●(承前 その1 その2 その3)またまたブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)の話題を。ワーグナーの楽劇にもなっているパーシヴァル(パルジファル)と聖杯の物語もこの本に登場する。ただ、ここでアーサー王伝説の一環として語られる話は、ワーグナーの楽劇(=ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩が原作)とはずいぶんと異なっている。パーシヴァルは騎士道にも武具についてもなにも知らない少年として登場し、見よう見まねで騎士に扮した珍妙な姿でアーサー王の広間にやってくる。そこにかつて一度も笑ったことがないという宮女が現れる。この宮女は王の道化によれば「騎士道の華となる者を見ないうちは決して笑わない者」。その宮女がパルジファルを見て笑ったんである。で、王の道化の言った通り、パルジファルは最強クラスの騎士となる。ここまでは「聖なる愚者」といった感じで、まだワーグナーと設定が近い。しかし、その後の運命はまるで違う。
●魔術師マーリンの助言をきっかけに、アーサー王の騎士たちは聖杯の探索に出かける。マーリンによれば、聖杯を見つける騎士はもう生まれているというのだ。で、この聖杯なんだけど、割とちらちらと姿を見せるんすよ。騎士たちの前にあらわれたり、パーシヴァルとか騎士ランスロットの目の前に出て来たりする。でも手にするのはパーシヴァルじゃない。この聖杯探索によってアーサー王の騎士たちはあちこちに散り散りになり、半分以上は命を落とすというかなり暗い展開に話は向かっていくんだけど、最終的に聖杯に選ばれたのはランスロットの息子である騎士ガラハド。ガラハドはパーシヴァルと騎士ボゥホート(ボールス)とともに聖杯を見つける。そこでガラハドの霊は肉体から離れ、聖杯とともに天に昇り、以後聖杯を見た者はだれもいなくなる。パーシヴァルはその後、僧服を身につけて隠遁し、精進の生活を送ってまもなく世を去る。パーシヴァルは聖杯を見つけた騎士のひとりではあるけれど、ワーグナーの楽劇みたいな決定的な役割を果たすこともなく、あっけない末路をたどるのだ。そして、ここにはパーシヴァルの息子ローエングリンという設定は存在しないっぽい。
●この一冊を読んでいて思い出すのは、「千一夜物語」。手触りというか語り口がなんだか似ている。あっちはイスラム世界の説話集でぜんぜん違うといえば違うんだけど、「こういう話の展開は千一夜物語にもなかったっけ?」とか思うこと、たびたび。
Books: 2017年5月アーカイブ
「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)その4 ~ パーシヴァルと聖杯
「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)その3 ~ エクスカリバー
●(承前 その1 その2)まだ続く、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)の話題。ここにはワーグナーの楽劇でおなじみのトリストラムとイゾーデ(トリスタンとイゾルデ)やパーシヴァル(パルジファル)が登場するのだが、もうひとつ共通するようなしないような要素として出てくるのが聖剣エクスカリバー。ワーグナー作品に登場する魔剣はノートゥングと名付けられている。「ワルキューレ」第1幕で、トネリコの木に刺さったかつてだれも抜けなかった剣を、ジークムントは見事に引き抜く。これは窮地に陥ったジークムントのためにヴォータンが用意してくれた剣であり、後にはヴォータン自身の槍で折られてしまうことになる。北欧神話でもそのような話が出てくる。
●一方、「中世騎士物語」のエクスカリバーを抜くのはアーサー王だ。当時アーサーはまだ戴冠前の15歳。教会の入り口で剣が刺さった石が発見され、石にはこの剣が王の剣となると記されていた。そこでこの石から剣を抜いたものがブリトンの統治者となるのだと定められるが、名だたる騎士のだれもこれを抜くことができない。あるとき、腕試しの試合で剣を折った騎士ケイのために、アーサーが剣を取りに帰ったのが、たまたまこの石に剣が刺さっているのを目にすると、それをなんの苦も無く抜いて、ケイに渡した。ケイはこれを石に戻して、ふたたび抜こうとするが抜けない。しかしアーサーはまたしてもこれを抜いてしまう。こうしてアーサーが全員一致で王に推されることになった……というのが、エクスカリバーのエピソード。
●ところでアーサー王は別のエピソードでも不思議な剣を手にしている。これは湖の女王のエピソードで、謎の騎士と戦って敗れ、剣を失ってしまったアーサー王に対して、湖から一本の腕が出てきて、剣を与えるという話。これは湖の女王から与えられたものだが、この剣もどいうわけかエクスカリバーと呼ばれているのだ。というのも、この剣は、アーサー王の死の場面でふたたび登場する。戦いで傷ついて死を覚悟したアーサー王は、騎士ベディヴァに対して、「愛剣エクスカリバーを海に投じて、なにが見えたかを教えてくれ」と命ずる。ところが宝石のちりばめられた剣を惜しいと思い、騎士ベディヴァは剣を木の根に隠して、アーサー王に「剣は海へ捨ててきた」とうそをつく。しかしアーサー王はベディヴァの返答からたちまちうそを見抜く。ベディヴァはそうやって2度もアーサー王を偽るが、3度目にようやく本当に剣を海に投じる。すると海中から一本の腕が出てきて、剣を受け止めて振り回した後、剣もろとも海中へ消え去ってしまう。
●じゃあ、石から抜いたのと、海から腕が出てきて与えてくれたのと、いったいどっちがエクスカリバーなのよ。それとも不思議な力を持った剣のことはどれもエクスカリバーと呼んでいたとでも? (→その4へ)
「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)その2 ~ リア王
●一昨日のエントリーでもうひとつの「トリスタンとイゾルデ」について紹介したブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)であるが、この本の中には「リア」の物語も出てくる。そう、シェイクスピアが「リア王」として書いた、あのリア。ブルフィンチはミルトンの「歴史」からこの物語を引いてきたそうで、同じ話をシェイクスピアはいくつか物語や登場人物名を変えて悲劇「リア王」に仕立てたという。えっと、それってみんな知ってること? ワタシは知らなかった……。
●シェイクスピア作品では King Lear だけど、この本で登場するのはリア Leir。リア王には男児がなく、娘が3人いた。国を娘に譲ろうと決心し、3人の娘でだれがいちばん自分を愛しているかを計ろうとした。長女と次女はだれよりも父を大切に思っていると語った。しかし末娘は口先だけで情愛の深さを表現することをよしとしなかったため、父王の怒りを買ってフランスに追放される。ふたりの姉の結婚後、リアが100名の騎士とともに長女のもとに移り住むと、「100名の騎士は多すぎて困る」とこれを30名に減らされる。次に次女のもとに赴くと「5人以上の騎士を養うことはできない」と言われてしまう。そして、ふたたび長女のもとに戻ると、今度はただひとりの召使しか許されなかった。哀れなリアは懺悔をしようとフランスの末娘を訪ねる。末娘は落ちぶれた父の姿に涙し、その身分にふさわしい歓待を尽くした。末娘は兵を率いて姉たちの領土に攻め入って降伏させ、ふたたび父を王位につかせた。3年間のリア王の統治の後、末娘が王位を継いで5年間統治するが、姉たちの息子らが謀反を起こして命と王位を失う。
●基本設定はシェイクスピアと同じだが、途中からがずいぶん違う。ここにはリア王の発狂がないし、リア王は復位にも成功してしてる。リア王、がんばった。リア王にしてリア充。ウェーイ。逆に言えばこの話から、あの「リア王」を生み出したシェイクスピアがすごいとも言えるのか。
●昔、「キング・イズ・アライヴ」(クリスチャン・レヴリング監督)っていう映画を見たとき、男女が砂漠の真ん中で遭難して、ただ狂気と孤独のなかで「リア王」を演じようとするというぶっ飛んだ展開に戦慄したっけ。どんだけ「リア王」好きなの、西洋人は。つくづくヴェルディが「リア王」をオペラ化しなかったのが残念。(→その3へ)
「中世騎士物語」(ブルフィンチ/岩波文庫)~ トリストラムとイゾーデ
●先日の「アルベニスとマーリンとワーグナーと」をきっかけに、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)を読みはじめた。おもしろい。というか、今までこれを読んでいなかったことを後悔。アーサー王伝説に登場するキャラクターたちに生き生きとしたイメージを抱くことができる。といっても、伝説の類はみなそうだがバリエーションがさまざまあって、話によって人物像が違っていたり、時系列が矛盾していたりするもの。たとえば、トリスタンとイゾルデの物語。ワーグナーがオペラ化するにあたって参照したのはシュトラースブルクの叙事詩ということのようだが、この「中世騎士物語」では微妙に違ったもうひとつのトリスタンとイゾルデが描かれる。ワーグナーの楽劇より筋が通っているところもあって、いくつか腑に落ちた。
●コーンウォールのマーク王(マルケ王)のもと、騎士となったトリストラム(トリスタン)は、アイルランドの騎士モローントを倒すが、自らも負傷する。モローントの槍には毒が仕掛けてあり、トリストラムの傷は日に日に悪くなる。そこで傷を治そうと英国に渡るのだが、アイルランドに流されてしまう。ここでトリストラムはイゾーデ(イゾルデ)と出会う。ふたりは互いにひかれあう。が、トリストラムの剣の切っ先のこぼれ方がきっかけで、彼がモローントの敵であったことがバレてしまう。でも、トリストラムは許されるんすよ。こんな立派な騎士なんだから寛大に接しようっていうことになって。
●で、コーンウォールに帰ったトリストラムはマーク王にイゾーデっていうラブリーな貴婦人がいるよって話しちゃう。そこで、マーク王はじゃあイゾーデをわが妃に迎えるから、連れてきてくれとトリストラムに命ずる。なな、なんと。しょうがない、トリストラムは騎士だからこれを受け入れる。で、トリストラムはアイルランドからイゾーデを舟で連れてくるわけだけど、ここで出てくるのが侍女のブレングウェイン(ブランゲーネ)だ。ブレングウェインは媚薬を持っている。まちがいが起きてはいけないから、イゾーデとマーク王に飲ませるための薬だ。ところがブレングウェインは粗忽者だったんである。その辺にひょいと媚薬を置きっぱなしにしていたから、のどが渇いたというだけの理由で、イゾーデが半分これを飲んで、残りをトリストラムが飲んでしまう。最後に愛犬がその盃をなめた(という描写があって、えっ、これって愛犬と三つ巴の三角関係に発展するってこと?と一瞬、混乱したのだが、なんの伏線にもなってなかった。だよな)。
●つまり、トリストラムはイゾーデは会った瞬間から惚れ合っていて、媚薬はそれをいっそう強固にしただけなんすよね。イゾーデはマーク王と結婚するので、そこからまたいろいろな物語が展開するのだが、とにかくトリストラムはアーサー王の円卓の騎士の一員となる(このあたりからワーグナーの楽劇とはぜんぜんちがう展開をたどっている)。トリストラムが名誉を授かる一方で、マーク王は嫉妬心と復讐心からトリストラムを襲って殺そうとまでする。マーク王の描かれ方はさんざんだ。トリストラムはランスロットと並ぶほどの無双ぶりで勇名をはせる。
●ワーグナーには「死のうと思って飲んだ薬が媚薬だった」というドラマティックな展開があるが、こちらの話では媚薬なんてあってもなくても話の大筋は変わらない。で、トリストラムはその後、聖杯の探索に出かける。そして「白い手のイゾーデ」と呼ばれる別のイゾーデと出会い、ふたりは結婚する。ところが戦いのさなか、トリストラムは梯子に登ったところで敵の投げた岩が頭にあたって傷つく。ランスロット並みの勇者だったはずのトリストラムだが、なんと、これが致命傷になる。傷がどんどん悪化したところ、かつての記憶をたどってコーンウォールのイゾーデなら治してくれるかもしれないと彼女を呼ぶのだが、「白い手のイゾーデ」の嫉妬心が妨げとなって治療は間に合わず、トリストラムは命を落とす。途方もない敵と戦うのではなく、岩が頭に当たって命運が尽きたというのが印象深い。トリストラムほどの猛者であれば、岩の一撃くらい豆腐の角に頭をぶつけた程度のものだろうと思いきや、そうもいかないらしい。頭、大事。ヘルメット推奨。(→その2へ)
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●METライブビューイング、6月はシュトラウス「ばらの騎士」新演出(ロバート・カーセン、ルネ・フレミング他)。6月12日の東劇では上映前にソプラノの森谷真理さんのトークがあるのだとか。二期会公演で元帥夫人役を歌うということで「ばらの騎士」の魅力、またMET出演時のお話も聴けそう。
LJF2017を振り返る、さらにおかわり、公式本「ダンスと音楽」
●LFJでは昨年から日仏共通オフィシャルブックが発売されている。前回のナチュール 自然と音楽」(エマニュエル・レベル著)に続いて、今回は「ダンスと音楽 躍動のヨーロッパ音楽文化誌」(クレール・パオラッチ著、西久美子訳/アルテスパブリッシング)。これは音楽学者がその年のテーマについて広範な視点から見渡した音楽書であって、プロモーションを兼ねた入門者向けガイドブックなどでは決してない。だから、音楽祭が終わっても本の賞味期限は切れない。ただ、読めば「なぜその曲が今年のプログラムに入っていたか」といったようなことはわかる。帯にある「踊れない音楽はない!」という惹句がなかなか刺激的だが、これは著者の考えを述べたものというよりは、20世紀以降のダンサーや振付師たちが本来舞踊のために書かれていない楽曲までも踊りの音楽に用いるようになったことを引いている。実際、LFJでも以前に勅使河原三郎がシェーンベルク等で踊っていたっけ。
●いくつか興味深かったところをメモ。
●ワーグナーがベートーヴェンの交響曲第7番に対して「舞踏の神格化」と述べた有名な言葉があるけど、その文脈について。前段として、ワーグナーはハイドンの交響曲第82番「熊」終楽章を挙げて、この田舎風のダンスを評価しなかった。これは低級な音楽だって言うんすよね。神格化されていない、ただのダンス。でもベートーヴェンは違う。「ハーモニーを付けられた舞踏は近代の交響曲というもっとも豊かな芸術作品の基礎だ」と説いて、交響曲第7番を「舞踏そのものの神格化」であると讃えている。
●モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の第1幕のフィナーレ、祝宴の場面で「招待客」が社会階層ごとに3つのグループに分かれて、異なるダンスを踊るという話もおもしろかった。つまり貴族階級のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ、ドン・オッターヴィオはメヌエットを踊るけど、村娘ツェルリーナはドン・ジョヴァンニに誘われて一般市民を象徴するコントルダンスを踊る。そして農夫マゼットとドン・ジョヴァンニの従者レポレッロが躍るのは田舎風のドイツ舞曲。こういったニュアンスは今のわたしたちが舞台を見てても、なかなかピンと来ないっすよね。ていうか、ツェルリーナとマゼットの階級差を意識してこのオペラを見たことなんてなかった。
●バッハの「パルティータ」を「フランス組曲」や「イギリス組曲」と並べて「ドイツ組曲」と呼ぶことがある、という話。その理由として、アルマンド、クーラント、サラバンドが対位法的にあつかわれていて、対位法はドイツ的な書法の代表格だから、とされていた。そう、かな。
●ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」について、さらっと「ベラスケスの絵画『マルガリータ王女』にちなむ曲のタイトル」と書いてあった。これは俗説だろうと思ってたんだけど、そうでもないのか。
●あと、ダンスの音楽全般について思ったこととしては、踊りの音楽は案外すぐに踊られなくなる、ってことかな。シャコンヌやパッサカリアであれ、サラバンドやジーグであれ、あるいはポルカやワルツでさえもそう。おおむねどの舞曲も、最初は踊るための音楽だったのが、すぐに踊りの性格が薄れて、聴くための音楽になるという経緯をたどっているのがおもしろい。