●J.G.バラード著の「ハロー、アメリカ」(東京創元社)を読了。かつて「22世紀のコロンブス」(1982年)の題で刊行されていた小説が、ネットフリックスで映像化決定ということで、原題そのままに「ハロー、アメリカ」として復活。これはかなりヘンなテイストの小説だと思う。前衛とコメディの融合とでもいうべきか。
●舞台設定はすこぶる魅力的だ。22世紀の未来、すでにアメリカ合衆国は資源の枯渇と気候変動で崩壊し、無人の砂漠の大陸となっている。一方、ヨーロッパには配給制で人々が静かに暮らす退屈な世界が残っている(いかにも少年時代を上海で過ごしたイギリス人バラードらしいヨーロッパ観)。しかし、そんなヨーロッパからアメリカを目指す若者がいた。イギリスを出港してアメリカを目指す探険隊に密航者として乗り込んだ若者が主人公。それぞれに思惑を持ってマンハッタン島に到着した探検隊のメンバーは、砂漠にアメリカン・ドリームを夢見て、西を目指す。
●夢と狂気は紙一重、滅んだアメリカを西へと旅する人々を描くタッチはバラードの真骨頂。「ハイ-ライズ」で描かれた高層マンションのリッチな住民たちが次第に狂って野蛮になってゆく姿と共通するものがある……と思っていたら、途中から予想外の展開を見せて、シニカルなコメディに変わってしまって唖然。でも、これは笑えるし、ある意味でバラードらしからぬ明るい話ともいえる。バラードの長篇としては70年代の「ハイ-ライズ」や「コンクリート・アイランド」より後、90年代の「楽園への疾走」や「コカイン・ナイト」よりも前。後に書かれる「洗練された終末感」を予告しながら、華やかなパーティを開いてみせたというか。廃墟となったアメリカへ向かう探検隊の船がアポロ号って名付けられているのとか、相当おかしい。
Books: 2018年4月アーカイブ
「ハロー、アメリカ」(J.G.バラード著/東京創元社)
「亡命」の音楽文化誌 (エティエンヌ・バリリエ著、西久美子訳/アルテスパブリッシング)
●今年のラ・フォル・ジュルネTOKYOの日仏共通オフィシャルブック「『亡命』の音楽文化誌」(エティエンヌ・バリリエ著/アルテスパブリッシング)を読んだ。とてもおもしろい。昨年の「ダンスと音楽 躍動のヨーロッパ音楽文化誌」や一昨年の「ナチュール 自然と音楽」と同様に、今回も音楽祭のテーマと連動したテーマで書かれた読み応えのある音楽書。音楽祭の実用的なガイドブックでもなければ初心者向けの入門書でもなく、「亡命」を切り口にした音楽史の本であって、音楽祭が終わった後もまったく価値が減じることのない一冊。でも、これをあらかじめ読んでおけば、LFJをいっそう深く楽しめることはたしか。過去2年の公式本と比べても、今回の本がいちばんリーダビリティが高く、ページをめくる指が止まらない。
●リュリやスカルラッティといったバロック期の「幸せな故郷喪失者」たちから、ショパンやワーグナー、さらに20世紀の数多くの作曲家たちを巡る亡命をキーワードにした作曲家論で、ざっくりとした大枠でいえば、祖国を去った作曲家たちの運命は案外悲劇的なものばかりでもないし、亡命が作風に与える影響というのも不確かなことが多いというあたりが印象的。でもそれ以上に個別の作曲家のエピソードが興味深い。ハリウッドでのシェーンベルクのスピーチにある「私が祖国を追われたのは、神の恩寵です。私は楽園へと追放されたのです!」の一言はなかなか味わい深い。スペインに渡ったスカルラッティが、法的な文書に「ドミンゴ・スカルラッティ」と署名していたこと、アメリカに渡ったクルト・ヴァイルがもう英語でしか話さないと決意し、やがて「英語でしか夢を見なくなった」と誇らしげに述べたこと、シェーンベルクがMGMからパール・バックの映画「大地」の作曲を依頼された際に、あえて5万ドルの報酬をふっかけて断念させたこと(そのくせ映画のためのテーマをいくつか下書きしていたというのがおかしい)等々。アメリカに渡ったラフマニノフがピアニストとして経済的に成功し、多くの同胞たちを助けていたことは知られているが(グラズノフとか)、そのなかにナボコフの名前もあったとは。
●プロコフィエフのストーリーはほかで読んだことのある方もいると思うけど、ソ連に帰国後に外国人である最初の妻が強制労働収容所に送られることになった経緯や、いったんは祖国を離れながら最悪とも思えるタイミングで帰国してしまった事情などを読むにつけ、この人の創作者としてのエゴイストぶりと政治に対する危険なほどの軽視が伝わってくる。彼が「自伝」で描いた自画像と重ね合わせると吉。
●アメリカ楽壇からの無反応ぶりにシェーンベルクがコープランドをスターリン呼ばわりして非難していたというのも相当におかしい。