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Books: 2012年12月アーカイブ

December 19, 2012

グライムズ!グライムズ!

「20世紀を語る音楽 2」●アレックス・ロスの「20世紀を語る音楽 2」の「グライムズ!グライムズ! ベンジャミン・ブリテンの情熱」と題された章は、ホモセクシャリズムの視点によるこの著者ならではの力強いブリテン論になっている(著者は本書を「最愛の夫」に捧げている)。ブリテンとピーター・ピアーズの関係よりむしろ彼の少年愛的な傾向について一歩踏み込んで書かれていて、20代で訪れた母の死以降、ブリテンは同年代のゲイの男性との関係とティーンエージャーに対する恋愛っぽい愛着の間で引き裂かれ、「指揮者のヘルマン・シェルヘンの息子で18歳のヴルフ・シェルヘンとの友情は、あわや性的な接触へと進むかという瀬戸際で揺れた」という。詩人W.H.オーデンは「板のようにやせた少年、つまり未経験の無垢な子」に夢中になるブリテンに、それは大人になる不安を避け、少年時代の記憶への誤った逃避だと非難したが、ブリテンは耳を貸さず、オーデンとの友情を捨てた。
●本書によれば「ブリテンが何年も親しくした少年たちは、その後彼について誰も悪くは言っていない」。唯一の例外として、13歳で当時23歳のブリテンに言い寄られ、叫び声をあげて椅子を投げつけたハリー・モリスの証言が紹介されている。
●「ピーター・グライムズ」の初期台本の草案では、グライムズと少年の関係はより性的に描かれ、「漁師は少年の若さと美しさに逆上する」。ある草稿には漁師のこんな台詞があったという。

おまえの身体は九尾の猫鞭の
挽肉だ。おお! いかすやつだ
肌がなめらかで、お望みどおりに若い
おいで猫よ! むち紐をふりあげて! 息子よ跳びかかれ
跳びかかれ(鞭打つ)跳びかかれ(鞭打つ)跳びかかれ、
ダンスは始まった

●しかし作品の構想が進むにつれて、ピーター・グライムズのセクシャリティとサディズムは覆い隠され、彼は悪辣な暴漢から疎外された犠牲者へと姿を変えてゆく。結果的に作品は多義的な解釈を許すようになり、奥行きを増したといえるだろう。今年、新国立劇場で観たウィリー・デッカー演出では、グライムズは第一に社会との折り合いのつけられない不器用な犠牲者であり、少年との関係は寒々しいベッドひとつで示唆するに留められていた。もし猫鞭のシーンが残っていたら、グライムズへ共感を寄せる観客はずいぶん減ってしまったにちがいない。

December 7, 2012

「なんらかの事情」(岸本佐知子著/筑摩書房)

「なんらかの事情」●発売されていたのを知り即ゲット、ニコルソン・ベイカーやジャネット・ウィンターソンの翻訳家、岸本佐知子さんのエッセイ集「なんらかの事情」。「ちくま」の連載がまとめられている。既刊の「ねにもつタイプ」や「気になる部分」と同様の異次元さ。日常のごく些細な風景に、よもやこんなことを思いついたり悩んだりしている人がいようとは。変すぎる。たとえば「次」と題された回。

 もう四捨五入をすると百なので、そろそろ次のことを考えておいたほうがいい気がする。次というのはつまり、次に生まれ変わったら何になりたいかということだ。
 ひところは「無生物を専門に撃つスナイパー」に生まれ変わりたいと思っていた。たとえば、高いタワーのてっぺんに建設作業員が置き忘れた弁当箱。取りに行こうにも、すでに足場は外してしまったあとだ。そんなときに呼ばれるのが私だ。

 この後段の突飛さが真骨頂ではあるんだけど、むしろ戦慄するのは前段のほうだと思う。だって、年齢を四捨五入するのに十の桁のほうを四捨五入するんすよ!
●実は回によっては〆切との戦い、あるいは「変でなければならない自分」との葛藤が垣間見えたりもする。でも、そこも含めての味わいだから、エッセイ集は。3カ所ほど笑いが止まらなくなった場所があるんだけど、どのネタかは内緒だ。

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