●最近読んだ食に関する本を2冊。どちらも秀逸。
●まずは「台所をひらく~料理の『こうあるべき』から自分をほどくヒント集」(白央篤司著/大和書房)。フードライターの著者が日々の炊事について記すエッセイ&レシピ集。というか、エッセイが主で、レシピは従。このエッセイ部分が本当に共感しかない。料理の本であるにもかかわらず、基本姿勢として「料理は好きだけど、でもやっぱりしんどい日も多いよね」といううっすらとした倦んだ気分が随所に漂っていて、そのリアリティが最高だと思った。そう、日々の生活のための料理とはそんなもの。レシピでいいなと思ったのは、目玉焼き丼。なんでこれを気づかなかったのか。なんというか、料理以前の「名もなき料理」みたいなのが、仕事の合間にささっと作る食事の基本だと思う。そこには「手抜き」と「超手抜き」以外のメニューに居場所はない。あと、「作る」より「片付ける」なんすよね、手をかけたくないのは。特に昼時は仕事に戻る前に労働をあまりしたくないので。
●もう一冊は「おいしいものでできている」(稲田俊輔著/リトル・モア)。料理人であり飲食店プロデューサーである著者の名は、よくSNSでも見かける。インドカレーなど、レシピ集も評判。この一冊は食についてのエッセイ集で、どれもこれも実におもしろい。文が巧み。薄いサンドイッチ、缶詰のホワイトアスパラガス、嫌いなカツカレー、本物のコンソメスープなど、話題は多岐にわたる。同じ著者の別のレシピ本にもあったが、著者はしばしばミニマリスト的な視点から、料理を簡潔化して、その本質がどこにあるかを探ろうとする。この本では「麻婆豆腐の本質」がそれ。ルーツに遡ったミニマル麻婆豆腐のレシピには、豆板醤も甜麺醤も出てこない。水溶き片栗粉も花椒も使われていない。味付けは一味唐辛子と黒胡椒、醤油、ニンニク、塩のみ。それは本当に麻婆豆腐なのかと思うけど、簡単でおいしければそれでいい。
Books: 2023年6月アーカイブ
「台所をひらく」(白央篤司著/大和書房)と「おいしいものでできている」(稲田俊輔著/リトル・モア)
オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 エレクトラ(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)
●先月、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の「エレクトラ」を聴いた際、会場で飛ぶように売れていたのがこの一冊。「オペラ対訳×分析ハンドブック リヒャルト・シュトラウス 楽劇 エレクトラ」(広瀬大介訳・著/アルテスパブリッシング)。前作「サロメ」に続くシリーズ第2弾がめでたく発売。オペラの対訳と分析が一体となったハンドブックで、見開きの左ページが対訳、右ページが音楽面の解説という構成になっている。そして、前作は絶望的なほど文字が小さかったが(←老眼)、今作は少し大きくなっている。それでも小さいけど。でもこの一歩は大きな違い。ありがたし。
●この本のすばらしいところは、オペラの対訳として実用性があって、なおかつ研究書として専門性があって、それに加えて本としておもしろく読める、っていう「一粒で三度おいしい」ところ。広瀬さんの解説はいろんな角度からためになると思うけど、慣習的なカットの問題ひとつとっても有益。この部分があるとないとじゃ、ずいぶん物語の印象が違ってくるなということが腑に落ちる(カットにはきっと実演上の切実な理由があるにせよ)。
●あと、音楽抜きで純粋に台本だけを読んでいると、エレクトラの怪女っぷりが一段と強烈に感じる。現実のオペラ歌手より、もっと汚く醜いイメージが浮かび上がる。一方、「結婚して子供を産みたい」と場違いなほど平凡な願いを抱く妹クリソテミスのキャラも際立っている。終盤、オレストが死んだという誤報を受け取って、わたしたちが事を成就しなければとエレクトラが懸命にクリソテミスを説得する場面がなんとも味わい深い。妹よ、いっしょにあいつらをやればきっと結婚できるよ~みたいな姉妹の会話。尋常じゃないけど、実はどこにでもあるホームドラマなのかも。
「辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿」(莫理斯=トレヴァー・モリス著/文藝春秋)
●最近読んだ小説で秀逸だなと思ったのが、莫理斯(トレヴァー・モリス)の「辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿」(舩山むつみ訳/文藝春秋) 。シャーロック・ホームズのパスティーシュなのだが、舞台が香港なのだ。時代は原作そのまま。大英帝国の東の果ての植民地で、ホームズ役の福邇(フー・アル)とワトソン役の華笙(ホア・ション)がさまざまな事件に向き合う。移動は馬車ではなく、人力車だ。福邇はアヘンを吸う、ホームズと同じように。物語を通して伝わってくる当時の香港の様子がおもしろい。西洋人もいれば中国人もいて、英語、北京官話、広東語などいくつもの言語が飛び交っている。実在の人物も登場し、歴史小説的な味わいもある。
●で、全6話が収められており、それぞれが原作の「ボヘミアの醜聞」「ギリシャ語通訳」「赤毛連盟」だったりを下敷きにしているのだが、どれも原作から一ひねりしてあって新味がある。舞台が香港であることがうまく生かされている。
●ところで原作のホームズはヴァイオリンの名手であり、ストラディヴァリウスを所有していることになっているのだが(参照:シャーロック・ホームズの音楽帳その1)、こちらの福邇はヴァイオリンではなく胡琴を弾く。で、福邇が胡琴で一曲披露する場面があって、曲は「3、40年前にドイツのある有名な作曲家がヴァイオリンのために書いた曲」であり、「ほかの楽器と合奏する部分もあるが、そこは省略した」という。曲名も作曲者も明言されていないものの、物語の舞台は1880年代前半となっていることから、訳者はこの曲をメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と推定している。演奏を聴いた華笙が「その旋律は行く雲、流れる水のようによどみなく、ときには泣くが如く、恨むが如く、人の心を震わせる」と言っているので、なるほど、それはメンデルスゾーンしか思いつかない。
HIPであること、「LAフード・ダイアリー」(三浦哲哉著/講談社)
●クラシック音楽の世界でHIPといえば、Historically Informed Performanceの略。作曲当時の楽器や奏法を研究し尊重することで、古楽を20世紀以降の演奏慣習から解き放ち、作品を本来あるべき姿でとらえ直そうとする。「オーセンティックな」という主張の強い言い方に比べると、客観的で謙虚さが感じられる表現だと思う。だれが最初にこの言い方を始めたのかは知らないのだが、もちろんこの略号には言葉本来の意味で「hip」である、つまり「カッコいい」「流行の」というニュアンスを含んでいるのだろう。そこにはこれらピリオド・スタイルの演奏はおおむね斬新で刺激的だという含意があったはず。もしかすると先に「hip」という言葉があって、そこにHistorically Informed Performanceという言葉をあてはめたのかもしれない……。
●というのが、つい先日までの自分の漠然とした理解だった。が、アメリカの食文化について書かれた本を読んでいて、目から鱗が落ちたので、以下に記しておく。読んだのは「LAフード・ダイアリー」(三浦哲哉著/講談社)。まずこれが本としてめっぽうおもしろい。映画研究者で食文化に造詣の深い著者がLAに住み、最初はその異次元の食文化に衝撃を受けるが、恐ろしく多様性に富んだ現地のレストランで食べ歩きを敢行することで、LAにおける美食の価値観への理解を深めてゆく。そんな食のエッセイでもあり、都市文化論でもある。
●で、目をみはったのは、「ヴェニスの『ヒップな』食」と小見出しが打たれた一節。ヴェニスというのはイタリアではなくLAの一地区の名なのだが、ヘルシー&オーガニック志向の店が並ぶ通りにあるジェリーナという人気レストランを訪れるくだりがある。このお店を訪れると、店内がおしゃれであるばかりか、客も「ファッション・ピープル風」の率が異様に高い。料理の味と客のかっこよさがどう関係しているのか。そこで、著者はジョン・リーランド著「ヒップ──アメリカにおけるかっこよさの系譜学」を思い起こし、こう述べる。
リーランドは、アメリカにおけるポップカルチャー、とりわけカウンターカルチャーにおいて、「ヒップ」(=かっこよさ)と呼ばれる価値の内実がどのようなものかを系譜学的に辿りつつ解き明かす。まず指摘されるのは、「ヒップ」の語が、もともと西アフリカのウォロフ語において「見る」を意味する言葉「へピ(hepi)」ないし「目を開く」を意味する「ヒピ(hipi)」だった事実である。「ヒップ」は、「見る」こと、さらに敷衍して「知ること」、「知識を持つこと」をも意味した。あえて英語の外の、謎めいた響きを持つ語が用いられていることがポイントだ。「ヒップ」はそれ自体、隠語である。つまり「ヒップ」であることとは、ただ単に知識を持つということではなく、隠された秘密の知識を持つことを指す。それが、かっこいいのだ。
なんだか音楽の世界に近い話になってるぞ、と思う。ヒップ、それは隠された秘密の知識を持つこと。そして、高級レストランはヒップには該当せず、エスタブリッシュメント層にはわからない猥雑なメニューをそろえる店こそヒップだという。ヒップの語源が西アフリカというのも驚き。
●さらに著者は高級オーガニック・スーパーで「ほとんど疑似科学というかオカルトめいた、あやしい健康食品」をせっせと買い込む高感度そうな買い物客たちについても、リーランドのヒップ論が理解を助けると指摘する。
規格化された合理的大量生産品の行き渡るアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを当然視する世の風潮に抗って、自分たちだけが、忘れられた太古の言語を学び直している──そのスタンスこそが「ヒップ」である。もちろん極めてまっとうな科学的知見にもとづいて食をめぐる実践に身を投じる方も多くいるだろうが、しかし、オーガニック・ライフスタイルが、しばしば秘教的なものといともたやすく結びついてしまうのは偶然ではないのだ。
●忘れられたいにしえの言語を学び直すのがヒップ。わわ、本当にHistorically Informed Performanceの話をしているみたいではないの。ドキドキしながら読んでしまった。規格化された大量生産品に抗うという姿勢もどこか一脈通じている。
●ちなみに本書には著者の公開レクチャーを掲載した「映画と牛の関係について」という章があって、これがまためちゃくちゃおもしろい。映画と食の関係について「牛」をキーワードに論ずるのだが、あまりに展開が鮮やかで感嘆せずにはいられない。