●(承前)たまたま読んでいた2冊の本でともにジョン・チーヴァーの短篇集が言及されていた偶然から「これは今読めということでは?」と思い、「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)を読んでみた。全20篇に訳者である村上春樹の前書き付という親切仕様。ナボコフ絶賛の「カントリー・ハズバンド」をはじめ、どれもおもしろい。多くの作品は「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載されており、ニューヨーク近郊の高級住宅地を舞台としている(家にプールがあって、使用人がいて、近隣住民同士がパーティに招きあうような土地)。だけど、焦点が当たっているのはそんな恵まれた階層からこぼれ落ちていく人々。ステキな生活にしっくりとなじんでいるようでいて、その内実は案外と危うく、脆いもの。どれもそこそこ苦味があって、少し手厳しすぎるんじゃないかなと思わなくもない。それでも気に入った作品はくりかえし読みたくなるのだが。
●表題作となっているのは「巨大なラジオ」と「泳ぐ人」で、この2作はほかと少し作風が違って、リアリズムから逸脱している。「巨大なラジオ」では、高級アパートメントに住む一家が旧式のラジオを最新式の巨大なラジオに買い替える。最初、ラジオからは大音量でピアノ五重奏曲が聞こえてくるが、やがて人の話し声が混入するようになる。どうやらそれはアパートメントの他の住人たちの会話のようなのだ。表には見えないそれぞれの一家の事情がラジオから聞こえてくる……といった少しP.K.ディック的な設定。
●小説としてよりおもしろいのは「泳ぐ人」で、こちらは主人公が高級住宅地の各家庭にあるプールの連なりをひとつの水脈と見立てて、これを泳いで自宅まで帰ろうとする。招かれた他人の家のプールを出発点として、頭に地図を描き、まずは〇〇家のプール、次に××家のプールというようにプールを泳いでいけば、水着でそのまま家に帰れるともくろむ。自分の奇抜な発想に満足して、意気揚々と知人たちのプールを泳ぐ主人公。どこの家でも似たようなパーティが開かれており、水着で現れた突然の来訪者を歓迎してくれる……。しかしプール水脈を進むにつれて、様子が変わり、異なる現実が見えてくる。この短篇集から一本を選ぶならこれ。
●忘れがたい味わいを残すのは初期に書かれた「ぼくの弟」。成人した四人兄妹が、夏の休暇で母親のもとにそれぞれの家族を連れて帰省する。久しぶりに兄妹が勢ぞろいすることを主人公は喜んでいるのだが、気になるのは弁護士の末弟。この弟はファミリーの中で異質なキャラクターを持っており、旧交を温めているうちに、主人公のみならず母親もみんな彼のことを「好きじゃない」ことを思い出す。みんなが打ち解けて休暇を楽しもうとしているのに、この弟はいちいち棘のある言い方をし、酒も飲まず、ボードゲームにも参加せず、他愛のないことに興じるファミリーを冷ややかな目で見つめる。楽しい仮装パーティにも普段着にやってきて陰気な顔をしている。腕のいい料理人に向かって安月給で働きすぎだと憐れんで相手を怒らせる。貴重な休暇を過ごしているのに、だんだんみんなこの弟に対する悪意を抑えられなくなってくる。主人公は思う。夏の野原に建つ農家を自分は美しい光景だと思って眺めているが、弟はそこに土地の衰退を見て取っているだろう。そんなふうに弟のネガティブな物の見方を自分の内面にありありと再現する。読み進めるうちに、その弟とは主人公自身の内なるもうひとつのエゴなのではないかと思い当たる。傑作。
Books: 2022年6月アーカイブ
「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)
オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)
●なるほど、こういう手があったのかと腑に落ちたのが「オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 サロメ」(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)。オペラの対訳と分析が一体となったハンドブック。見開きの左のページが対訳、右のページが該当箇所についての音楽面の解説(譜例もたくさん入る)になっている。オペラの質の高い対訳ってファンにとってマストアイテムだと思うんだけど、やっぱり対訳だけだと本としての商品性がもうひとつ(紙だと検索できないし)。かといって対訳に解説がたくさん付いて厚い研究書になってしまうと実用面での軽快さに欠けてしまう。そのあたりのバランスが考え抜かれていて、ハンドブックとしての扱いやすさと専門性を両立しているのが大吉。訳者・著者はおなじみ広瀬大介さん。言うことなし。
●いかにもシリーズっぽい雰囲気なんだけど、「第1巻」みたいな表示はどこにもない。続きはあるんだろうか。ひとつ要望があるとすれば、このままの判型で文字の大きさをもう1ポイント大きくできたら最高なのだが!(←老眼)
「本当の翻訳の話をしよう 増補版」(村上春樹、柴田元幸著/新潮文庫)
●積読状態になっていた「本当の翻訳の話をしよう 増補版」(村上春樹、柴田元幸著/新潮文庫)を読む。実はこの本の内容をワタシは勘違いしていて、以前にここでご紹介した「翻訳教室」(柴田元幸著)みたいな翻訳技術についての本だと思い込んで買ってしまったんである。が、中身は主に翻訳小説についての対談だった。それでもとてもおもしろく、ためになったのでなんの問題もない。ここで取り上げられている小説を読みたくなってくる。
●なるほどと思った村上春樹の言葉。「翻訳のコツは2回読ませないことで、わからなくて遡って読ませるようじゃ駄目だと僕は思っていて、2回読ませないということを一番の目的にして訳しているところはある」。世の翻訳書には2回どころか、何回読んでも意味がつかめないものもあるわけで、読む側としてはありがたい話。
●あとカーヴァーに「アラスカに何があるというのか?」という小説があると知って、あ、村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」はそこから来てたのか!と今頃気づいた。
●で、この本を読んで、いちばん気になったのはジョン・チーヴァー「巨大なラジオ/泳ぐ人」をめぐる章で、この短篇集はぜひ読んでおこうと思った。ところが思っただけで、しばらく放っておいたのだが、たまたま若島正著「乱視読者の英米短篇講義」のKindle版がセールになっていたのを見かけて、あわてて購入した。すると、この本でもジョン・チーヴァーについてかなり力の入った紹介がされていて、なかでも「郊外族の夫」をナボコフが傑作短篇ナンバーワンに選んでいるというのではないの。なんというシンクロニシティ。これはもうチーヴァーを読むしかない。短篇集「巨大なラジオ/泳ぐ人」では、「郊外族の夫」は「カントリー・ハズバンド」の訳題で収められていた。この話、飛行機の緊急着陸という大騒動で始まるのに、そんな事件があっさりと日常に回収されるという風変わりなエピソードが冒頭に置かれていて、どうやらそれが話の本筋と相似形をなしている。(つづく、かも)