amazon

Books: 2018年12月アーカイブ

December 27, 2018

「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン作/村山早紀 文/ポプラ社)

●ディズニー映画「くるみ割り人形と秘密の王国」が公開されたというのに、ワタシの周囲は映画といえば「ボヘミアン・ラプソディ」の話ばかりで、ぜんぜんディズニー映画の評判が聞こえてこない。クリスマスも過ぎたけど、「くるみ割り人形」ブームは来ないのだろうか。
●で、ディズニー映画は見ていないのだが、先月「ポプラ世界名作童話」として刊行されたばかりの「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン作/村山早紀 文/ポプラ社)を読んでみた。E.T.A.ホフマンの原作については、以前に光文社古典文庫の「くるみ割り人形とねずみの王さま」など、当欄でこれまでにも触れていたと思う。チャイコフスキーのバレエでは主人公の名がクララだが、原作ではマリーだ(ちなみにディズニー映画ではチャイコフスキーに合わせてクララになっている)。バレエでは描かれない、ネズミたちとの対立の歴史や激しいバトルシーンなどがあり、ダークなメルヘン・テイストもあって、原作にはバレエ版にはない奥行きがある。このポプラ世界名作童話版は、児童向けとあって読みやすく、うまく整理されていて、とてもいい。もちろん、原作から省略されている部分はたくさんあって、ぐっと短くなっているのだが、基本的な筋立ては変わっておらず、児童でも理解可能な範囲で原作を尊重しようという姿勢は伝わってくる。
●で、このポプラ世界名作童話版をところどころ光文社古典文庫版と比較しながら読んだので、備忘録として違いをメモしておこう。これは児童向けに本を作る際に、どういうところに手を入れるのかという点でなかなか勉強になる。まずは人の呼び名。光文社古典文庫版では、「上級裁判所顧問官」とか「医事顧問官」という呼び名が頻出する(訳注によれば称号の顧問官とは Rat と記すのだとか!)。これは児童書どころか大人向けの一般書でも、なんのことかわからない言葉で、もちろんポプラ世界名作童話には出てこない。「上級裁判所顧問官のドロセルマイアーさん」は、ただの「ドロッセルマイヤーおじさん」になる。ネズミたちとの前日譚パートで登場する王女「ピルリパット」の名前は「キラキラひめ」になっていた。なるほど。ほかに人名以外にも「グロッケンシュピール」とか「パンタローネ」みたいな、注釈がなければわからないような言葉は、もちろん児童書では使えない。
●もうひとつ気が付いたのは、イエス・キリストへの言及が削られていること。これは日本の児童書としては当然だろう。「イエスさま」が出てきてしまうと、そこで膨大な説明が必要になって、本筋が追えなくなる。ただ、代わりにサンタクロースが出てくるんすよ。これは原作にはないと思うのだが、過去のストーリーを語る部分で、旅の商人について「ひとのすがたをした神さま──サンタクロースだったのかもしれません」という記述があって、微妙にクリスマス成分が強化されている。ホントはサンタクロースは神さまじゃないけど、八百万神前提の日本としては一種の「福の神」という理解はありえるのか。
●あと、マリーが化けネズミをめがけてスリッパ(靴)を投げないんすよ。代わりに、身を挺してくるみ割り人形を守る。主人公から暴力要素を排除するということなのかもしれないけど、ここはマリーも戦ってほしかった。自己犠牲を払うんじゃなく、自ら行動する女の子であってほしい。

December 26, 2018

Kindle Paperwhite のニューモデル

●読書専用端末としてKindle Paperwhiteのニューモデルを導入した。使ってみて納得の快適さ。スマホの画面とは異なり、E Inkディスプレイが使われており、まるで紙のように読みやすい。予想以上に軽いのにも驚いた。画面はモノクロなので、カラフルな雑誌等を読むのには向いていないが、一度の充電で数週間使えるという気楽さは吉。もっとも、スマホに比べると処理速度が遅くてモッサリ感があったりとか、なにかと割り切った設計ではある。しかし読書において不都合はなにもない。高解像度できれい。
●これまで電子書籍を読む際は、スマホやタブレットにAndroid用のKindleアプリをインストールして読んでいたのだが、読書用に持ち歩いていた古いNexus 7を引退させて(粘って使い続けたが、もうバッテリーが限界だ)、代わってKindle Paperwhiteを常用することに。いちばん期待しているのは睡眠前の読書で、眠る前に輝度の高いタブレットの画面で本を読むと、どうも寝つきが悪くなる(気がする)。しかしE Inkディスプレイなら直接目を照らさないフロントライト方式なので、睡眠への影響が軽減されるんじゃないかな、と。まあ、実際のところはやってみないとわからないけど。もちろん、本なんて読まずにさっさと寝るのがいちばんなのはわかっている。でも、長年の習慣なので。
●別にサンタさんからもらったという話ではない。

December 14, 2018

「翻訳地獄へようこそ」(宮脇孝雄著/アルク)

●「バーミンガム市交響楽団」の文字を目にするたびにモヤッとした気分になるのは、おそらくワタシだけではないと思う。若き日のサイモン・ラトルの躍進とともに飛躍的にその名を聞く機会が増えたオーケストラだが、なぜここだけが「バーミンガム市」と呼ばれるのだろうか。イギリスであれどこであれ、日本以外のオーケストラの名前に「市」が付く例があったか、思い出せない。City of Birmingham Symphony Orchestra をそのまま訳したといえばそうなのだが……。
●が、ある日、「翻訳地獄へようこそ」(宮脇孝雄著/アルク)を読んでいて疑問が氷解した。これは翻訳家による上質なエッセイ集で、巷にあふれる珍妙な日本語訳についての実例も豊富に挙げられていて、出版関係者なら背筋が凍ること必至の一冊なのだが、ここで「バーミンガム市交響楽団」の例が小さく取り上げられていた。「小説で知ったイギリスにおけるcityの意味」という章があって、「主教が在任する聖堂のある町をイギリスではcityと呼ぶ」のだとか。バーミンガムにも主教が在任する聖堂がある。だから、ここでのcityを「市」と訳出する必要性はない。この章ではそのcityの意味を正しく把握できずにおかしな訳に至った小説の例が挙げられていて、ついでに「バーミンガム市交響楽団」が出てきた次第。
●この本はとても楽しく読めて、なおかつためになる。誤訳の例はたくさん挙げられていても決して告発の姿勢になっていないところがいい。翻訳書を読んでいて「あれ? なんだかヘンだな」と感じることはよくあると思う。ひどい場合は、日本語なのにまったく意味がわからない文章が出てくる(担当編集者はこれを理解できたのだろうか?……と首をかしげることもたびたび)。ある翻訳小説のこんな一例が挙げられていた。

「あなたはずっと寛大でいてくれましたね。ぼくの大言壮語にも、寛大でいてくれるでしょう?」

一見、日本語としては問題がなさそうだけど、「大言壮語」が引っかかるということで原文にあたると big mouth が出てきた。ここでの正しい意味は「おしゃべり」。ほかの言葉も吟味した結果、正しい解釈はこうなるという。

「きみの負け方は実にいさぎよかった。勝ったぼくを恨んだりしてないよな。それに、よけいなことをぺらぺらしゃべったかもしれないけど、もう忘れてくれ」

なんという明快さ。この引用文だけを見ても場面が目に浮かぶようなわかりやすさがある。同時に翻訳というものがどれだけ難しいか、どれだけ多くの罠が潜んでいるかに戦慄する。
●もうひとつ、この本で膝を全力で叩いた一節があって、それは「文脈で意味合いが変わる "decent" をどう訳すか」の項。decentという言葉には悩まされたことがある。ワタシは日頃英語に接する機会はほとんどないのだが、唯一例外として、イギリス製のPC用ゲーム Championship Manager にとことんハマっていた時期がある。これはフットボール(=サッカー)クラブ・マネージメント・シミュレーション・ゲームとでもいうべきゲームで、実在するクラブのマネージャー(オーナー兼監督)になって、選手を売買したり育成したりできるというもの。日本語版がないので、必死に辞書を引きながらプレイした。ゲーム内で、自分のクラブにいる無名の若手が有名選手に育ったりすると、とてもうれしい。で、たくさんいる無名の若手に対するスカウトの評価を見ると、やたらと decent player と呼ばれる選手が見つかる。辞書によれば、decentとは「きちんとした」「感じのいい」。ワタシはこれを「まずまず見込みのある選手である」と理解して、decentな若手を積極的に試合で起用し、経験を積ませていたのだが、ちっとも能力が伸びてこない。何人もの選手で試したが、だれひとり、トップチームで活躍できないのだ。どんなにがんばっても育たないので、やがてワタシはdecentを「凡庸な」と解するしかなくなった。この本ではdecentについて、ランダムハウス英和辞典にある「非難される点がないといった消極的な意味を持つ」という説明が紹介されたうえで、文脈による訳語の変化が解説されていて、いろいろと腑に落ちる。

このアーカイブについて

このページには、2018年12月以降に書かれたブログ記事のうちBooksカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはBooks: 2018年10月です。

次のアーカイブはBooks: 2019年1月です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。