●テッド・チャンの「息吹」(大森望訳/早川書房)を読む。これはもう信じられないほど完成度の高い短篇集。一作一作が練り上げられた傑作で、読み進めるのがもったいないほど。SFとしてのアイディアのおもしろさと、人間の生き方についての鋭い洞察力があって震える。オバマ前大統領が「大きな問いに向き合い考えさせ、そして人間を感じさせる短篇集」と絶賛するのも納得。
●大雑把に言っていくつかに共通するテーマは「過去と現在/未来」。過去をもし変えられるなら、あるいは知ることができるなら、記憶を正すことができるなら……。冒頭の「商人と錬金術師の門」は千一夜物語の枠組みを借りたタイムトラベルもの。枠物語の再帰性と時間旅行を結びつけるとは、なんて洗練されたアイディアなんだろう。「偽りのない事実、偽りのない気持ち」では、人生のあらゆる瞬間を映像で記録できるようになった(そう突飛な設定ではない)ときの親子関係が描かれる。記憶のあいまいさが失われた時代というか。クリストファー・ノーラン監督の映画を少し連想させる。「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」はAIを育てるという話で、形のないソフトウェアを対象とした疑似的な子育てはどこに行く着くか、という話でもある。どれも扱っているテーマは重いはずなんだけど、読後感がいいのが特徴。ドキッとさせられるのに、イヤな感じがしない。
Books: 2020年2月アーカイブ
February 18, 2020
「息吹」(テッド・チャン著/早川書房)
February 5, 2020
「スパイスとカレー入門」(印度カリー子著)
●思わず買った「おもくない! ふとらない! スパイスとカレー入門」(印度カリー子著/standards)。カレーのレシピがたくさん載っているのだが、一般家庭で作れる程度のレシピで、しかもスパイス・カレーを作り慣れていない人に対しても親切な一冊。個々のレシピに先立って、「作り方のキホン」として、本当にシンプルなチキンカレーの作り方が載っているのが吉。
●これは絶対的な真実だと思ったのは「塩はカレーにとって命」。どんなスパイスを使っていても、味付けは結局のところ塩なので、塩加減が大事。「なんだか物足りないな?と感じたら、それは多くの場合塩不足です」というのは肝に銘じておきたい。あと、対談コーナーで、カレーの楽しみについて「8割は作ることにある。食べることは残りの2割」と断言しているのも説得力大。
●でも、なにがいちばんスゴいかって、著者名が印度カリー子なんすよ! 抜群のインパクト。そんな名前でカレー以外について本を書きたくなったらどうするんだろうとか、(ないけど)実際にお会いすることがあったら「印度さん」と呼べばいいのか「カレー子さん」と呼べばいいのかとか、つい余計なことを考えてしまうのだが、著者プロフィールを見ると東大大学院で食品科学の観点から香辛料を研究中と書いてあって、なおかつメディアで大活躍中の方だったのだ。
●クラシック音楽業界にも印度カリー子に匹敵する筆名があっていいかもしれない。音楽評論家・独逸クラ夫くらいの思い切りで。あるいは荒栗紺鰤雄(あらぐり・こんぶりお)大先生でもいいのか、ベートーヴェン・イヤーだし。