●「わたしを離さないで」以来10年ぶりとなる(そんなに?)、カズオ・イシグロの新作長篇「忘れられた巨人」(土屋政雄訳/早川書房)。英語版からわずか2か月後に邦訳が出るという早業(巻末の解説が訳者ではなく、編集部名義になっているのは進行が厳しかったから?)。すぐに翻訳されたことに感謝しつつ、じっくり読んだ。そして圧倒された。
●物語と舞台となるのは、まさかの6世紀ごろのブリテン島。そして主人公は老夫婦だ。6世紀なんてどうやって描写するのと思うが、ちゃんとリアリティを持って描かれている。そしてこの時代はアーサー王が姿を消した時代でもある。登場人物には円卓の騎士のひとり、老いたガウェイン卿も登場する。世界には鬼もいれば竜もいる。つまりファンタジー的な世界観も共有されている。なるほど、これまでカズオ・イシグロは「わたしたちが孤児だったころ」で探偵小説を、「わたしを離さないで」でSF小説を、といったようにジャンル小説の枠組みを借りて物語を紡いできた。だから今回、ファンタジーという形式が選ばれても不思議はない。ブリテン島に互いに言葉も宗教も異なるケルト系のブリトン人とゲルマン系のサクソン人が共存していたというのは史実なんだろう。両者は平和に共存してはいるものの、主人公たちブリトン人の立場は決して楽観的なものではないことが察せられる。
●まず、外観としては、これは穏やかな愛情で結ばれた老夫婦のラブストーリーである。夫が妻に「お姫様」と呼びかける翻訳が秀逸。老夫婦が村を出発して、息子の暮らす村へと旅をする。しかし世界は謎の霧で覆われている。この奇妙な霧は人の心から記憶を奪う。「不確かな記憶」はこれまでにカズオ・イシグロが繰り返し描いてきたテーマであり、これに関しては野心作「充たされざる者」で窮められているが、この「忘れられた巨人」でも重要なテーマとなっている。個人の忘却ではなく、集団の忘却として。
●大小さまざまなエピソードを挿みながらも、物語はおおむね淡々と進む。クエストの連続はどこへと向かうのかと思って読み進めると、最後にたどりつくのは「日の名残り」に劣らず味わい深い幕切れ。最後の3章ほどは、即座に読み返さずにはいられなかった。背景となる世界が日本人にはなじみの薄いものだけに、どこまで受け止められているのかという手探り感は残るものの、10年待っただけの読書体験は保証してくれるんじゃないだろうか。
Books: 2015年5月アーカイブ
「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ著/早川書房)
「NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン」(ダーグ・ソールスター著、村上春樹訳/中央公論新社)
●村上春樹訳でなければ手に取っていただろうか。「NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン」(ダーグ・ソールスター著/中央公論新社)。著者はノルウェーを代表する作家。書名は11冊目の小説、18冊目の著書を意味しているだけなので、つまり作品番号みたいなものであって、それ自体に意味はない。英訳からの重訳という禁じ手を使ってでも訳したかった一冊ということだが、なるほど、これは独特の手触りがあって、読みだすと止まらない。ストーリーはかなり予想外の方向に向かってゆく。一言でいえば、シニカルで、痛い。
●主人公の男性は50歳を迎えたばかり。序盤はこの男の来歴が語られる。中央省庁の官僚としてエリートコースを走り、結婚して2歳の子供もいたのだが、ふとしたはずみで家庭を捨てて愛人のもとに走る。中央でのキャリアも放り出して、田舎町で冴えない役人勤めをはじめる。その愛人とは14年間を連れ添ったものの、今や別居して一人暮らしをしている。が、ドロドロした愛憎劇などは一切描かれず、そこに至るまでの出来事は淡々とあたかも第三者の観察眼によって記されたかのごとく振り返られる。この序盤だけでもかなりおもしろいのだが、話がどこへ向かおうとしているのかまるで見当がつかない。
●ほんの少し内容について触れてしまうと、これは「人生のさまざまな局面で、常に袋小路へと向かう選択ばかりをしてしまう男たち」の話なんだと思う。主人公はどこまでもそうだし、その性癖はものの見事に息子にも引き継がれている。で、それはイカれた男の話であると同時に、どんな男にとっても共感可能な物語でもある。ワタシたちには見えない磁力に引きつけられるようにそこへと向かってしまう性質が備わっているとしか思えなくなる。あるいは年輪を重ねるということ自体がそうなんだろうか。
●それにしても最後の展開は、どうなんだろう。これだけはもうひとつ消化できていない。