●「シスターズ・ブラザーズ」(パトリック・デウィット著/東京創元社)を読む。傑作。「このミステリーがすごい!2014年版」にランク入りしているが、ジャンル小説ではまったくない。ブッカー賞最終候補作。
●舞台はゴールドラッシュにわくアメリカ。主人公は兄弟でコンビを組む名うての殺し屋だ。情け容赦のない荒くれ者の兄と、不器用で心優しいがいったんキレると歯止めのきかない弟が、雇い主に命じられてある山師を消すためにオレゴンからサンフランシスコへと旅する。兄のほうはためらいもなく人を殺し、抜け目なく欲しいものを手に入れる。弟のほうはせっかくまとまった金を手に入れても、モテない男ならではの勘違いで女に(それも冴えない女に)あげてしまったりと、兄とは対照的なヌケ作なんだけど、読者が共感するのは弟のほうだ。兄貴にいいように利用されているようでいて、ただのバカ者ではなく、物事をシンプルに眺めるがゆえにどこか思索的でもあり、ある種の真実に手の届く男のように見える。まるで「聖なる愚者」のように。
●アメリカ西部を舞台にしたロードノベルの形を借りながらも、これって聖杯を求める話なんすよね。カリフォルニアに着くと、男たちはみんな目の色が変わってる、欲望のために。川に浸かって砂金をとってる。実際に金持ちになることよりも、金持ちになる夢のほうがずっと甘美で、人を狂わすものなんだろう。そういえば、川で金を探すといったら、「ラインの黄金」じゃないすか。アルベリヒもヴォータンもみんなやられちゃってるように、西部の男たちもいかれてしまったのであろうなあ。そして、この本には片目の神様は出てこないが、片目の駄馬は出てくるのだった。
●暴力的な話のように思えて実はこじゃれたテイスト。個々のエピソードひとつひとつが秀逸。
Books: 2013年12月アーカイブ
「シスターズ・ブラザーズ」(パトリック・デウィット著/東京創元社)
「書くことについて」(スティーヴン・キング)その2
●(承前)一昨日に続いて、スティーヴン・キングの「書くことについて」(田村義進訳/小学館文庫)。序盤の自叙伝部分のおもしろさは述べたが、文章読本の部分ももちろん興味深い。特に小説の書き方について、くどいくらいにストーリーが第一に大切であるといい、逆にプロットなんか考えるな、と言っている。キングに言わせれば、プロットを練るのとストーリーが自然に生まれるのとは相矛盾するというのだ。「ん、ストーリーとプロット、なにが違うの?」と思われる方もいるかもしれない。ストーリーは物語で、プロットは筋立てだ。キングのイメージではストーリーは化石の発掘みたいに慎重に「探し当てる」ものなんである。じゃあ、プロットは?
プロットは削岩機のような馬鹿でかい道具だ。削岩機を使えば、固い土から化石を取りだすのは簡単だろう。だが、そうすると化石は粉々になってしまう。削岩機は粗暴で、無個性で、反創造的である。私に言わせれば、プロットは優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころだ。
と、プロット頼みの小説に対してなかなか手厳しい。「ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい」とも。
●キングがどれだけストーリーに重きを置いているか、まったく別の章ではこんなことも書いている。
なんらかの問題意識やテーマにもとづいて書くというのは、駄作のレシピである。優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない。ごくまれな例外はジョージ・オーウェルの「動物農場」くらいのものだろう。
そりゃあ、キングはジャンル小説で成功を収めて、エンタテインメントの大巨匠になった人物だからそうだろうとも、と思わなくもないが、これはなかなか考えさせられる。この本はかなり率直に創作技法を明かしてくれていて、言われてみれば、ああ、あの作品はそうだったのねと納得できるポイントがいくつかある。
「R40のクラシック」(飯尾洋一著/廣済堂新書)
●拙著の告知を。「R40のクラシック ─ 作曲家はアラフォー時代をどう生き、どんな名曲を残したか」(廣済堂新書)が刊行されました。ビジネスマン向けのクラシック入門書という位置づけで、30人の作曲家について、特に40歳前後の創作活動と作品に絞って書かれています。肩肘張った作曲家論ではなく、作曲家についての連載コラム30回分を引き受けたつもりで書きました。場所柄(?)、ごく落ち着いたトーンになっています。
●一年以上も前に書き下ろしで一冊というお話をいただいて、書き下ろしはいくらなんでも無理でしょうとお答えしてしまったのですが、担当編集者さんをはじめとする方々より絶大なるご助力をいただいて刊行にこぎつけた次第。多謝。
●トイトイトイ(←おまじない)。
「書くことについて」(スティーヴン・キング)
●今年、新訳が刊行されたスティーヴン・キングの「書くことについて」(田村義進訳/小学館文庫)。これはかつて「小説作法」の題で刊行されていたものだが、新訳かつ文庫化で再登場。キングの傑作小説と同じように、抜群におもしろく、読みはじめると止まらない。簡潔な自叙伝付きの「文章読本」といった内容で、自叙伝部分がすばらしい。幼少期の思い出から、売れない物書きになり、そして初期の名作「キャリー」で成功を収めるまでが記されている。
●もうホントに平坦じゃない、キングの歩んだ道のりは。母子家庭に生まれ、子供の頃の思い出も母親のクローゼットでゲロを吐いた話とかで、きらきらとした思い出が散りばめられているっていう感じじゃぜんぜんない。早くから書くことに目覚めるけど、大学を出てもろくな勤め先はない。タピー(キング・ファンにはおなじみの奥さん)と結婚して早々に二人の子供を授かるんだけど、キングは洗濯屋勤務、タピーはダンキンドーナツの遅番。生活保護の一歩手前の生活水準で、子供に薬も買ってやれない。そんな未来への展望がまるで開けない環境から、「キャリー」をきっかけに時代を代表するベストセラー作家が誕生することになった。「キャリー」で突然大金を手にすることになって、どうしたらいいかわからず、タピサにヘアドライヤーを買ってプレゼントする場面は涙なくして読めない。
●で、さすがにキング、箴言満載。いいなと思ったのは、キング自身が学生時代に地元の週刊新聞の編集者(田舎町にもいる現場の叩き上げのオッサンみたいなイメージ)から言われたアドバイス。「ドアを閉めて書け。ドアをあけて書き直せ」。つまり、まず書くときは一人で書く。他人に意見を求めない。でも書きあげたら、今度は人に見せて書き直せってこと。この種の実践的なアドバイスがいくつもある。もうひとつ例をあげると「副詞を削れ」ってのが印象的だったかな。さまざまな副詞を駆使してどんどん文章を修飾したくなるものだけど、「地獄への道は副詞で舗装されている」。そうねえ、でもこれは英語と日本語では事情が違うんじゃないの……といった反論も可能なわけだが、いわんとすることはよくわかる。気持ちが弱いと副詞だらけになるんすよね、文章は。
小泉和裕&日本フィル定期の小倉朗、大型本「山田和樹とオーケストラのとびらをひらく」
●そんなわけで、マリノスが撃沈した7日の午後は、サントリーホールの小泉和裕指揮日本フィル定期へ。この日はワタシが公演のプレトークを仰せつかっていたので、テレビは録画観戦になったのだ。で、公演プログラムはベートーヴェンの交響曲第2番、小倉朗の交響曲ト調、ベートーヴェンの交響曲第7番というオール交響曲プロ。「日本フィルシリーズ」でかつて委嘱初演された小倉朗の交響曲再演が聴きもの。明快な古典的フォーマットで書かれた交響曲で、日本的な響きや諧謔味、オーケストレーションの壮麗さなど聴きどころ満載。実演で耳にするのは初めてだったが、録音で聴いて感じていた以上に演奏効果が高く、華やか。バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を連想する。そしてやはり時代を反映してということか、「ベタなノリ」は控えめになって、平成の洗練された音楽にバージョンアップされていた。
●交響曲第7番は終始速めのテンポを保った推進力のあるベートーヴェン。第4楽章は白熱して少し危険なくらいの速さだったが、客席は熱狂した。
●こちらはその日本フィルが企画協力した大型本「山田和樹とオーケストラのとびらをひらく」(アリス館/シリーズ音楽はともだち)。表紙の真ん中に日フィル正指揮者の山田和樹さんのイラスト。よく見ると、その周りに描かれている奏者たちもみんな日フィルの楽員になっている。子供たちに向けて「オーケストラってなんだろう」「指揮者の仕事はなに?」ということをやさしく教えてくれる一冊。さすがに当事者が企画協力しただけのことはあって、児童書ながら端々に現場感覚みたいなものが垣間見える。たとえば、「インスペクター」の仕事の説明に(そんな項目があるのもスゴいが)、リハーサルが予定時間になっても終わらないときは勇気を奮って指揮者に終わりを告げなければなりません、とか書いてある(笑)。楽器の配置も通常配置だけではなく対向配置も併記してあって、今の実情に即している。