降発表の作品に限る、とか。むしろクラシックは1923年以前の作品に限ったほうがウケがいいかもしれん(笑)。でもまあ、音楽は演奏しなきゃ音にならないんだから、どんな古い時代の作品だろうが今演奏すれば2008年の作品と言い切ることもできる。逆にベートーヴェンと同時代のベートーヴェンを聴くことはだれにもできない。
●そのタイム誌のオールタイムベスト100、ここにあるみたいなので興味がある方はどぞ。でもこうして見ると、「何じゃそれ」感全開。サリンジャーとかフォークナーとかヘンリー・ミラーとかに混じって、ウィリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」とかP.K.ディックの「ユービック」とか入ってるし。イアン・マキューアンはAtonementが入ってる、えっと何だこれは、「贖罪」か。ナボコフは「ロリータ」、ヴォネガットは「スローターハウス5」。ピンチョンは? おっ、「競売ナンバー49の叫び」と「重力の虹」の2作も入ってる。ファンタジー系ではトールキンの「指輪物語」、C・S・ルイス「ライオンと魔女」。なんだ、ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」みたいなのも入ってるよ!
●って、おもしろいじゃないか、これ。クラシックのオールタイムベスト100とかやりたくなってきた。
●英語で書かれたものだけだから、ガルシア・マルケスとかは入ってません。