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Books: 2013年5月アーカイブ

May 15, 2013

「ねじの回転」「オーエン・ウィングレイヴ」 (ヘンリー・ジェイムズ)

ねじの回転●ブリテン生誕100周年。なのにブリテンを聴かずに、ブリテンのオペラの原作をたどるシリーズということで、「ビリー・バッド」に続いてヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」と「オーエン・ウィングレイヴ」。「ねじの回転」は名作だけに翻訳がずいぶんたくさんあって、光文社古典新訳文庫の土屋政雄訳にも大いにひかれるが、創元推理文庫の『ねじの回転 心霊小説傑作選』(ヘンリー・ジェイムズ著 南條竹則、坂本あおい訳)であれば「オーエン・ウィングレイヴ」も併録されているので、音楽ファンにとってはこれが最強の選択肢か。
●「ねじの回転」は幽霊屋敷小説の古典中の古典。名作が常にそうであるように、読み手に多層的な解釈を許す。もっとも表層的にはイギリス郊外のお屋敷に才色兼備の女家庭教師がやってきて、亡霊たちからお坊ちゃんお嬢ちゃんを守ろうとする、というゴシックホラーで、たしかに怖い。しかし怖いのは亡霊ではない。多くのホラー映画で本当に怖いのは亡霊ではなく子供(あるいは子供的ななにか)であり、ゾンビ映画で本当に怖いのがヒトであるのと同じく、ここでも第一に怖いのは子供。あまりにもデキのよい天使みたいなガキがあるとき悪さをして、女家庭教師が叱ると、ヤツはこう抜かす。「僕を――たまには――悪い子だと思ってほしかったの!」。あー、このクソガキゃあ。なんという邪悪さ。そして第二に怖いのは主人公の女家庭教師である。話が進むにつれて、亡霊は女家庭教師にしか見えていないことがわかってくる。もしかしてこれぜんぶ妄想なんじゃね? 語り手たる主人公がいちばん怖い。
●で、「ねじの回転」のすごいところはなにが起きているかはっきりとは語らずして語っているところで、抑圧された女家庭教師の妄想が暴走しているとも解釈できる。また、男女の亡霊、少年と少女の間にある汚れた関係性、そして天使のような少年が一発で放校処分になってしまった許されない出来事をほのめかすことによって、一言もそう語らずしてこれは同性愛、少年愛を題材とした小説になっている。最後の少年が突然息絶えてしまう一文はホラーの文脈では亡霊につかまってしまったことになるけど、ホモセクシャリズムの文脈では少年と亡霊の結びつきが旧弊な女家庭教師(彼女は屋敷の主人である青年に満たされない想いを抱えている)に追いつめられて絶たれたとも読める。
●短編「オーエン・ウィングレイヴ」では、名門軍人一家に生まれたウィングレイヴ家の青年オーウェンが、職業軍人になることを拒絶する。物語はオーエンの視点からは描かれず、周囲の人物がオーエンを観察するという形で語られる。あいつは軍人になるために生まれてきた男、気骨のある、最高の戦士になるべき男。それ以外の生き方などあるだろうか? よもや怖気づいたのか。まさか本気で軍人にならないとは? オーエンを救え!
●オーエンはだれからも理解されないまま、死を迎える。最後の一文は「その姿は、戦場に勝利を得た若い戦士そのものだった」。つまり彼は戦場に出ることなく、戦い抜いて死んだ。軍人として生きることを拒んだ平和主義者として。同時にこれは「カミングアウト」を題材とした小説としても読める。過剰な男らしさの強制と、そこからの逸脱を不名誉とする価値観。軍人の名門一家はホモフォビアの隠喩だ。セクシャリティの問題にまで踏み込まなくとも、「男らしさ」という強迫観念、「男らしさ」(スポーツ万能で行動力があり明るくて勇気がある)の度合いによって築かれる学校男子ヒエラルキーなどを思い浮かべれば、多くの男性にとって普遍的な題材を持った小説として読める。

May 10, 2013

「戦後のオペラ 1945~2013」(山田治生、渡辺和/新国立劇場運営財団情報センター)

「戦後のオペラ 1945~2013」●これは必携の一冊では。「戦後のオペラ 1945~2013」(山田治生 編・著、渡辺和 著/新国立劇場運営財団情報センター)は、戦後に書かれた代表的なオペラ57作品を取り上げて、それぞれの作品の概説、あらすじを紹介している。戦後のオペラっすよ? まず57作品を選ぶというのが大変そう。メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」とかリゲティの「ル・グラン・マカブル」クラスの有名作品はだれが編者になっても入ってくるが、そういう作品は決して多くない。ブリテンやストラヴィンスキー、プーランク、シェーンベルクあたりが健在だった40年代、50年代あたりはまだいいとして(いや、それでも難問だけど)、60年代はどれを選ぶか。ここでは芥川「ヒロシマのオルフェ」、ヘンツェ「若き恋人たちへのエレジー」、マルティヌー「ギリシャ受難曲」、ヒンデミット「ロング・クリスマス・ディナー」、ブリテン「カーリュー・リヴァー」、ツィンマーマン「軍人たち」、ピアソラ「ブエノスアイレスのマリア」、ペンデレツキ「ルダンの悪魔」が選ばれている。いやー、これらの作品について日本語で書かれたあらすじがまとまってるなんて、なんてありがたいの。
●最近の作品だと2000年代で7作。サーリアホ「彼方からの愛」、タン・ドゥン「TEA」、ジョン・アダムズ「ドクター・アトミック」、チン・ウンスク「不思議の国のアリス」他。
●全体に実用性というか、参照可能性を考慮した作品選択になっているようで心強い。あと、価格。カラー口絵もあって定価700円+税とは。通常の商業出版ならよほど部数がないと無理なわけで、ずいぶんお買い得。

May 2, 2013

『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』(青山通著/アルテスパブリッシング)

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた●ややや。この書影を見ただけでもワクワクする方は多いと思う。『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』(青山通著)。ウルトラセブンの最終回「史上最大の侵略」後編のモロボシ・ダンの名台詞、「僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」に続いて流れる、リパッティ&カラヤンによるシューマンのピアノ協奏曲。このシーンは特撮ヒーロー・カルチャーにおける音楽的ハイライトとして名高いが、本書はまずこの8分間のクライマックスについての詳細な分析から入る。

 457小節、カデンツァ最後のトリルの最中に、ウルトラセブンはアイスラッガーを放つ(譜例5)。
 しかし、それは改造パンドンにキャッチされてしまう。504小節、改造パンドンが投げてきたアイスラッガーをウルトラセブンは切り返し、悲壮な戦いのすえ、かろうじて勝利する。(p.35)
 そしてシューマンのピアノ協奏曲第1楽章は、ピアノの上昇アルペッジョ(分散和音)からトゥッティによるスフォルツァンド(特に強く)付きの4つの八分音符をフォルテで力強く鳴らし、嵐のようなフィナーレを迎える(譜例6)。
 音楽が終わった。これがほんとうに最後の瞬間だ。

●もしかしたらオリジナルの映像を見るよりも、本書の分析を読むほうが感動するのではないかというくらい、熱い思いによって最終話が再現されている。「ウルトラセブン」の作曲家、音楽監督である冬木透氏への取材により、ここでシューマンが使用された経緯なども明らかになっている。
●この序盤だけでも圧巻なのだが、少年期にこの場面に衝撃を受けた著者は、続いてこの名場面に使用された音楽のレコードを求める旅に出る。曲名がシューマンのピアノ協奏曲だということがわかり、思い切ってレコードを買う。ところがなんということか、レコードから流れる音楽はあの場面とは違う。いや、たしかに同じ曲なのだが、演奏が違う(こういう体験、身に覚えがあると思う)。そこから、クラシック音楽においては、演奏者が異なれば、同じ曲でも異なる音楽が生み出されるという真実が導き出される……そう、これはウルトラセブンとの出会いという個人史を通して語られる秀逸な「クラシック音楽入門」でもあるのだ。一冊の本に、ウルトラセブン論とシューマンのピアノ協奏曲論が併存し、それが画期的な音楽入門書にもなっているという離れ技的一冊。すげえ。
●実をいえばワタシ自身は著者より少し後の世代なので、リアルタイムの視聴体験があるのは「帰りマン」からで、「セブン」はすべて再放送でしか知らない。それでも震撼させられる。やはり「セブン」は特別なんすよね、シナリオも音楽も。この本にも掲載されていたけど、「狙われた街」でメトロン星人とダンがちゃぶ台を囲んで向き合っている図とか、強烈すぎて忘れられないもの。

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