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Books: 2024年9月アーカイブ

September 12, 2024

「指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーの“証言”」(ブリュノ・モンサンジョン著)

●気になっていた本、「指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーの“証言”」(ブリュノ・モンサンジョン著/船越清佳訳/音楽之友社)を読んだ。モンサンジョンといえばグレン・グールドやスヴャトスラフ・リヒテルらの映像でおなじみ。映像作家であると同時に、筑摩書房刊の「リヒテル」(傑作!)のような著作でも知られている。で、このロジェストヴェンスキー本も期待通りのおもしろさ。基本的にロジェストヴェンスキーの語りの体裁で記述されており、その語り口は率直で、しばしば辛辣なユーモアに包まれている。
●おもしろさの源泉は2種類あると思った。ひとつはソ連時代の社会システムが生み出す不条理の世界。これはもういろんな音楽家たちが書いていることだけど、やっぱりくりかえし語って伝えていくべきこと。独裁的な強権政治と極端に硬直した官僚主義がなにを生み出すか。有名なジダーノフ批判で、プロコフィエフもショスタコーヴィチもハチャトゥリアンもみんな「形式主義者」と批判されたけど、「形式主義者」とはなにか、だれもわからない。そして「社会主義リアリズム」というドクトリンが掲げられたが、これがなにを意味するのかも、だれひとり説明できないまま物事が決められていく。

 誰かが「このシャツは白い」と言えば、「その通り、白です」と同意する。それが現実には暗色のチェックであったとしても「白だ」と答えなければ、翌日は牢獄という現実が待っているのだ。

●もうひとつはロジェストヴェンスキーから見たロシアの音楽家たちの実像。ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、フレンニコフ、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、ストラヴィンスキーなど。とくにショスタコーヴィチについての記述がいい。
●ショスタコーヴィチが楽譜に誤りがたくさんあることを知りながら、訂正しなかったという話は興味深い。ボロディン弦楽四重奏団が楽譜の誤りを見つけて尋ねると、ショスタコーヴィチは指摘の通りまちがっていることを認めたうえで、「でも書かれている通りに弾いてくださいよ!」と求めたという。ムラヴィンスキーが交響曲第5番を指揮した際、客席にいたシルヴェストリが楽屋にショスタコーヴィチを訪ね、「楽譜に書かれているテンポは正しいのか」と尋ねたら、「もちろん正しい。すべて完璧に正しい」という答えが返ってきた。でもムラヴィンスキーはまったく違うテンポで指揮していたではないかと聞くと、「彼もまったく正しいんです!」と言われてしまう。その場に居合わせたロジェストヴェンスキーは、ショスタコーヴィチが指揮についての話を心底嫌っていることを知っていたので、ひたすらこの会話が早く終わってほしいと願うばかりだったという。ちなみにショスタコーヴィチのメトロノームはピアノから落ちて壊れていたが、それをよく承知の上でショスタコーヴィチはずっと同じものを使い続けた。だからショスタコーヴィチのメトロノーム表示はどれひとつ信用できないとロジェストヴェンスキーは言っている。なんというか、ふつうのロジックが通用しないのだ。
●あとはショスタコーヴィチがドビュッシーの音楽を毛嫌いしていた話もおもしろい。ブーレーズがショスタコーヴィチをまったく評価しなかったことを思い出す。

September 5, 2024

ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その6 黄色い蛾

●(承前)品薄状態が続いていたが、さすがに近隣の書店でも平積みになっていた、ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮文庫)。想定以上の売れ行きだったのはよかったが、千載一遇の好機にどれだけ売り逃したことかと思わずにはいられない。電子書籍もなかったし……。という辛気臭い話はここまでにして、再読メモの続きだ。今回が最終回のつもり。
●ふと思いついた、この長大な愛と孤独の物語をテーマにAIに絵を描いてもらったらどうなるだろうか。そこでBing Image Creator(DALL-E 3)に「百年の孤独」のイラストを描いてほしいとシンプルにリクエストした。もちろん、そこにはAIがトンチンカンな絵を描いてくるのではないかというイジワルな期待もあったのだが、AIはこんなイラストを作ってくれた。
百年の孤独
●お。おお。おおおーー! なんと、AIは健闘しているではないか。「百年の孤独」が書物であるという理解はもちろんのこと、見逃せないのは黄色い蝶だ。いや、蝶ではない。これは蛾であるはず。物語の内容を知らなければ出てこないモチーフだ。前回、クラヴィコード奏者になったメメ(レナータ・レメディオス)について書いたが、メメが恋に落ちた相手、マウリシオ・バビロニアはいつも黄色い蛾とともに姿を現すのである。映画館のなかでも、教会でも、まず黄色い蛾が飛んきて、そこにマウリシオ・バビロニアがやってくる。メメは抑圧的な母親フェルナンダに隠れてマウリシオ・バビロニアと愛し合う。メメの行いを正すべく、フェルナンダはメメを自宅に軟禁するが、メメは密かに浴室でマウリシオ・バビロニアと会い続けた。

ある晩、メメがまだ浴室にいるあいだに、たまたまフェルナンダがその寝室に入っていくと、息もできないほどの無数の蛾が舞っていた。

恐るべき事態に気づいたフェルナンダは、鶏が盗まれているという理由で警官を呼ぶ。浴室に忍び込もうとしたマウリシオ・バビロニアは銃で撃たれ、一生ベッドから離れられない体になり、以後、思い出と黄色い蛾とともに侘しく年老いる。一方、メメはこの事件以来、老衰で世を去るまで二度と口をきかなかった。
●実はこのときメメは妊娠しており、マウリシオ・バビロニアとの子、アウレリャノ・バビロニアをもうける。アウレリャノ・バビロニアは自分の本当の血筋を知らされずに育てられ、やがて叔母であるアマランタ・ウルスラと愛しあうようになり、ついに「豚のしっぽ」を持った子、アウレリャノが生まれる。「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めて」。
●以前、METライブビューイングで上映されたダニエル・カターンのオペラ「アマゾンのフロレンシア」を紹介したけど(→参照)、あの作品はガルシア=マルケスに着想を得たという触れ込みだった(あくまで原作とは言っていない)。主に着想源となったのは「コレラの時代の愛」だと思うが、蝶のモチーフは「百年の孤独」から取られていたのかと気づく(ホントは蛾だけど、生物学的には蝶と蛾の明確な区別はつかないらしい)。
●終盤のマコンドの町の荒廃と、ブエンディア一族の衰退はなんとも儚い。すでに「豚のしっぽ」を持った子についてのウルスラの警告は忘れられている。メルキアデスの羊皮紙の謎が解け、その題字が「この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところになる」であることが判明する。この終章と来たら、もう本当に……。長い長い物語の幕切れはこのうえもなく鮮やかだ。そして、寂しい。
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「百年の孤独」再読 記事一覧
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その1 水
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/091015.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その2 近親婚
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/120950.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その3 くりかえされる名前
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/191033.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その4 年金を待つ人
http://www.classicajapan.com/wn/2024/07/240955.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その5 クラヴィコード
http://www.classicajapan.com/wn/2024/08/231038.html
ガルシア=マルケス「百年の孤独」再読 その6 黄色い蛾(当記事)
http://www.classicajapan.com/wn/2024/09/050955.html

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