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Books: 2021年10月アーカイブ

October 27, 2021

「翻訳教室」(柴田元幸著/朝日文庫) その2

先日ご紹介した翻訳教室」(柴田元幸著)の話をもう少し。東大文学部での翻訳演習の講義をほぼそのまま収録したというこの本、途中の回でゲストに村上春樹が登場したり(すごっ!)、村上春樹の英訳者であるジェイ・ルービンが招かれるといった驚きの展開がある。ジェイ・ルービンの回で印象的だったのは「翻訳は廃り物」という指摘。本質的に原文よりも早く廃れてしまうものだという。これは本当に納得で、昨今の新訳ブームは必然。古典は原作が古びなくても翻訳は古びるものなので、どこかで新訳が欲しくなる。自分はよくオペラの演出って翻訳に似ているなと感じる。作品本体は古びなくても演出はどんどん古びる。
●村上春樹の「正しい理解は誤解の総体」という話もおもしろかった。同様の趣旨のことを過去にも大勢の人が語っていると思うけど、「正しい理解ばっかりだったとしたら、本当に正しい理解って立ち上がらない。誤解によって立ち上がる」という話を、さんざん誤解、誤読されてきた人が言うと迫力がある。
●で、本筋の講義からぜひ心に留めておきたいと思ったところをいくつか。まずヘミングウェイの In Our Time の章から、すごくシンプルな一文。

And he never told anybody.

これに対応する学生訳が2つ挙げられていて、「そして彼がその話をすることは決してなかった」と「その後も決して誰にも話すことはなかった」。それに対して柴田先生が指摘するのは、never を「決して」と訳すとつまずくということ。neverと「決して」はぜんぜん違うし、neverを「決して」と訳すことはほとんどない、と。教師訳は「そのあと誰にも言わなかった」。このあたりの説明はためになる。
●ほかに細かいことだけけど、リチャード・ブローティガンの Pacific Radio Fire の章であった door。「ドア」と訳してもいいけど、「玄関」と訳していい場合が多いという実践的な話。家のなかにドアはたくさんあるけど、the doorといったら普通は玄関のドアである、と。あと、レベッカ・ブラウンの Heaven の章で出てくる old lady。マーク・トウェインなんかで「老婦人」とか訳されがちだけど、ぴったりの日本語は「おばさん」。
●クラシック音楽ファンが大好きな「ウ濁」の話題もあった。柴田先生は日本語に定着している語はなるべく「ヴ」を避ける派。たとえばベトナムを「ヴェトナム」とか書くのはナンセンスだというわけ。そもそも原音は「ヴィエトナム」に近いわけだし。同様にビタミンを「ヴィタミン」にしてしまうと、英語は「ヴァイタミン」なんだからおかしなことになってしまう。なるほどなー、やっぱり「ウ濁」にこだわると妙なことになるよなー、とは思う。ワタシだって「ヴァレーボールのサーヴ権」とか「ヴェテラン家政婦による家事代行サーヴィス」とか「レヴェルが高い」とか、日本語として珍妙だとは思う。と言いつつ、どうしても「ヴァイオリン」って書いちゃうんだけど。

October 19, 2021

フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」

●6月発売の雑誌を今頃になって買う。フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」。J2がおもしろいというのは自分にとってあまりに当然のことなのだが、そのおもしろさの源泉を言語化しているのがこの特集記事。J2クラブを応援している人はもちろんのこと、あらゆるサッカーファンにとって興味深い内容になっていると思う。というのもJ2では多くのクラブが非常に戦術的なサッカーを展開しており、哲学の違いがはっきりと現れているから。現代サッカー界の二大潮流としてポジショナルプレーとストーミングがよく挙げられるが、それらがJ2にも浸透している様子が伝わってくる。
●巻頭のインタビューは、ポジショナルプレーの勝利者、アルビレックス新潟のアルベルト監督。長くカウンターサッカーを主体とした新潟に、まったく異なるチームスタイルを定着させ、チームを躍進に導いた。この取材時と比べると今の新潟は順位を落としているかもしれないが(現在5位:J2順位表)、それでも新潟サポは以前よりがぜん試合観戦が楽しくなっているはず。マリノスにポステコグルー前監督がやってきたときと少し似ている。
●が、それ以上に目をひくのはブラウブリッツ秋田。「秋田から吹く熱風 ノーザンストーミングフットボールの正体」と題した記事で、秋田の吉田謙監督に取材している。秋田はJ3でボール支配率最下位、パス成功率最下位を記録しながら圧倒的な強さで優勝し、J2に昇格した。そして、J2でも同じような戦い方でリーグ中位に留まる大健闘を見せている。ワタシも大宮対秋田戦をスタジアムで観戦した際、秋田の選手たちのフィジカルの強さ、ムキムキの筋肉には目を見張った。「ノーザンストーミングフットボール」とはうまいことを言うなと思ったが、激しいプレスでボールを狩り、奪ったらゴールに一直線に向かう。ポゼッションなど一切気にしていない。しかも吉田監督の言葉づかいがまったく独特で、気取った戦術用語などまるで使わず、むしろ部活サッカー的な香りが漂っている。「球際」ではなく「魂際」、「プレスをかけろ」ではなく「噛みつけ」、チームのモットーは「寄せる距離は仲間を裏切らない」。「礼儀正しさは最高の攻撃力」という吉田語録もサッカーの話なんだか、社会人としてのあり方なんだかよくわからないが説得力がある。新潟と秋田ではこれが同じ競技なのかと思うほど違った戦い方をしているが、どちらも結果につながっているのがサッカーのおもしろさ。

October 12, 2021

「ショパンゾンビ・コンテスタント」

●さて、現在ショパン・コンクールが開催中ということで連日ショパン漬けになっている方も多いのではないかと思うが、そこでふと思い出すのがあの小説だ。芥川賞作家の町屋良平著「ショパンゾンビ・コンテスタント」(新潮社)。以前、当欄にて「ゾンビとわたし その40」で取り上げたように、これは音大のピアノ科に入学した若者が大学を辞め、小説を書こうとするも煮え切らない日々を送るという青春小説だ。ショパンばかりを聴いていて気分転換をしたくなったという方にぴったり。登場人物がYouTubeで2015年のショパン・コンクールを眺めている場面が出てきて、ケイト・リュウとかエリック・ルーの名前も登場する。ひとつ大誤算だったのは、肝心のゾンビが出てこないということなのだがっ!
●てっきりワルシャワの聖十字架教会に眠るショパンの心臓から、ゾンビ化したショパンが甦って大暴れする話だと思ったのに……。ショパン本人がショパン・コンクールにエントリーしてどこまで進めるか、みたいな展開はない。

October 6, 2021

フォークナーの「納屋は燃える」

●少し前にフォークナーの「響きと怒り」、そして映画「バーニング 劇場版」とフォークナー「響きと怒り」について書いた。で、イ・チャンドン監督の映画「バーニング 劇場版」の原作は村上春樹の短篇「納屋を焼く」なんだけど、もうひとつの参照元かもしれないフォークナーの短編「納屋は燃える」も読んでみた(新潮文庫「フォークナー短篇集」所収)。
●こちらも他のフォークナー作品と同様にアメリカ南部が舞台で、放火癖のある暴力的な父親と、その息子の物語が描かれる。「響きと怒り」は立派な屋敷に住む白人とそこで仕える黒人たちの物語だったが、「納屋は燃える」の父親は白人労働者で、仕事を求めて家から家へと一家で渡り歩いている。住み込みで農作業を手伝うのだが、雇われ先でケチな嫌がらせみたいなことをした挙句、納屋に火をつけてはヨソの土地に去っていく。息子はそれをいけないことだと知っているのだが、子供には父親という絶対権力に背く術がない。ざっくり言えば、父親という圧政からの独立がテーマ。映画「バーニング 劇場版」と直接的な結びつきはないにせよ、暴力で裁判沙汰になっている主人公の父親像などは、このフォークナーの世界と通じる部分があるのかも。

October 1, 2021

「翻訳教室」(柴田元幸著/朝日文庫)

●これは新刊ではなく、ずいぶん前に出た本なのだが、最近少しずつ「翻訳教室」(柴田元幸著)を読み進めている。中身は東大文学部での翻訳演習の講義をほとんどそのまま収めたもので、毎回、課題文が配布されて学生全員が訳文を提出し、だれか学生の訳文例をもとに、他の学生や教師が疑問や改善案をぶつけ合うスタイルの講義。学生側から意見が活発に出ていて、その内容もかなり高度だと感じる。そして、それに対する柴田氏の回答に目からウロコが落ちまくる。プロの翻訳ってこんなにも一語一語を疎かにしないんだ、ここまで原文を読み込みながら訳語を選んでいるのだと感動する。正確でありながら日本語として自然であるというのは大前提で、その一段上のレベルの話。
●で、とてもためになったことを3つほど書き留めておく。まず「英語の語順で訳すほうがいいという大原則」について。これはいろんな人が言っている翻訳の基本だとは思うのだが(もちろん例外もいくらでもある)、その実例を見ると、どうすればいいのか、なぜそうなのかが腑に落ちる。たとえばレイモンド・カーヴァーにある一文。

He was in the bedroom pushing clothes into a suitcase when she came to the door.

これに対する学生訳の例が、「彼女がドアの所までやってきたとき、彼は寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいるところだった」となっている。受験英語だったらみんなwhen~を先に出して「~したとき」で始めるので正解だと思うけど、これに対して別の学生から語順通りに訳すべきだと指摘が入る。で、柴田先生が同意して、こういう訳文に直す。「彼が寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいると、彼女がドアの所までやってきた」。なるほど、そうだよなあと思うじゃないっすか。こちらが自然だし、本質的に原文に忠実だと思える。詳しい解説は本書参照で。
●ふたつめは、And~ と But~。バリー・ユアグローの一文で、ここは前後の文脈がないとピンと来ない話だとは思うんだけど、Andを「しかし」と訳すといい場合がしばしばあるという話。原文はこう。

And the carp flit about, swishing their tails, blinking grimly at the scene.

学生訳は「しかし鯉はすいすいと泳ぎ回っている。尾鰭を軽く振り、人間の演ずる一幕をまばたきしながら冷ややかに眺めている」。前の文がないとどうしてこういう訳なのかわからないとは思うが、とにかくAndを「しかし」と訳している。これに対して柴田先生は素直に感心している。柴田訳は「そして」なんだけど、学生の「しかし」を讃えているのだ。別の場所で、Butを「そして」と訳したほうがうまくいくケースがあるという話も出てきて、これもよくわかる話だと思った。普通の日本語の文章であっても「そして」と「しかし」が置換可能な場面は意外とあると思う。
●三つめはシンプルに単語の意味なんだけど、hurt。これもレイモンド・カーヴァーに出てくる文で、赤ん坊を父親と母親でひっぱって奪い合う場面で、You're hurting the baby という一節が出てくる。これは優秀な学生たちでもほとんどがまちがえてしまった文で、「赤ん坊が怪我するわ」みたいに訳している。柴田先生によればそれは単純な誤訳のレベルで、ここでのhurtは「痛い」「痛くさせる」の意。だから「赤ん坊が痛がってるでしょう」というのが正解。よく考えてみれば父親と母親で赤ん坊を引っ張り合っている場面で「怪我する」なんて日本語表現は出てこないので、なにかおかしいと感じるべきなんだろうけど、なかなか「痛がってるでしょう」は出てこない。ちなみに、注射をするときに「痛い?」と聞くときは Does it hurt? と言うんだとか。
●まだ冒頭の4分の1くらいしか読んでいないけどこの調子。自分の語学力の低さゆえでもあるのだが、かなり歯ごたえがあり、平伏しながら読んでいる。

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