●来月末、東京芸術劇場で藤倉大作曲のオペラ「ソラリス」(演奏会形式)が日本初演されるのだが、その前にン十年ぶりにスタニスワフ・レムの原作「ソラリス」(沼野充義訳)を再読。いや、正確には一部は初読でもある。というのも、かつてワタシが読んだのは「ソラリスの陽のもとに」の邦題による飯田規和訳。ところがこれはロシア語からの重訳で、当局からの検閲なども入っていた。現行の沼野充義訳はポーランド語の原書から直接訳されており、ロシア語訳でカットされた部分もぜんぶ訳出されている。しかも、純粋に日本語として読みやすい。レムだけに話の中身は大いに歯ごたえがあり、晦渋なところも一部あるのだが、それだけに日本語訳が読みやすいというのはありがたい。なお、「ソラリス」はタルコフスキーとソダーバーグという著名監督によって二度も映画化されているわけだが、レムの原作はこれらとは別物と言っていい。映画監督が原作に自分のオリジナリティを付与するのは当然だし、もちろん藤倉大のオペラだって原作とは別物であったとしてもいいわけだが、レムが書きたかったことは原作にしかない。
●惑星ソラリスの海が、どうやら海全体でひとつの生命体となっており、知的活動としか思えない営為がそこにあるのにもかかわらず、人間はどうやっても一切のコミュニケーションができず、まったく海を理解できない。「ソラリス」での大きなテーマは、そんな絶望的な他者性にある。海はどうやら人間の精神の奥底を知覚することができる。そして、ソラリスを訪れた科学者の心のなかから、すでに亡くなっている過去の恋人などを「再生」して、ステーションに送り込んでくる。それは人の形をして人の意識を持っているけれど、記憶は限定的で、精巧な張りぼてのような非人間なんである。コミュニケーションの不可能性を描きながら、人間とは何者なのかを問いかける。
●という大筋はおぼろげながら記憶していたのだが、今回新訳で読んで改めて気づいたことをいくつか。まずは(特に序盤で)ホラー小説の体裁をまとっているところ。お約束的な定型をあえて採用している。幽霊屋敷とか山奥の山荘とかと同じように、異星での孤立したステーションがゴシック・ホラーの舞台となりうるのはもっともな話。もうひとつは惑星ソラリスを研究した「ソラリス学」という架空の学問、架空のアカデミアを体系的に詳述していること。そこにあるシニカルなテイストは、同じレムの「泰平ヨン」シリーズを連想させる。レムは引きつった笑いを誘発させる作家であり、その特徴は「ソラリス」にすらあるというのが発見。もうひとつはソラリスの海に対する執拗な描写。ストーリー展開上とくに必要なさそうなものなんだけど、しかしこれをレムは嬉々として書いたはずで、こういう一見退屈な場面が作品に重みをもたらしている。
●もちろん、古びているところもあって、海に対する「X線の照射」みたいなのはどうかと思うし、紙の本とマイクロフィルムがあるけど電子書籍が存在しないみたいなレトロな未来に違和感は残る。でも、1961年に書かれた古典だから。
●ハリーというキャラクターって、はからずも今風のアニメなんかのヒロインを先取りしているような気がする。記憶があいまいで、無垢で、自分の力に無自覚で、でも主人公から一時も離れられなくて、自己犠牲の精神を持っているところとか。本質はぜんぜん違うんだけど。ドヴォルザークの「ルサルカ」とかドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」といったオペラと通じる、一種のセイレーンものとも読めるか、な。
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●ONTOMOの連載「耳たぶで冷やせ」、第6回はクラシック化しつつあるジョン・ウィリアムズ作曲の「スター・ウォーズ」。ご笑覧ください。
Books: 2018年9月アーカイブ
September 21, 2018
「ソラリス」(スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/早川書房)
September 19, 2018
「ロンドン・デイズ」(鴻上尚史著/小学館文庫)
●先日、amazonに勧められるままに買った「ロンドン・デイズ」(鴻上尚史著/小学館文庫)がおもしろすぎて、つい寝る前に一気読みしてしまった。当時39歳の鴻上尚史がロンドンに演劇留学を果たした一年間について綴った一冊。文庫になったのは今年だが、中身は1997年の出来事。すでに日本で演出家として実績十分の著者が、あえてイギリス流の演劇教育を受けようとギルドホール音楽・演劇学校に留学する。そう、よく音楽家のプロフィールで目にするあのギルドホールではないの。この学校を演劇側の留学生の立場から記述した本を読めるとは。最初の登校日のところで「ほとんどは音楽の生徒らしい。ギルドホール音楽・演劇学校は、圧倒的に音楽の生徒が多いのだ」と書いてあって、そうんなだと軽い驚き。
●著者の体当たり的な悪戦苦闘ぶりが描かれているのだが、苦労の大半は「英語が聞き取れない」ことに起因している(しかもその英語が、出身地や出身階級によって激しく違っている)。先生の話がなにを言ってるのかさっぱりわからないんだけど、紙に書かれた指示は理解できるから「ああ、みんな、日常も筆談してくんないかと思う」(あるある)。高度に抽象的な概念を意味する単語は知ってるのに、子供でもわかるような簡単な単語の組み合わせによる日常的な表現がわからない。そんな外国語学習者にありがちな状況が、どうしても英語を母語としている人にはピンと来てもらえなかったというのもよくわかる話。
●いちばんおもしろいのはギルドホールで出会った同級生や先生たちの描写で、それぞれの強烈なパーソナリティが生き生きと伝わってくる。ときには友達同士、ときには役者と演出家の視点で描かれるのが興味深い。