●ONTOMOに書いた「アルルの女ってだれ? ビゼーの二大傑作『アルルの女』と『カルメン』」の記事の補遺をここに。ドーデが書いた「アルルの女」の原作には2種類のバージョンがある。大元となった短篇は「風車小屋便り」に収められていて、こちらはKindleで簡単に入手できるのだが、拍子抜けするほど話が短い。ビゼーが曲を付けたのは、ドーデ自身が短篇に肉付けして戯曲化した「アルルの女」のほう(主人公の名前も違う。短篇ではジャンだが、戯曲ではフレデリ)。こっちは岩波文庫など複数の翻訳があったのだが、今はどれも入手困難。翻訳も相当に古いので、ぜひとも新訳で復刊してほしいところ。
●短篇になく戯曲にあるサブストーリーに、主人公の弟の存在がある。知能の発達が遅れている弟は「ばか」と呼ばれ、母親から溺愛される主人公とは対照的に、息子の内に数えられていない。主人公の一家は裕福な農家なので、親の期待はすべて長男にかけられている。最後に主人公が自らの命を絶とうというときになって、突然、弟は筋道の通ったことを話し出す。つまり、息子がひとりいなくなったけど、ひとり帰ってくるという物語になっている。この話では三角関係と同時に社会的抑圧がテーマになっていて、「ペレアスとメリザンド」で最後に生まれた赤ん坊がやがて次のメリザンドになることが暗示されるのと同様に、知恵を得た弟がやがて次のフレデリになることをうっすらと予感させる。
Books: 2018年8月アーカイブ
August 17, 2018
「アルルの女」補遺ホイ
August 14, 2018
遭難文学
●ONTOMOのアウトドア特集「自然賛歌を聴きにいきたくなる、電車で行ける300m級の低山3選」でも書いたが、自然が美しいのはそれが本質的に危険だから。自然は人間の弱さについて、なにひとつ斟酌しない。常に全力で襲いかかってくるのが自然であり、ワタシたちは不断の努力で自然の脅威に対抗することで、ほんのわずかな居住可能地帯を保っているに過ぎない。山に魅せられるのは、ジェットコースターに乗ってみたくなる心理といくらか似ていると思う。
●で、そんなスリルを求める気分を読書というもっとも手軽な手段で満たしてくれる「遭難文学」とでもいうべきジャンルがあることに気づいた。ヤマケイ文庫の「ドキュメント生還-山岳遭難からの救出」「ドキュメント 道迷い遭難」(ともに羽根田治著)を続けて読んでみたが、これがめっぽうおもしろい。どちらも山で遭難した者に取材をしているのだが、遭難には本当にいろんな形があるものだと愕然とする。道に迷い、何日もさまよい、食糧が尽き、ケガをして、救助を待つがヘリコプターは通り過ぎる。「迷ったら引き返せ」「遭難したら沢に下るな」。そんなことは百も承知しているはずのベテランたちが、根拠のない楽観によって前に進み、沢に下ってしまう。
●九死に一生を得た人もいれば、そこまでの大事にならずに済んだ人もいるが、ひとつ共通しているのは、全員が生還していること。だって、取材を受けているわけだから。これって、ホラーとかサスペンスを「主人公は最後に絶対に助かる」と知っていて見るのと少し似ている。猛烈に怖いけど、最後は救われることがわかっているから読んでいられる。
●同じ著者による遭難本がほかにもシリーズで何冊も出ているのを見て、さらに買ってしまった。著者の取材力の高さに感嘆する。