●この書名じゃ自己啓発書みたいだが、読んでびっくり。「自分を開く技術」(伊藤壇著/本の雑誌社)は、まれに見るおもしろサッカー本だった。著者は「アジアの渡り鳥」の異名を持つサッカー選手で、なんと、アジア18か国でプロとしてプレイした経験を持つ猛者。ベガルタ仙台で一時活躍するも解雇されるが、そこからシンガポールを皮切りに、オーストラリアやベトナム、タイ、インド、マレーシアなど各国を渡り歩いてプレイし続けてきたという異色の経歴を持つ。しかもこれだけ移籍しまくっているのに、代理人を立てずに自分で契約交渉をしてきたというのが偉大すぎる。ある意味、真の海外組。自分の売り込み方からアジアで選手として生き残るための知恵まで、率直に記されている。
●もう日本じゃ絶対にありえないようなことばかりで、ホント、スゴいんすよね。最初にシンガポールに行った体験からして強烈。シンガポールのチームが日本でトライアウトをやって300人くらいの選手が集まって(そんなに集まる!)、晴れて合格してシンガポールに向かうことになったんだけど、交通費は自腹。で、行ってみたらチームのポロシャツを着て記者会見にまで臨んだ後で、「ウチは同じポジションに外国人選手がいるから要らない」と言われて、練習に参加すらできずに放り出される。普通だったら、そこで「アジアなんてもうこりごり」と思うところだろうが、著者はシンガポールで別のチームを見つけ出して、プロ契約を勝ちとる。
●トライアウトで自分が活躍できるようにするための秘策とか、契約交渉はICレコーダーで録音しながらするみたいな話も印象的。オーナーに声をかけられて入団が決まっていたのに、たまたま目の前で代わりにクビにする予定だった選手が目の覚めるようなシュートを決めたら「やっぱ、契約は止めとくわ」って言われて白紙になったとか、呆れるけど少し可笑しい。目鱗だったのは家賃の話。日本の敷金みたいに、借りるときに2か月分とかの家賃をデポジットする。で、最初は退去時まで律儀に家賃を払ってたんだけど、そんなことをしてるのは日本人選手だけだったっていうんすよ。だって退去したら外国に去るとわかってるんだから、最後まで家賃を払い続けたらデポジットなんてまともな金額は返ってこない。だから、ほかの外国人選手たちのように、最後の2か月は家賃を払わないことにした。すると大家が払えと言ってくるけど、そこでデポジットから充当しろと要求すればいいだけだ、と。もうこれってサッカーの話でもなんでもないわけだけど、そんなもの?
Books: 2017年4月アーカイブ
「自分を開く技術」(伊藤壇著/本の雑誌社)
「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」(ダン・シモンズ)
●以前に当欄でご紹介したジャック・ヴァンス著の「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」(国書刊行会)があまりにおもしろくて、もっとヴァンスを読みたくてしょうがないのだが、読むべき邦訳がない。が、ヴァンスの「滅びゆく地球」シリーズへのトリビュート作品ともいうべき短篇をダン・シモンズが書いており、これが以前SFマガジンで翻訳されていたことを知った。ダン・シモンズは熱烈なヴァンスの崇拝者であり、ヴァンスと同じく科学が衰退し魔法が効力を持った遠未来の地球を舞台にした、ヴァンス風味の物語を書いたのである。しかも、この「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」は、切れ者キューゲルこそ出てこないものの、「天界の眼」に登場した公女ダーヴェ・コレムの後日譚となっているのだとか。それは読みたい。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。ヴァンスが訳されなければシモンズを読めばいいじゃないの。
●そんなわけで、SFマガジンの2016年8月号と同年10月号の2冊を手配して、ダン・シモンズの「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」を読んだ。なぜ2冊かといえば前後編に分けて掲載されているから。短篇というには長めか。そして8月号と10月号なのはこの雑誌が隔月刊になっていたから(それを知らなくて、どうして9月号がないのかとうろたえてしまった)。
●もととなったヴァンスの「天界の眼」では、美しく気位は高いものの、どこかどん臭かった(?)公女ダーヴェ・コレムだが、このシモンズの小説ではすっかり垢抜けて、勇敢で抜け目のない女戦士に豹変していた。なんかムチャクチャにキャラが変わっている気がするのだが、もっともヴァンスの作品での彼女の扱いは相当酷いものだった。悲惨な目にあって、そこから生還したという設定なんだから、これくらい人が変わっていてもおかしくないのかも。
●で、「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」、おもしろかったかといえば、たしかにおもしろかった。ヴァンス風味は効いていて、絢爛たる異世界描写も見事。ただし、公女がアマゾネスになったのと同じくらい、やっぱりテイストは違っている。シモンズは正統派というか、陽性で善良。ヴァンスのイジワルさはない。そりゃ、そうだ。お菓子を食べてパンと違うと嘆くのはまちがっている。お菓子にはお菓子のおいしさがある。