●出ました、「クラシック迷宮図書館」(片山杜秀著/アルテスパブリッシング)。「レコ芸」連載の「片山杜秀のこの本を読め!」(+α)が一冊にまとまっているんだが、音楽書の書評というものがこんなにおもしろくなるものなのかと改めて驚愕。しかも読みやすい。こういうものが雑誌連載で成立してたっていうのはいろんな意味で奇跡的なことだろう。対象となる本を超越して、書評それ自体がワクワクしながら読める。理想。
●これ、もともとの連載企画が相当な力技だったはずなんすよ。なにしろ月刊誌の書評だから「今月はそれほど興味深い本が出なかったので休みます」というわけにはいかない。そもそも音楽書を発行している出版社の雑誌で、音楽書を紹介するコーナーを設ければ、それは「自社本の宣伝コーナー」になりがち。営業なり編集なりの意向で「今月は自社のこれを紹介し、来月はあれを紹介する……」とオートマティックに流れが作られていってもおかしくない。なのに、ひたすら「書評」という記事のおもしろさを求め、片山さんに書きたいものを書いてもらうことを優先させ、毎月毎月まとまった字数で他社本を評し続けたわけだ。どう考えても、片山さんも編集部も大変な思いをしたにちがいないんである。すごい手数のかかった書評。頭が下がる。
●それがこうして一冊にまとまった。祝。単行本として読んでみると、さらに切れ味が増しているような気がする。
Books: 2010年1月アーカイブ
「クラシック迷宮図書館」(片山杜秀著)
ゾンビと私 その15 「最後のクラス写真」(ダン・シモンズ著)
●「まだゾンビ・ネタ書くんですか?」と呆れないでほしい2010年。むしろこれからがゾンビ、本格的に。他者との共生能力を失いつつある私たちの社会は今まさにゾンビ化が進行中なのであって、そこで「いかに生き残るか」という問いを突きつけられているところなのだから。で。
●先日、Twitter上で春巻さんから教えていただきました、ダン・シモンズの短篇「最後のクラス写真」(「夜更けのエントロピー」所収。奇想コレクション/河出書房新社)。なんと、泣けるゾンビ小説なんである。主人公はベテランの女性教師。舞台は「世界がゾンビ化してしまったその後」だ。そう、これまでのゾンビ・エントリーでも繰り返し述べてきたことだが、世界のほとんどがゾンビ化してもごく少数の人類は生き残る。ダン・シモンズはその生き残った孤独な人物の日常に焦点を当てた。
●人が生き残った。すると「いかに生き残るか」という問いは自動的に「いかに生きるか」という問いに変換される。活動範囲内に生存する人間は自分ひとり。職場であり居住地である学校にはゾンビとなった子供たちがいる。そこで元教育者として、なにをよりどころにして生きるか。その回答はひらたくいえば「仕事」であり「愛」なわけであるが、そのいずれも自分以外の誰か対象を必要とする行為だ。人がいなければ、ゾンビを相手にするしかない。先生はゾンビ化した子供を前に教壇に立つ。どうやって?
●ラストシーンは感動的だ。人は一人では生きていけない。じゃあゾンビと生きていけるのか。絶対いやだ、そんなの。でもゾンビ禍という災厄がなぜ訪れたかといえば共生能力の衰退のためだったわけで、アフター・ゾンビ時代においても「オレだけが生きていればいい」という排除の論理で要塞みたいな場所に引きこもっていてはそれは何も学んでいないのと同じなんじゃないか。だから必要なのは「愛」。そう美しく解することができる。と同時に、人に必要なのは「幻想」であり「物語」であって、これはビフォア・ゾンビ時代となにも変わっていないよ、とも読める。ゾンビ小説の傑作。
----------------------
不定期連載「ゾンビと私」
「悲しみを聴く石」(アティーク・ラヒーミー著)
●と、昨日はイエメン戦を見るためにイエメンテレビのお世話になったわけだが、そういえば「アフガニスタン代表」って、ニッポンと試合した記憶、ないっすよね。さすがにアフガニスタンではサッカー協会が機能していないのか……と思ったら、そうでもなくて、2010年大会はこれまでずっと不参加だったワールドカップ予選に挑んだようである(もちろん敗退した)。紛争、内戦と一切無関係なアフガニスタンの話題を耳にする数少ない機会になりうる、サッカーは。
●あ、でもこの本もあったか。アフガニスタン生まれでフランスで活動する作家、アティーク・ラヒーミーの「悲しみを聴く石」(白水社)。著者が始めて(母国語ではなく)フランス語で書いた小説で、ゴンクール賞を受賞している。これが変わった物語なんすよね。舞台はおそらくアフガニスタン。主な登場人物は、戦場から植物状態になってもどった横たわる男、そしてその看病をする妻。懸命に夫の世話をして、来る日も来る日もコーランにお祈りしてるんだけど、夫にはまるで快復する様子がない。で、その意識不明の夫に対して、妻はつぶやきはじめる。
●つぶやく……Twitterみたいに? いやいや、もっと怖いことをこの奥さんはつぶやきはじめるんすよ。「悲しみを聴く石」原題の「サンゲ・サブール」というのは、人に言えないような不幸とか苦しみを打ち明けるための石のこと。石はずっとその不幸を聞いて、あるとき粉々に打ち砕ける。すると人は苦しみから解放される、という神話があるんだそうだ。妻はこの夫を「悲しみを聴く石」としてつぶやき続けるわけで、ということはどうなるか……。抑圧された魂vs物言わぬ石。小説というよりは演劇のような舞台作品風で、中篇程度の長さなので一気に読める。戦慄。