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Books: 2024年12月アーカイブ

December 27, 2024

シェイクスピアの「ハムレット」には有名曲がない

●「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」「尼寺へ行け!」「復讐するは我にあり」「弱き者、汝の名は女」。名言がたっぷりつまってるけど、シェイクスピアの「ハムレット」にはオペラの名作がない。トマのグランドオペラ「ハムレット」は当時大成功を収めたそうなんだけど、今ではめったに上演されない。管弦楽曲としてもチャイコフスキー、リスト、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチが「ハムレット」を書いてるが、ビッグネームがそろってるわりには、どれも有名曲とはいいがたい。「ロメオとジュリエット」や「真夏の夜の夢」「ウィンザーの陽気な女房たち(ファルスタッフ)」に比べると、「ハムレット」の音楽化はなかなか難しい様子。でも、ストーリーはかなりおもしろいと思うんすよね。
●で、先日、NHK「100分de名著」の「シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ」(河合祥一郎著)を読んで、自分が「ハムレット」をぜんぜんわかっていなかったことを思い知った。たとえば、ハムレットって、優柔不断なひょろっとした男子みたいなイメージでとらえがちじゃないすか。でも、それは伝統的な誤解ともいうべきもので、父王を殺されたハムレットが復讐を逡巡するのは、父の亡霊が本物なのか、それとも悪魔なのかを迷ってるからだ、って言うんすよね。実際、シェイクスピアのテキストにそう書いてある。で、なるほどと思ったのはこの話。

実はここには、カトリックとプロテスタントという、当時の宗教問題が関係してきます。亡霊という存在を認めるのはカトリックだけで、プロテスタントでは死者の亡霊などというものは認めていません。プロテスタントの見方からすれば、これは悪魔が見せる幻影ということになります。つまりハムレットは、カトリックとプロテスタントのあいだで揺れているという解釈もできるのです。

自分は日本的な感性から「父王の亡霊」という存在をあまりにすんなりと受け入れてしまい、ハムレットの迷いがぜんぜんピンと来ていなかった。このカトリックかプロテスタントか、という問題がひいては中世的な情熱か近代的な理性かという選択肢につながってくるというのだ。ハムレットの周りにいる登場人物では、レアーティーズが情熱の人、ホレイシオが理性の人という対比がある。
●もうひとつ、びっくりしたのがこの話。シェイクスピアの劇は近代演劇とは違うという文脈で、こう記されている。

当時はそもそも役者に台本すら配らなかったのです。著作権のない時代ですから、金に困った役者が台本を別の劇団に売って、儲けようとしたら困るからです。ではどうやって稽古をしたのかといえば、役者ごとに台詞ときっかけだけを写した書き抜きを配りました。つまり役者は相手役の台詞も知らないし、通し稽古で初めて芝居の全貌を知るということになります。それぞれに自分の台詞だけが書かれた巻物(roll)を持って稽古したので、のちに役のことをロール(role)と呼ぶようになったのです。

わわ、これ知ってた? 読んでいて思わずのけぞった。「ロール」って、そういうことだったんだ。あと、役者が受け取る「ロール」って、オーケストラの「パート譜」みたいだなと思った。

December 26, 2024

「日本生まれのインド人、メタ・バラッツのスパイスカレーユニバース」

●えっ、ウソでしょ……わわ、ホントに無料だ! 期間限定なのかどうかもわからないのだが、Kindle本の「日本生まれのインド人、メタ・バラッツのスパイスカレーユニバース」(インターネットオブスパイス)が無料で提供されている。これがスゴいのだ。なんと、全1700ページ(!)を超える膨大なカレー・レシピ集。レシピは400種類以上あるだろうか。で、サンプルを見てもらえばわかるように、デザインも写真もしっかりしていて、書店に並んでいてまったくおかしくないクオリティ。
●これがなぜ無料なのか、さっぱりわからないのだが、開いてみると前書きがいきなりパンチの効いた一言で始まる。著者のメタ・バラッツさんは言う。

スパイスを使えるようになれば何にでもなれるしどこにでもいける。

なんだか、ぐっと来る詩的な一言だ。スパイスを使えるようになりたいぜー。
●なんとなく置いてみる、カレーラス「ザ・グレイテスト・ヒッツ50」(唐突すぎ)。

December 24, 2024

ガルシア・マルケスの「悪い時」 (光文社古典新訳文庫)

●今年の本を一冊選ぶならガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」(→参照)以外にありえないが、先日、書店で同じガルシア・マルケスの「悪い時」(寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)が出ているのを発見。さっそく読む。「百年の孤独」のようなマジックリアリズムではなく、リアリズムに即した若き日の作品だが、「百年の孤独」前夜的なムードもしっかり感じられる。比較的短い小説だが、粗削りで、読みやすくはない。でも、いま読むべき一冊だと思う。
●舞台となっているのは「暴力時代」後のコロンビアの小さな街。暴力が過ぎ去った後、街には均衡が訪れている。だが、強権的に平和を維持している側と、恨みを抱えたまま耐える側がかろうじてともに暮らす。そんな街で人々の秘密や噂を書いたビラがあちこちに貼られる。だれが書いたかわからないビラに、人々は動揺したり、無視を決め込んだりするが、次第に不信が渦巻き、ときに暴発する。といっても物語のトーンは陰惨ではない。日常のなかでなにかが燻っていく様子がひたひたと描かれてゆく。
●印象的なのが歯医者のエピソード。権力者側の町長は虫歯の痛みに耐えている。いくら鎮痛剤を飲んでも耐えられないくらいまでずっと耐え続ける。なぜなら、歯医者は敵対者側だから。二週間もずっと痛みに耐え続けた町長は、ついに歯医者を訪ねる。と言っても、武装警官3人を引き連れて突然、歯医者に乗り込んで、銃口を向けて抜歯を命ずるのだ。歯科医は平然と仕事にとりかかる。町長は歯科医と目と目が合ったときに手首をつかんで「麻酔」と言うが、歯科医は優しい口調で答える。「あなた方が人を殺すときは麻酔なしでしょう」。これは名場面だ。
●でも、この場面、以前に読まなかったっけ? と思ったら、「ガルシア=マルケス中短篇傑作選」(野谷文昭訳/河出文庫)収載の短篇「ついにその日が」がほぼ同じエピソードを取り出した作品だった(→参照)。この短篇集には「悪い時」と同時期の名高い中篇「大佐に手紙は来ない」が収められている。こちらも強くオススメ。
●このエピソードが強い印象を残すのは、自分に敵意を持つ歯医者というシチュエーションの恐ろしさゆえだろう。そこには潜在的な歯医者さんに対するうっすらとした恐怖があるはずで、大昔に見たダスティン・ホフマン主演の映画「マラソンマン」(1976)では、元ナチ戦犯の拷問歯科医が出てきて、主人公の歯をドリルで痛めつけて悲鳴が上がるシーンがあったと記憶する。脚本家はガルシア・マルケスを読んでいるだろうか。

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