●気になりつつも遠ざけていたウエルベックだけど、昨年「地図と領土」(ちくま文庫)が文庫化されたのでゲット、ようやく読む。おもしろい。現代美術のアーティストを主役にした物語で、序盤は煮え切らないアーティストの卵みたいな若者が、とびきりの美女と出会って、美術界で大躍進するという成功譚。なんだけど、主人公は時の人となっても変わらず淡々とした生き方を続けるばかり。クリスマスになれば実家の老いた父親とふたりで静かに過ごすのが年中行事。やがて主人公は絵画に新境地を開き、新作は次々と途方もない価格で売れ、巨額の富を手にする(アートとマネーの関係性もこの物語の副次的なテーマ)。それでも、主人公の無感動な態度に変わりはない。これ、話はどこに向かうんだろう……?
●と半分以上読み進めたところで、ようやく本の裏表紙に書かれている「あらすじ」の事件が起きる。主人公は有名作家ミシェル・ウエルベック(この本の著者である)に個展用の原稿を頼むが、しばらくするとウエルベックは惨殺死体で見つかる。事件発生、いったいだれがなんのために? 急にミステリー調になってお約束の刑事コンビが登場して、事件を捜査する。型通りのミステリーが挿入されるのが楽しすぎる(しかもよくできている)。
●で、小説内に作者自身を登場人物として登場させるという、まさしく自己言及的な仕掛けもそうだが、この本は「書くことについて書く」本でもある。しかも「描くことについても描く」。主人公が成功を収めた架空の写真や絵画作品について、それをどう描いたかが描写されている。主人公は肖像画の成功で富を手にするが、そこに作者は物語内に自分を登場させる。物語外では作者が小説として自画像を描いている一方、物語内では主人公が作者の肖像画を描くという並行関係がおもしろい。
●ところで主人公が物語内作者に対して依頼する展覧会のカタログ原稿なんだけど、原稿料は1万ユーロだっていうんすよ。ふーん。
Books: 2016年4月アーカイブ
「地図と領土」(ミシェル・ウエルベック著/ちくま文庫)
LFJ2016公式本「ナチュール 自然と音楽」(エマニュエル・レベル著/アルテスパブリッシング)
●毎年、ラ・フォル・ジュルネでは公式本が作られるのだが、今年はこれまでとはがらりと雰囲気を変えた一冊が登場した。エマニュエル・レベル著の「ナチュール 自然と音楽」(西久美子訳/アルテスパブリッシング)。これは日仏共通のオフィシャルブックという扱いで、ナントでも販売されている本の邦訳。新進気鋭の音楽学者による書き下ろしなのだとか。従来の公式本は日頃クラシックを聴かない人も読めるような本が企画されていたが、今回は純粋に「自然と音楽」を題材とした音楽書になっている。音楽祭のためのガイドブックにはまったく留まっていなくて、音楽祭後も読まれるべき一冊。
●前半を読んでいておもしろいと思ったところをいくつかメモ。ヴィヴァルディの「四季」について。これはすごく描写的な音楽だけど、作曲家がこの曲で描いたのは、ヴェネツィアの四季ではなく、どこにも存在しない理想化された四季という話。「ヴィヴァルディは音楽から特定の場所を示唆するような描写的要素をすべて排除している」。
●一方、ベートーヴェンの「田園」について。これはヴィヴァルディとは逆で、理想化された田園じゃなくて、本当にその辺に歩いて行けるところにある自然。その点で「過去のパストラーレとは一線を画している」。あと、「田園交響曲」はベートーヴェン以外にもたくさんの作曲家が書いているんだけど(今となっては無名の作曲家によって60作以上も書かれたとか)、そのなかで嵐のエピソードが挿入されているのはすごくまれで、ベートーヴェン以外にはシュターミツとクネヒトなんだとか。クネヒトの「自然の音楽的描写」は今回のLFJの目玉作品のひとつだと思うんだけど、これってヴィヴァルディの「四季」並みに詳しいストーリーが添えられているんすよね。ますます聴くのが楽しみになってきた。