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Books: 2024年8月アーカイブ

August 28, 2024

「バリ山行」(松永K三蔵)

●松本往復のあずさでたっぷり時間があったので、ハイカーたちが大勢いる車内にふさわしい一冊を読んでみた、第171回芥川賞受賞作、「バリ山行」(松永K三蔵著/講談社)。これは傑作。帯に「純文山岳小説」とあるが、もっと言えば「低山ハイキング小説」であり、「藪漕ぎ小説」でもある。本格登山の世界ではなく、里山みたいなところであえて難度の高い道や、道なき道を行くのがバリ山行なのだとか(バリエーションルート、略してバリ)。勤め先の仲間たちと一般的なハイキングルートを楽しんでいた主人公が、あるとき職場で孤立する同僚が毎週末ひとりでバリ山行に挑んでいることを知る。ふたりは行動をともにする機会を得る。
●低山ハイキングでも定められたルートから一歩外れれば、命がけの危険がありうることは、よくわかる。みんなが通るルートから外れるなど、恐怖以外のなにものでもない。うっかり変な道に入って迷い、暗くなったりでもしたら身動きが取れなくなる。あるいは降りれるけどもう登れない場所とか、逆に登れるけど降りるのは無理な場所とか、いっくらでもあるわけで、自分の感覚からするとバリルートなんて勘弁してくれって感じなのだが、そんな山の世界をこれほどの解像度で描けるとは。山の描写がことごとくよい。感嘆するばかり。
●山小説であると同時にこれは会社員小説でもあって、職場にもみんなでいっしょに進むハイキングルートもあれば、藪漕ぎみたいなまったく先の見えない孤独なルートもある。そこをぐさりと抉ってくる。どちらを進むのかという選択はだれしも迫られるはず。会社って、ほんと、こういう場所だよなと思う。

August 23, 2024

ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その5 クラヴィコード

●(承前)少し間があいたが、ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮文庫)の再読メモを続ける。物語も終盤に入ったところで、一族をずっと見てきた老齢のウルスラが言う。

時は少しも流れず、ただ堂々巡りをしているだけであることを改めて知り、身震いした。

ブエンディア一族で同じ名前がくりかえされているが、くりかえされているのは名前だけではない。前にも述べたように、反復的な時の流れはこの物語の中心的なテーマだ。
●一方で、一族の外からやってきた登場人物は、しばしば異質な文化をブエンディア家にもたらす。たとえば、フェルナンダ。没落した名家に生まれたフェルナンダはアウレリャノ・セグンドと結婚し、自分の家の風習を強引に持ち込む。やがて生まれた長女はレナータ・レメディオス(メメ)と名付けられる。メメは尼僧たちの学校に通わされ、クラヴィコード(クラビコード)を習う。
●えっ、クラヴィコード? ここはびっくりする場面だ。クラヴィコードといえばバッハやその息子らも愛好した昔の打弦鍵盤楽器。音量が小さく、コンサート用の楽器ではなく、もっぱら家庭用の楽器として言及されるが、19世紀になると忘れられ、その後、20世紀の古楽復興運動により甦る。一般的にはそんな認識だろう。復興したと言っても、録音では聴けても、演奏会で聴くチャンスはなかなかない。そんな楽器が1967年出版の「百年の孤独」に出てくる。メメはなにを弾いたのか。

 やがてメメは勉学を終えた。一人前のクラビコード奏者であるむねを証明する免状が本物だということは、卒業を祝うと同時に喪の終わりを告げるために催されたパーティの席上で、十七世紀の民謡ふうの曲を実に巧みに演奏したことで示された。

これがどんな曲なのかはわからないが、当然、バッハなどを弾くはずはない。検索で見つけたサイト、CLAVICORDIOS HECHOS EN AMÉRICA LATINA を眺めると、どうやら南米各国ではさまざまなクラヴィコードが製作されており、ヨーロッパとはまた違ったクラヴィコード文化が花開いていたようである。ちなみに、このサイトにはチェンバロ奏者のラファエル・プヤーナ(コロンビア出身だ)が所蔵する楽器も載っている。
●もっとも、メメがクラヴィコードを弾くのは音楽への情熱からではまったくなく、単に頑迷な母フェルナンダの不興を買わないためであって、従順な態度の奥にはどす黒い憎悪が隠されている。これに母親は気づいていない。メメはマウリシオ・バビロニアと密かに恋に落ち、ある事件をきっかけに、老衰で世を去るまで二度と口をきかなくなる。(つづく

●おまけ。La Hacienda - Latin American Music On Clavichord (Federico Hernández)

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