●ガルシア・マルケスの中短篇10篇を年代順に並べた新訳アンソロジー「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」を読む。大半の作品は過去に読んでいるはずだが、せっかく文庫で出たので買ってみた。そもそも何十年も前に読んだ作品が多く、中身はかなり忘れているわけで。最初の一篇が名高い「大佐に手紙は来ない」。この中篇を始め、初期作はどれもリアリズムにもとづき、ラテンアメリカのやるせない現実が描かれている。後味は苦い。それが後の作品になると「巨大な翼をもつひどく年老いた男」や「エレンディラ」のように、魔術的リアリズムや神話的な要素が目立ってくる。「百年の孤独」のガルシア・マルケスは後半にいるわけだが、中短篇に限って言えば前半のほうがより味わい深い。
●「大佐に手紙は来ない」で、なんの手紙を待っているかといえば、退役軍人への恩給の支給開始を知らせる手紙。老いた主人公はかつての革命の闘士。今は妻とともに体の不調を耐えながら極貧の暮らしを送っている。家にある売れるものはすっかり売ってしまい、残るは亡き息子が残した軍鶏のみ。軍鶏の餌にもらったトウモロコシを粥にして食べるほどの窮状だが、大佐は必ず恩給がもらえるはずと信じて、毎週金曜日になると郵便局に手紙を受け取りに行く。もちろん、大佐に手紙は来ない。大佐は一本筋を通した生き方をしてきたにちがいない。そして、とうに世の中から忘れ去れているのだ。
●とても短い話だけど「ついにその日が」も忘れがたい。歯医者小説の傑作。ある日、横柄な町長が親知らずを抜いてくれと訪ねてくる。よほどの痛みに耐えかねた様子。だが、この町長はかつて歯科医の同志20人の命を奪った仇敵。歯科医は「化膿しているから」といって麻酔をせずに歯を抜く。淡々とした筆致がよい。
●一本だけ選ぶなら「この町に泥棒はいない」。無謀でマッチョな若者が出来心から町のビリヤード場に盗みに入る。しかし金目のものはなく、ボール3個だけを盗む。犯人としてよそ者の黒人が捕まる。だって、この町に泥棒はいないから。主人公の転落が描かれているのだが、弱い者は弱さゆえに愚かさから逃れられず、強い者はそれを見逃さない。町に立ち込めるヒリヒリした空気が伝わってくる。
Books: 2022年9月アーカイブ
「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」(ガブリエル・ガルシア=マルケス著/野谷文昭訳/河出文庫)
「マリス・ヤンソンス すべては音楽のために」(マルクス・ティール著/小山田豊訳/春秋社)
●ヤンソンスが卓越した指揮者であることはまちがいない。でもエゴを押し出すタイプの人ではないし、あちこちで物議をかもす人でもない。だから、ヤンソンスの音楽はともかく、ヤンソンスの評伝はそんなにおもしろくはならないんじゃないか……と先入観を持ちながら読みはじめたら、これがずいぶんとおもしろいんである。「マリス・ヤンソンス すべては音楽のために」(春秋社)はマルクス・ティールというドイツの音楽ジャーナリストが書いた評伝で、生前のヤンソンス本人から承諾を得ているそう。この本のおもしろさはかなりのところ著者の驚異的な取材力と筆力に拠っている(それと滑らかな訳文も)。
●この本の前半は知られざるヤンソンス、後半はみんなが知っているヤンソンス。よりおもしろいのは前半。レニングラード・フィルの話とか、オスロ・フィルとの初期の関係、それと意外だったのはBBCウェールズ交響楽団との強い結びつき。毎年4週間の客演を4年間という契約だったそうだけど、特にタイトルはなかったのかな……。このオーケストラでのチャイコフスキーの交響曲全集の録音が、ヤンソンスのキャリアにおけるもっとも重要な企画のひとつになったという。さらにベートーヴェンの交響曲全曲の映像を収録して注目を浴び、ロンドンに活躍の場を広げる。BBCウェールズ交響楽団とはソ連の各都市を巡るツアーにも出かけるんだけど、レニングラード公演だけは首席指揮者の尾高忠明が指揮台に立った。なぜかというと、ヤンソンスはレニングラードに住居があり、ソ連当局の規定で自分の街で外国のオーケストラを指揮するのは禁じられていたから。尾高忠明がヤンソンスの家に泊めてもらったという話も載っている。
●ピッツバーグ交響楽団の首席指揮者時代の話も知らないことばかり。ヤンソンスはその後のバイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の兼任時代の印象が強すぎて、彼にピッツバーグ時代があったことを忘れがち。で、偶然ではあるけど、ヤンソンスはピッツバーグでもバイエルン放送交響楽団でもマゼールの後を継いだことになるんすよね。マゼールとヤンソンスはまったく対照的なキャラなので、この本ではどうしてもマゼールは悪役に描かれてしまう(才能はすごいけどエゴが……みたいなトーン)。ヤンソンスは楽員と信頼関係を結び、敬愛される。ワタシはマゼールの音楽のほうがずっと好きなんだけど、その通りだろうなあと頷きながら読んでしまった。
●後半ではベルリン・フィルのシェフ選びの話題も出てくる。著者が新しいシェフの選任をコンクラーベにたとえているのが、日本のファンと同じでおかしい。ヤンソンス側の視点からすると、自分がOKすればベルリン・フィルはすぐに受け入れてくれただろうけど、バイエルン放送交響楽団を見捨てることはできなかったという話。このあたりも興味深い話がいくつも記されている。